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Mysterious and Mellon Collie - 無垢を照らし出すART-SCHOOLという美しい灯り

2025年7月6日、この日も寝落ちしたソファの上で起床した。
いつも通り、頭が痛い。生活に変化なんてないのに五月病と六月病は今年もやってきた。7月を迎えても抜け出せない。といっても、通年こんな調子だけど。

むかしから一生懸命になること、正解を求められることが苦手だった。結局、そこから距離をおいて生きてきた。
何も成し遂げられない、何者でもない、近年の唯一の努力として、最寄り駅に向かうときは30分かけて歩いて向かう。
しかし、この日は寝不足なのか、そのせいで熱中症になったのか、最寄り駅に着いた時点でなんだか体調が優れない。

そんなこんなでフラフラになりながら辿り着いたHEAVEN'S ROCK さいたま新都心、ART-SCHOOLの結成25周年と新作アルバム『1985』のリリースを記念したツアー『ART-SCHOOL 25th ANNIVERSARY TOUR 2025「1985」』。
Radiohead『OK Computer』が会場SEとして流れる中、ほぼ定刻通りにAphex Twin『Girl/Boy Song』にのせてステージに上がったART-SCHOOLが鳴らした1曲目。

イントロのギターが鳴り響いた瞬間、目の前の景色が一変した。いや、一変というより、自分の純粋な部分を照らし出す灯りが灯るような感覚だった。


"生きる才能が欠落してる
病んだ僕たちは今日も歌ってる
救いなんて無い それでもいいさ
夜が明けるまで 手を繋いでいよう"
-『Trust Me』



ホワイト社会の片隅で - 彷徨うアウトサイダーたち

近年、世界は「ホワイト社会」へと突き進んでいる。というより既にどっぷり浸かっている。
音楽ライターである柴那典さんは、人が記号的な存在に自らを最適化する未来を「わくわくディストピア」と呼んでいる。
まさに現代はテクノロジーの進歩による高揚感と表裏一体に、人としてどう在るべきかという善を行うための倫理/道徳ではなく、とにかく誤らないことを目的とした倫理/道徳を生きる術として共有され、最適化されていくディストピアと化している。

失敗しない、誰も傷つけない、透明で清潔感のある完璧な人になること。そうした在り方が表面的な理想像として強く求められる現代において、ART-SCHOOLが鳴らし続けてきた喪失や傷心は今まで以上に異質であり、異端として存在感を増している。


ホワイト社会では、とにかく誤らないことを目的とした倫理/道徳、つまり「正しさ」が求められる。しかし、そういった合理的な社会の外側には、自然科学、脳内物質、神経反応では説明できない「美しさ」の次元が存在する。

ART-SCHOOLは社会が求める倫理/道徳とは対極にある「美しさ」に、ずっと焦がれてきたバンドである。
「美しさ」とは、合理性や清潔さではなく、自分の中で最も純粋で、神秘的な「無垢」と呼ばれるもの。何にも最適化されていない、無色透明な自己の聖域なのかもしれない。

汚れて、傷ついて、失って、這いつくばって、それでも光を探し求める。実に生々しく人間らしい、みっともない姿に宿る未熟さは、無垢である。


社会の片隅を彷徨うアウトサイダーたちの姿を、自らの痛みと共に鳴らし続けてきたART-SCHOOLは、社会に最適化されていく表面的な君の奥にある未熟さに手を差し伸べる。

それは社会の「正しさ」より尊く、どれほど彷徨って、汚れて、逃げ出そうとしても、君の無垢は「美しい」と肯定してくれる。


"さまよって 汚れて
何かを失くしていった
苦しくて 逃げ出して
それでも探していた
Outsider
For dear outsider"
- 『Outsider』



君の無垢を照らし出す三日月 - 『1985』が鳴らす美しい灯り

新作『1985』はART-SCHOOLが一貫して鳴らし続けた満身創痍で喪失感や虚無感に包まれた冷たさを孕みつつ、決して絶望の「共有」だけではない、絶望の底でも君が君を見失わないように、儚くも確かな灯りとして灯っている。


"そのままでいいよ
隠さないでいいよ
How can you feel it?
こんな痛みが 祈りにかわる様に…
Beautiful things"
- 『Sad And Beautiful things』


"貴方のその傷を
今 全部飲み干したい"
- 『We Are All Broken』


誰かの絶望に手を差し伸べる行為は、それを背負うことと同義といえる。音楽においても、誰かを救いたいと歌うことにはリスナーの絶望を背負う責任が伴う。
『1985』を聴いて、かつてここまで誰かを救いたいという覚悟を持って鳴らされたART-SCHOOLの作品があっただろうか、と考えさせられた。

おそらく多くのリスナーにとって、ART-SCHOOLとは圧倒的に心の内を晒せる信頼の対象であり、何度も同じ傷を見せ合って、同じ冷たさを共有し、共存してきた唯一無二の存在だろう。
だからこそ、「正しさ」が求められる現代において、さらにART-SCHOOLの存在感は増している。
そういったリスナーの声や時代性を汲み取るように、『1985』ではART-SCHOOLというバンドが担う役割について自覚的になり、君の絶望を背負う覚悟を持って、手を差し伸べる様が音から、言葉から、強く感じられる。


"あなたが闇へと堕ちる時
三日月みたいに側にいよう"
- 『Forever And Again』


『Forever And Again』で綴られた一節に込められた思いは、まさに自覚と覚悟に満ちている。
「三日月」という不完全で未熟な灯りとなって、君が堕ちた闇のすべてを照らせるわけではないけど、君が君を見失わないように儚くも確かにその場所を照らし続けている。

無垢はいつだって、神秘的で、解き明かせない謎に満ちていて、無色透明で美しい。けれど、その純真さゆえに闇に侵されやすく、見失われやすい。
だからこそ、ART-SCHOOLは君に似た未熟な三日月となって、君の無垢が失われないように、側にいようとする。


『1985』では、そうした危うく脆い君の美しさに触れる覚悟が鳴っている。
儚くても確かな灯りが君の無垢をそっと照らしている。




2025年7月6日、HEAVEN'S ROCK さいたま新都心公演のアンコールでデビューアルバム『Requiem for Innocence』のオープニングを飾る『BOY MEETS GIRL』が演奏された。


"ねえ 今から 美しい物を見ないか?"
- 『BOY MEETS GIRL』


汚れて、傷ついて、失って、這いつくばって、みっともなくも生き続けてきたバンドが、今かつてないほどに、未熟な君の無垢を肯定し、君が闇に堕ちても三日月となって側にいる。

社会の「正しさ」では見つけられない、君の無垢を照らし出す「美しさ」がここにある。




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