「noteを書く」ことの原点を思い出した
今回はいつもの雰囲気とは異なり、
私が「noteを書く」ことの原点を思い出した。
という内容になります。
きっかけは、
やまだ くにあきさんのYouTube動画でした。
👇🏻noteの記事もあったので置いておきます
書くことが苦手だったのにnoteを始めた
書くことは苦手。
けれども、自分の内側にあるものをとりあえず
何か形にして外側に出したかった。
出すことで心も、思考も、整理できると思った。
より冷静に観察できると思った。
だから
「苦手だけど、文章は書いてみたい」
ついでに
「SNSで仲間を見つけたい。推しを見つけたい。」
と、思いnoteを始めました。
実際に始めてみると、
すらすら書ける日もあれば、
全く書けない日もあって…
すらすら書ける日でも
きれいに整えすぎてしまって抽象的になりがちで…
結局何を書きたかったのかがわからなくなる、
そんな日もあります。
実は発信することも苦手だった
何とか記事は書いた。
けれど「公開」することにすごく抵抗がありました。
(以下、ウジウジ)
私が書いた文章なんて…
しかも題材が私自身のことだし…
自分語りみたいで恥ずかしい…
と、自己開示することに少し抵抗がある、
そんな自分に気づきました。
挑戦してみるものの…
意を決して「公開しよう!」となったとき、
完璧主義な自分も現れ、
誰かの目に触れるなら、きれいに書きたい。
〇〇さんのような整った文章が書きたい。
そう思いはじめた。
それから、
文章作成についての情報収集を開始し、
一度、「こうするといいよ」という型に
当てはめて書いてみようとトライしてみました。
その型に当てはめて書いている間は
「こうするといいよ」の安心感からか
なぜか、記事公開への抵抗もなくなっていました。
でも、しばらくして、フッと
読まれるために書いている
と、いうことに気づきました。
(ちょうど、今ここです)
本来私がやりたかったのは
読まれるために書く
売れるために書く
の、ではなく
「自分の内側を何か形にして、アウトプットしたい」
の、はずだった。
今まで私が書いてきたnoteを見返してみても、
自分の内側を書いたはずなのに、
自分の言葉のはずなのに、
とても違和感がある。
有益な情報でなければならない
読まれるための文章を作成しなければならない
読者に伝わる内容や表現にしなければならない
「こうするといいよ」の型に当てはめなければならない
これらばかりを意識して
書いていたのかもしれません。
やまだ くにあきさんの動画を見て
動画の中で、初回投稿は、
タイトル、ノートを始めます。
本文、書きました。
それでOK
とお話されていて、衝撃を受けました。
そして、文章書くことに対してのハードルを
自身で上げていたことに気づきました。
綺麗に整った文章じゃなくてもいい。
閲覧数やバズを狙わなくていい。
もっと自由に文章書くことを楽しんでみたい、
noteというプラットフォームを純粋に楽しみたい。
と、noteを始めた頃に密かに抱いていた
気持ちを思い出すことができました。
少しずつ軌道修正していこうと思います。
やまだ くにあきさん✨
素敵な動画、note記事をありがとうございます!
