「ペンネームは殺人芸術家」第2章:若き日の甑島旅行③
目覚めると、悪天候はすっかり治まっていて、平穏な朝を迎えることができた。青空の下、水飲み場で顔を洗いながら、僕らは安堵感に包まれていた。
三人で、口々に前夜のことを振り返りつつ、村長さん宅へと向かい、公民館を貸してくれたことへのお礼を述べた。
その後、僕らは海岸線を目指した。二日目は、自分たちで準備したテントを張れる場所を探さなければならない。僕らが求めていたのは「人目につかない静かで平坦な砂浜」だった。
緑の自然に抱かれた細い小路や、畑の横をすり抜けながら、たまに土地の人と擦れ違った。そのたびに挨拶される。麦わら帽子を被った男性からも、野良着にもんぺスタイルの姉さん被りの女性からも、
「こんにちは」
と声を掛けられ、軽く会釈される。
令和の現在では、鹿児島の都市部でも、知らない学童から挨拶されるのは珍しいことではないが、その頃は、知らない人には挨拶しないのが普通だった。だから、挨拶されても、ただ違和感だけがあり、人違いでもしているのかと思ったくらいだ。
だが、擦れ違うたびに、必ず挨拶される。
そこでようやく気が付いた。
「挨拶されたら、こちらも挨拶したほうがいいね。たぶんここでは、それが習慣になってるんだよ」
最初に気付いたのは濱村君だった。
「そうだね。俺たちも挨拶しよう」
それからは、三人とも、人と擦れ違う瞬間を待ち望むようになった。
「こんにちは!」
大きな声での挨拶を、無邪気に楽しむティーンエイジャーたちであった。
最初に見つけた砂浜は、道路から見ると段差があり、人目に触れる心配もなさそうで、テントを張るには打ってつけだと思われた。
どこから辿ればそこに行けるか…。
流行る気持ちを抑えつつ、そこへの道筋を探し始めた。
ところが、どこをどう突いても、降りて行けそうな足場など見つからない。
人通りから完全に隔離されている陸の孤島状態だ。
だからこそ、そこにテントを張れるならば、最高だと思えたのに、そこに行けないのならしょうがない。
というわけで、その絶好のキャンプ地を諦め、僕らはその場を後にした。
次に見つけたのは、波打ち際から近い砂浜。人目に着く場所ではあったが、その他に好条件の場所は見つからなかった。
背負っていたリュックをおろし、テントを立て始めた。浜には小石が多く、杭を打ち込むのに苦労して、少し苛立っていた。
そこに、日焼けした中年男性がやってきた。ランニングシャツに作業ズボン。それだけで、僕らにとっては違和感ありだ。
作業中の僕らに近付き、少し腰をかがめ、黙ったまま物珍し気に覗き込んできた。
― なんか変なオヤジだな ―
口にこそ出さなかったが、僕ら三人、全員が心の中でそう思っていた。
するといきなり、
「テントを張るのも大変だな」
いかにも呑気そうな、独特の土地訛りで話しかけてきた。
返す言葉など見つからない。人が苦労しているのをからかっているのかと思った。
― いいから、はやくあっちへ行けよ ―
オヤジが気になり、気が散って作業に身が入らない。
そんな人の気持ちなどお構いなしで、じーっと覗き込んでいる。
― 一体、何考えてるんだろう・・・ ―
そう思っていると、
「風呂はいりに来んか?」
と、ひと言残して去って行った。
言葉の抑揚が鹿児島市と大きく違っていて、僕らの耳には、妙にすっとぼけて感じられた。
バカにされているとしか思えず、心の底からムカついていた。
「いきなり、風呂入りに来んかって・・・、何だよあれ?」
「最初に『こんにちは』ならわかるけど、のっさりとやって来て、いきなり『風呂入りに来んか』だよ。変なオヤジだよ」
なんとかテントを立て終わると、海パンに着替え、ゴムボートで海に繰り出した。
青く透明な水に大喜びしながら、浅瀬から少し離れ、ボートから足を踏み出した。
海底に並ぶ小石がはっきり見えていたので、たぶん腰ぐらいの高さだろう。そう思って、気楽に踏み出した。
驚いた。
まったく足が立たない。
ブクブクブク・・・、底に届かないばかりか、さらに沈み込んで行く。慌てて手足をばたつかせた。
やっとの思いで海面に浮上し、
「びっくりした~、めっちゃ深いぞ」
青く澄み切った海水に、すっかり騙されたのだ。底がはっきり見えているのに、背が立たないほど深いなんて、それまでの常識を遥かに超えていた。
こんなきれいな海など見たことがない。もうそれだけで、ずーっとハイテンションのまんま、泳ぎまくった。
砂浜で大声を出すと、対岸に跳ね返り、山彦となって跳ね返って来た。海だから海彦って言うんだろうか。
その声は、すぐには返って来ない。一呼吸おいてから、まるで誰かが人まねしているかのように跳ね返ってくる。それが面白くて、繰り返し何度も大声を出し続けた。
海岸沿いの、ここから少し離れた場所から、若者たちの歓声が聞こえてきた。その声に誘われるように、小走りで近づいてみると。ボートを繋ぐ簡易な船着き場の中へ、沖の方から魚のような生き物が迷い込んで来たようだった。皆の視線の先を追ってみると、そこには長さ四、五十センチ程度の黒っぽい生き物がまっすぐに泳いでいる。
中学生ぐらいの日焼けした男の子が、銛を掴んだまま飛び込んだ。そして見事に一突きで仕留めた。獲物はイカだった。
周囲から歓声があがる。
その光景に、僕らの目は釘付けになっていた。
鮮やかだった。
