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マンガデザインで描く昭和100年その24〜昭和24年(1949年)〜

どうもどうも、吉良です。

2025年8月も終わるというのに、30日の東京の気温は39度近くと予想されています。風も熱風で家にいるのが一番安全という状況ですね。

今回書く、昭和24年(1949年)の気象庁の東京都の平均気温を調べてみると26.6度。ちなみに2025年の平均気温が29.5度で、平均気温が30度を超える勢いです。暑いわけですね。

平均気温は上がる一方ですが、出生数は下がる一方で、2024年に出生数が初めて70万人以下になり、2025年上期も33万人という状況ですね。

同じく今回書く1949年をみると、その年の出生数が現在日本一で、この記録は破られることの無い不滅の記録になりそうです。

戦後の1947年から1949年を第一次ベビーブームと呼んでいます。第一次ベビーブームは、大戦が終結し、戦地から兵士が帰還したことや、戦後の社会情勢が安定したことなどが要因として考えられます。

この時期、1947年から1949年に生まれた世代は「団塊の世代」と呼ばれ、その数は約806万人にのぼります。

1949年の出生数は約270万人で、これは日本の歴史の中で最も多い出生数でした。ちなみに前回の1948年が269万人で2番目にあたります。

当時の世界における出生数では、日本は中国、インド、アメリカ、ロシアに次いで5位でした。

この807万人を超える「団塊の世代」の2025年現在の年齢が1947年生が78歳、1948年生が77歳、1949年生が76歳です。

まさに少子高齢化のメカニズムがこの史実を持ってマーケティングされていますね。

マンガデザイン展で人気No.1だった「昭和100年企画」
その昭和100年の企画ゾーンは年ごとに2作品ずつ展示していて、俯瞰で見た時、日本の昭和史がよくわかるように工夫しました。まさに下の写真のようなレイアウトです。

昭和史も20年刻みにまとめました。今回の昭和24年を含む昭和21年から昭和40年までのコメントをご覧ください。

今回のテーマである昭和24年(1949年)のマンガデザイン展の展示作品を紹介します。

(大阪芸術大学 デザイン学科 増田光音さん)

【制作意図】
昭和24(1949)年の郵便差出箱1号(丸型)を描きました。1945年に終戦を迎え、その後日本の復興の一手となる物資の入手手段のひとつとして利用されるために、1949年から新しい鉄製ポストとして実用化されました。全長155cmあるこのポストは、日本中の街に配置され、丸みのある親しみやすいデザインとなっています。

・「ものも想いも届きます」最高のコピーです。(吉良)


(大阪芸術大学 デザイン学科 草刈七海さん)

【制作意図】
1949年のドレスメーキング創刊を描きました。今回はメディアをテーマに歴史をまとめようと思ったため、歴史的背景が反映されやすいファッション雑誌を取り上げました。

・ファッションの創成期を上手に描いていますね。(吉良)


日本経済新聞社とニッポン放送との共同企画でマンガデザイナーズラボプロデュースの『昭和100年プロジェクト~昭和から100年、そして未来へ』のサイトもスタートしています。こちらには最新のメッセージやこのnoteのまとめも載せる予定です。こちらもお楽しみください。

2月26日のイントロダクションからスタートした『マンガデザインで描く昭和100年〜未来の若者たちへのキーワード『SHOWA』〜』。今回は昭和24年です。

「この企画の時代は生きていないよ」とターゲットである若い世代に言われないように、改めて企画意図、つまり企画コンセプトを明記します。

このコンセプトを受け、まず該当年度(今回は昭和24年)について説明します。

その後、大阪芸術大学生が描いたマンガデザインと企画意図を紹介、現代を生きる学生が何に興味を持ったかを考察しつつ、僕のポジティブコメントを書きます。

読まれている皆様をタイムマシンで移動しているように感じてもらえるようにできたらいいなと思っています。是非一緒にお楽しみください。では企画スタートです。

●昭和24年(1949年)の出来事

昭和24年(1949年)は、戦後の混乱から復興への道を本格的に歩み始めたと同時に新たな試練と課題が浮き彫りになった年でした。

政治の面では、1月に開かれた第3回総選挙で日本自由党を中心とした吉田茂内閣が大きな支持を得て、戦後の政治基盤を固めました。

一方で、経済は依然として不安定であり、インフレーション抑制のためのドッジ・ラインが導入されました。これにより金融の引き締めと歳出削減が実施され、企業倒産や失業が急増するなど、国民生活に大きな影響を及ぼしました。

4月には日本国有鉄道の本社ビルが丸の内に完成し、戦後復興の象徴的な建築物となりました。また、社会面では下山事件・三鷹事件・松川事件といった国鉄をめぐる重大事件が相次ぎ、世間に大きな不安を与えました。

国際関係では、日本は依然として連合国の占領下にありましたが、アメリカとの関係が一層強化され、冷戦構造の中で重要な位置を占め始めた年でもありました。

芸術面では、美術や演劇の再興が進み、文部省主催の「日展」が再開され、多くの画家や彫刻家が新しい作品を発表しました。また、演劇界では新劇運動が活発化し、戦後の社会を反映した作品が次々と上演され、観客の支持を集めました。

音楽の分野では、NHK交響楽団をはじめとするオーケストラの演奏会が本格化し、西洋音楽の普及がさらに進みました。

一方スポーツでは、日本プロ野球が注目を集め、観客動員数も増加していきました。また、全国中等学校野球大会(現・夏の甲子園)が戦後の混乱を乗り越えて定着し、若い選手たちの活躍が全国に元気を与えました。

さらに、柔道や相撲といった伝統競技も復興の兆しを見せ、横綱・東富士が土俵を盛り上げました。


●マンガデザイン作品

(大阪芸術大学 デザイン学科 倉冨玲衣さん)

【制作意図】
1949年発売のお年玉つき年賀はがきを描きました。画家・仕立て屋を営んでいた「林正治」さんがお年玉つき年賀はがきを考案しました。戦後間もない時期で郵便利用率は低く、友人や親戚の無事を確認できない状況から、年賀状の交換が戦前のように活発になればお互いの無事を確認することができるし、年賀状の売り上げを寄付することで社会福祉につながると考えたそうです。
さらにお年玉くじをつけることで、年賀状を受け取った相手に豪華賞品が当たるという戦後不安の中でも夢と期待を持ってもらおうという「林正治」さんの思いが込められています。

【吉良視点】
「送り手」と「受け手」という手紙、はがきのベネフィットを上手にデザインしています。安否確認と社会福祉、そして受け手側のくじ引き、よく考えて作画して、表情もしっかり描けています。


(大阪芸術大学 デザイン学科 野田詩織さん)

【制作意図】
1949年の湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞を描きました。

【吉良視点】
この4コママンガ面白いですね。「湯川秀樹という男」というタイトル、惹きつけられます。2コマ目の京都大学、大阪大学の講師時代、学生、教授から人気がなかったというくだりの「声が小さくて聞こえない」もいいです。そして落ちが1949年の「日本人初のノーベル物理学賞受賞」、ドヤ顔も効いています。

次回昭和25年もお楽しみに。

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吉良俊彦(マンガデザイナーズラボ代表) 最後までお読みいただきありがとうございました! スキ、コメント欄への感想、リクエスト、シェア等、大歓迎です。 スキ、フォロー時にはランダムで吉良語録メッセージをお送りしておりますのでお楽しみください!