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社会人一年目、木こりと暮らす

大学卒業後、私は地元の長崎を離れて、遠く離れた地方都市の小さな出版社に就職した。一回目の就活では経済学部らしくとある銀行に内定をもらっていたのだけど、真面目な内定者研修を受けているうちに「ダメだこのままではつまらない人生を送ってしまう」と目覚めて会場を抜け出し、スーツを破り捨ててインドまでヒッチハイクして本当の自分を探し、いつか自分で本を作ってやるという夢を思い出して出版社の門を叩くことにしたのだ。

というのは全部嘘で、本当は大学を留年したのだ。そんな高尚な志なんて1ミリも持っておらず、大人になんかなりたくないよ〜とモラトリアム全開で大学の講義をサボりまくっていたために四年生まで単位を大量に残していた。そしてこれが取れなければ留年してしまうというテストの日に原付バイクでガードレールに突っ込み、そのまま病院で数日間を過ごすことになったのだった。

堅実で安定した銀行に就職してくれると安心しきっていた両親からも当然怒られた。自慢好きな父はあらゆる知り合いに私が銀行に就職することを言いふらしてしまっていたので、「誰にも合わせる顔がないやっか!」と怒鳴られた。それは知らんよと言いたかったけど、結局のところ私が悪いのでひたすらに謝るしかなかった。

家にいると空気が重かったので、就活を口実に東京にいる友達の家に転がり込んだ。ちょうど東日本大震災の後で企業は不安定で、ニュースでは連日のように内定取り消しの話が流れていた。社会が大きく軋んでいる時期だった。でも私の就活がうまくいかなかったのは震災のわけじゃなく、ただのぐうたらだった。静かな、まっすぐなぐうたら。もちろん大企業はそんな人間に優しくはしてくれず、拾ってくれたのがその小さい出版社だったというわけである。溺れかけていたところにたまたま出会った救命ボートみたいな会社だった。

会社から自転車で10分の距離に安いマンションを借りた。キッチンと7畳の部屋のみの狭い空間。そこに男2人で暮らすことになった。なぜ2人なのかというと、数か月後に東京へ配属になる同期の社員を泊めてくれと頼まれたからだ。まあこんな私を拾ってくれた恩があるのだからこのくらいは……という気持ちで引き受けたけど、今思えばなんで会社の経費でマンスリーマンションを借りないんだよと思う。

私とルームシェアした同期は谷口君(仮名)という。見た目は地味で、毎晩寝る前に大仏の写真集をうっとり眺めている人だった。あまりこれまでの人生で出会ったことがないタイプだ。これまでに一度も恋人ができたことがなく、「オレ、あんまり群れるの得意じゃないんだよね」と何度か言っていた。別に聞いてもいないのに。

ある日、社長が「谷口、お前はもっとモテる努力をした方がいい。とりあえず服を全部変えてイメチェンしてこい!」と突然言い放ったことがあった。いつもパワハラとも親心ともとれるラインを責めるような社長だった。谷口君も社長の言うことには逆らえず(というかあまりまんざらでもない反応で)、なぜか私が谷口君の服装改造計画の担当に選ばれてしまった。その時たまたま近くにいたから指をさした方向に私がいただけなんだと思う。

谷口君の予算は5000円だと言う。5000円で全身コーディネートって相当限られるぞと思ったけど、安月給だったので仕方がなかった。ふたりで近くのGUに行き、私が限られた予算でなんとかやりくりをして服を選んでいった。最終的に私が選んだのは、白のシャツ、茶色のベスト、7分丈のベージュのパンツ。谷口君が試着室から出てきた時、ちょっといいじゃんと思った。

しかし、イメチェンした谷口君を会社で先輩に見せた瞬間、「木こりみたいやな」と笑われた。言われてみれば、谷口君のもっさりとした見た目と相まってたしかに普段森に住んでいる人を会社に連れてきたようにしか見えなかった。私は私でモテてきた人生ではなかったので、壊滅的なファッションセンスをしていたのだった。谷口君が社長からしばらくの間「木こり君」とイジられていたのが申し訳ないなと思い、私は黙って彼のシャツにアイロンをかけるようになった。

私自身の仕事のほうは、いろんなお店や会社に飛び込み、本の広告枠を売りまわっていた。出版といっても文章を書く仕事ではなく、しがない営業マンだった。

ある日、私の担当した広告で掲載ミスが発覚し、取引先から怒りの電話がかかってきた。その時私は車を運転していて、ハンズフリーで電話に対応していた。

「本当に、申し訳ありません」
私は車を駐車場に停めるためにシフトレバーをバッグに入れた。
「……ピーピーピー」

「ちょっと待って。今、運転しながら話してる?謝ってんのに片手間かよ!」
「いえ、その、ちょっと駐車していまして……」
「もういい。話にならないから上司を出して」
駐車音で怒りのスイッチを入れてしまった。結局その件は上司が頭を下げに行き、私は「電話はちゃんと停車してから」と釘を刺された。まあ、当然である。

そんな感じで毎日いろいろ失敗していた。会社も、同期も、私自身も、全てが少しずつズレていて、けれどなにが正解なのかわからない。それでも、なにかを間違えながらも一歩ずつ前か後ろかどこかに進んでいたような気がする。社会人のはじまりなんてこんなものなのかもしれない。

今は転職して違う会社にいるけど、新入社員に「がんばれ」と言えるほど私もまだちゃんとはがんばれていない。今でもけっこういろいろ間違えている。成長したところといえば、それでもなんとかなるので大丈夫と思う図々しさくらいかもしれない。谷口君とはFacebookで繋がっているけど、先日久しぶりにプロフィール写真を見たらまた違うパターンの木こりみたいな服を着ていた。

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