病院での待ち時間 ~ 小さなシンクロニシティー
平成31年2月。朝8時27分。
病院に到着し、受付を待つ列の最後尾に立つ。
いくつかの持病を抱え、2か月に一度、鹿児島医療センターに通っている。直腸がんの除去手術を受けたのが昨年の10月。それ以来なので、まだ少し不慣れだ。
受付カウンターの左端に、レストランの券売機みたいな四角い受付機が2台。
それぞれに一人ずつ案内係の女性が立っていて、彼女たちの導きに従って、受診カードを挿入口に差し込む。
その不愛想なマシーンは、口からベロを出すみたいに、ニューッと白い小紙片を吐き出す。そこには、受付番号が印字されている。
― 76 -
これが、今日ここで繰り返し聞かれる自分の仮の呼び名。
採血室前に移動し、ベンチに腰掛けて、呼ばれる瞬間を待つ。
受付窓口の上方の壁にでっかい液晶パネルが掲げてある。
そこには幾つもの受付番号数が並んでいて、患者を呼び出すデジタル音声が、順に聞こえてくる。冷たく無表情な、合成された女性の声。
「ヨンジュウ、イチバン、ノカタ、サイケツシツニオハイリクダサイ」
パネルの数字が左端を目指して、ひとつずつズレて行く。
リュックから、退屈凌ぎに持ってきた文庫本を取り出し、読み始める。
いくらも読まないうちに、デジタル音声が聞こえてきた。
「ナナジュウ、ロクバン、ノカタ…」
ちゃんと反応している自分に、ちょっとおかしな満足感を覚えた。
採血を終えて、消化器内科の受付に向かう。
再びベンチに腰を下ろし、文庫本の続きを読む。
重松清の短編集「きよしこ」。
吃音のある小学1年生の男児が主人公として登場する。
これが導火線となり、自分の記憶を呼び覚ます。
文字を読む視線がそこで止まる。
自分が小学1年生だったとき、同級生の中に吃音のある男子がいたのだ。
色白で涼やかな目を持つ、綺麗な字を書く子だった。
濃い鉛筆の芯を太めに削り、ノートのマス目に整然と並べられた平仮名の美しさには憧れに近い気持ちを抱いた。
自分が通った幼稚園のそばに住んでいて、その家に遊びに行ったことがあった。足が速くて、鬼ごっこをしてもすぐにつかまった。
彼自身、その当時は、自分の吃音癖をハンディには感じていないようだったが、その6年後、中学1年で隣同士のクラスになったときは、ちょっと様子が違っていた。
技術家庭科の男子二クラス合同授業で、中年教師から教科書の朗読の指名を受けた時、彼は困ったような表情を浮かべ、それに応じなかった。教師は、その後も朗読するように繰り返し命じ、それに従わない彼に対して、ついには怒りを顕わにし怒鳴り始めた。それでも、彼は黙ったままだ。教室全体が凍り付く。
ある生徒が、横からおずおずと声を発した。
「あのう…、どもるんです」
「どもるなら、どもるち言わんか!」
教師は火が付いたように猛り狂っていた。重松のその短編小説は、まるで、その時の彼の心中を描き出したような内容だった。
再び、文庫本に視線を落とし、続きを読み始める。
すると今度は、キリスト生誕を歌った「きよしこの夜」という短編に行き当たった。
そこでまた思い出す。
幼稚園の学芸会で、キリストの生誕を描いた演劇が演目として取り上げられ、自分はその中で羊飼いの役を与えられた。
「わたしは小さな羊飼い」そんな歌詞の歌を歌いながら3~4人が列を成して舞台を横切る。登場シーンはわずかにそれだけだったのが大いに不満だった。
さらに、その小説では、3才になる最初の記憶に関するエピソードも登場した。
自分の最初の記憶も、3歳になる少し前まで住んでいた鷹師町にいた頃のことだ。
そして、章の終わり近くに、こんな1行。
「誕生日は3月。少年は7歳になる」
自分も3月生まれで、3月で7歳になった。
こんな具合に、小説と実体験が、次から次へとごちゃ混ぜになり、どうにも集中できない。
読み進むことに困難を覚え、ページを閉じた。
視線を上げると、その先にマガジンラックが置かれていて、なぜか、その中の一冊が気になった。
その薄いローカル情報誌を手に取って開いてみると、そこには行きつけの衣料品店の広告が掲載されており、顔見知りの若い男性店員2人が、フォトモデルとして使われていた。
彼らに、偶然出くわしたようなおかし味を感じて、しげしげと見ていると、視界の端に、診察室から出てきた看護師さんの姿が見えた。
― あ、自分が呼ばれる… ―
「受付番号76番でお待ちの方」
