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異邦人/カミュ、窪田啓作(訳)






図書館本、 #カミュ の著書『 #異邦人 』を拝読📖しました。
※訳者は、#窪田啓作 さん。






-あらすじ-

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。
判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。(裏表紙の説明より)


どんな話なのかは、裏表紙の説明を読めば全て書いてあります。
どんな話か始めから分かっていながらも、どんどん話に惹き込まれていくような作品でした。


主人公のムルソーは、いたって中道に近い生き方をする男だというのが、まず始めの印象。
良いも悪いもなく、自分に起きたことで一喜一憂することも少なく、起きたことを受け容れる。
なんとも淡々とし、無機質な人間に感じるんだけれども、ムルソーは決して無感情な訳ではありません。
人からは理解し難い部分があるのも事実ですが、自分なりの『愛』もあります。



ムルソーは、人間らしいと言えば人間らしいのです。
自分に忠実に生きているようにも思えます。
ただ、何かが欠けてしまっているため、自分に忠実にということだけで行動してしまう。
そして、殺人を犯します。


殺人を犯したことに対して、ムルソーは自己正当化はしません。
罪の意識も薄いですが。
ただ、『太陽のせい』と事実を述べるだけです。




何が欠けているのだろうかとモヤモヤしながら読み進め、ムルソーのこの言葉で腑に落ちました。
『私にはほんとうの想像力というものがない。』




想像力が欠けていることの恐ろしさを目の当たりにしたような気がしました。


これ、今の私の課題でもあるのです。
前にも書いたような気がしますが、私は読書する方が好きです。
読書家は感性が磨かれており、想像力があり、情緒ある方だろうと思うからです。



でも、一概に読書家全てが私の好きな人ではないということを40年生きて実感しているところです。
想像力、感性というものは、確かに環境や生き方で備わっていくものではありますが、備わらない人もいるのです。
これが良い悪いとは判断しませんが、私はこういう方とは交われないなというのが、今の感想です。


本書を読んでいく中で、ムルソーの生き方に憧れる部分もありますが、大半は共感できません。
生きづらいだろうなとも思いました。



しかし話が終盤に差し掛かると、ムルソーの味方になっている自分がいました。
カタにはめようとする人たちに憎悪の気持ちが湧いたからです。


価値観の押し付け合い。
これは、まさにコロナ禍の現在でも問題になっていることではないかと思います。
本当にそれが自分の価値観なのかと深くは考えず、支配的な価値観に押され、それが自分の価値観であるかのように思い込んでいることが多いようにも感じます。


そして、その価値観を共有できない人は排除する。
これもまた、とても恐ろしいことなのではないかと思うのです。


今こそ、一人一人が自分の価値観というものを見直し、それが本質なのかを見極めることが試されているのではないかと、本書を拝読して改めて感じました。


最後に、解説に書いてあったカミュの言葉を引用します。

『…私が自由を学んだのはマルクスのなかではなかった。私を自由を、たしかに貧困の中で学んだ。』
※マルクスとは、カール・マルクス(哲学者、思想家、経済学者、革命家)のこと。
マルクス主義を打ち立て、資本主義の高度な発展により社会主義、共産主義社会が到来する必然性を説いた人物。(wikiより)



カミュは、”ない”ということに囚われていてはなにも生み出されないということも伝えたかったのかもしれません。




足りない頭でなんとか『異邦人』を読了し、今私の頭は”ニワトリが先か卵が先か”のような状態になっております🙄







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