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自分軸か他人軸|以前に心地よさ

「自分軸で生きよう」
「他人軸を手放そう」

そんな言葉をよく見かけるし、
私も、自分軸は大切にしています。


でも、この自分軸と他人軸について
少し違和感があります。


どこか、
自分軸でいることが「良い」
他人軸でいることは「良くない」

そんなふうに見られている気がしています。


大事なのは、
自分軸でいるか他人軸でいるかよりも、
その状態で、
自分が心地よくいられるかどうか。
そこなんじゃないかな、と感じています。



素朴な疑問

最近、少し不思議に思うことがありました。

自分軸を意識していることが、
どこか「ひとつ上の段階にいる」みたいに見えること。


階段で言うと、
ひとつ階層を上げたような感覚。


「まだ他人軸なんだ」
「もっと自分軸で生きた方がいいのに」


そんなふうに、
他人軸でいる人を少し下に見ているような空気を感じることがあります。


言葉にすると少し強いけれど、
「自分軸マウント」
みたいなもの。


自分軸を大切にすることと、
自分軸を使って人を判断することは違うはずなのに、
それが人との優劣をつける言葉になってしまうなら、
そこは少し違う気がしています。



他人軸が悪い、とは思っていない

他人軸でいること自体が、
悪いわけではないと思っています。


あらゆる判断を自分ひとりで決めるより、
誰かに委ねる方が楽だと感じる人もいるかもしれない。


決められたレールの上を歩くことに、
安心する人もいるかもしれない。


それがたとえ、
他人が引いたレールの上だったとしても、
本人が心地よくいられるなら、
外から一方的に「それは良くない」とは言えない。


人生の主人公は、その人自身。
他人軸だろうが、自分軸だろうが、
「私」を生きるのは「私」。


だから、
他人軸でいることそのものを、
すぐに間違いとして扱いたくないです。



「自分軸」が助けになることもある

ただ、他人軸でいることが、
いつも心地良いとは限らない。


だから、
他人軸になってしまい、苦しんでいる人にとっては、
自分軸という考え方が助けになることはある。


「相手はどう思うか」
「周りにどう見えるか」
そこばかりに意識が向いて、
自分の感覚が分からなくなっているとき、


自分に意識を向け、自分で選択することが
何かのきっかけになることもある。


でも、それはきっと、
他人軸で苦しくなっている人に向けて届くもの。

苦しんでいない人にまで、
「自分軸で生きるべき」
「他人軸は手放すべき」
と押しつけるものではないと思う。



優劣よりも、心地よさを見たい

結局、見たいのは、
自分軸か他人軸かという名前よりも、
その状態で、自分がどう感じているか
なんだと思う。


誰かに合わせていても、
そこに納得感があって、心地いいのなら、
それはその人にとって自然な選択なのかもしれない。


反対に、
自分で選んでいるように見えても、
どこか無理をしていたり、
周りに証明するための選択になっていたりするなら、苦しくなる…。


自分軸だから良い。
他人軸だから良くない。
そうやって分けるよりも、


その選択のあとに、
自分が納得し、軽やかな気持ちなのか。
それとも、
消耗や疲労感ばかりが残っているのか。


自分を優先したか。
相手を優先したか。
そこだけではなくて、


そのあと自分が、
自分の心を置き去りにしていないか。
そこを見ていきたい。


自分軸も、他人軸も、
人を測るための言葉ではなくて、
今の自分が、
どこでどのような状態なのかを確認するための言葉として
扱えたらいいのかもしれない。


優劣よりも、
その状態で、
自分が心地よくいられるかどうか。


私はやっぱり、
そこを大切にしたいです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

もし本文のどこかで、
「自分軸か他人軸かより、自分がどう感じているんだろう?」
と考えるきっかけになったら嬉しいです✨

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