見出し画像

産業医面談で大丈夫と言われた日-あの言葉の裏側を、僕はずっと考えている【1話:産業医のあの日シリーズ】

※ 本記事のエピソードは、複数の事例をもとに再構成したものであり、特定の個人・企業を描いたものではありません。


面談室のドアが開く音は、いつも同じようで、毎回少しだけ違う。
勢いよく開ける人がいる。遠慮がちにノックしてから、こちらが「どうぞ」と言うまで待つ人がいる。ノブに手をかけたまま数秒止まって、それからようやく開ける人もいる。その音だけで、僕はなんとなく「今日の面談」の輪郭を予感する。
ある製造業の会社で産業医をしていた頃のことだ。午後2時の面談枠に、30代の男性社員がやってきた。上司からの紹介で、最近少し様子が気になるということだった。

面談室は狭い。机を挟んで向かい合うと、椅子の距離は1メートルもない。窓はあるけれど、ブラインドが半分下りていて、午後の光が細い線になって床に落ちている。空調の音がかすかに聞こえる。面談のある日は、僕はいつもこの部屋に少し早く入って、空気を確かめるようにしている。

彼は椅子にまっすぐ座って、僕の目を見た。背筋は伸びていた。ネクタイもきちんと締まっていた。少し間があった。壁掛け時計の秒針の音が、やけにはっきり聞こえる。

「最近、調子はどうですか」

僕がそう聞くと、彼はほとんど間を置かずに答えた。

「大丈夫です」

声のトーンは穏やかだった。表情も落ち着いていた。でも、彼の視線が一瞬だけ、僕の肩の向こう──窓の方に逸れたのを、僕は見ていた。その一瞬に、言葉にならない何かが滲んでいた。

──また、この言葉だ。

産業医を何年かやっていると、「大丈夫です」という言葉を数えきれないほど聞く。面談の冒頭で、こちらが何かを聞くより先に、真っ先にこの言葉が出てくることも珍しくない。まるで、面談室に来る途中の廊下で、何度も練習してきたみたいに。

彼にとってこの部屋は、「呼び出された場所」だ。自分から来たかったわけではない。上司に言われて、仕方なく来た。その前提を忘れてはいけないと、僕はいつも自分に言い聞かせている。


「大丈夫です」と言う人には、いくつかのパターンがあると僕は感じている。

一つ目は、本当に大丈夫な人だ。声にも表情にも余裕がある。「最近ちょっと忙しいですけど、まあなんとかやってます」と、自分の言葉で状況を説明できる。身体の力も抜けていて、椅子にゆったり座っている。こういう人と話すと、こちらも自然と安心する。ただ、正直に言えば、面談に来る人のなかでこのパターンはそこまで多くない。

二つ目は、自分でも気づいていないけれど、限界に近づいている人だ。
「大丈夫です」の言葉と、身体が発しているサインがずれている。声は明るいのに、目の下にくっきりとクマがある。話しているうちに、同じ話題をぐるぐると繰り返すことがある。「よく眠れていますか」と聞くと、「まあ、普通です」と答える。でも「普通って、何時間くらいですか」と重ねると、「3時間くらいですかね」と返ってくる。「普通」の基準がすでにずれていることに、本人は気づいていない。こういう人は、本気で自分は大丈夫だと思っている。だからこそ、難しい。「あなたは大丈夫じゃないですよ」とは言うことは難しい時が多い。信頼関係がないタイミングでそう言った瞬間、信頼関係が壊れもう二度本当のことを話してくれなくなることもあるのだ。

そして三つ目。これが一番多い。
気づいている。自分がしんどいことに、ちゃんと気づいている。でも、「ここでは言えない」と判断している人だ。
なぜ言えないのか。
理由はさまざまだけれど、僕が面談の中で感じてきたものをいくつか挙げると──「休んだら査定に響くんじゃないか」という不安。「弱い人間だと思われたくない」というプライド。「産業医って結局、会社側の人間でしょう?」という不信感。面談の内容が上司に筒抜けになるんじゃないかという疑い。

そして最後にもう一つある。「言ったところで、何が変わるんですか」という、静かな諦めだ。
この諦めが、一番こたえる。
産業医として僕にできることは、実はそんなに多くない。人事権があるわけでもない。上司を変える力もない。職場の空気を一夜で変える魔法も持っていない。それでも、目の前に座ってくれた人の「大丈夫です」の奥にあるものを、なんとか受け取りたいと思っている。
言葉だけを聞いているわけではない。声のトーン。視線の動き。椅子に座るときの姿勢。指先が膝の上で小さく動いていること。面談室に入ってくる前に、廊下で一度立ち止まったかどうか。僕はそういうものを、見ている。


じゃあ「大丈夫です」と言われたとき、僕はどうするのか。
正直に言えば、正解が今でもわからない。
「もう少し聞いてもいいですか」と、一歩だけ踏み込むこともある。何も言わずに、沈黙を待つこともある。
沈黙というのは、面談室では独特の重さを持つ。5秒。10秒。時計の針が進む音だけが聞こえる。僕のほうが先に耐えきれなくなりそうになる。でも、そこを我慢していると、ぽつりと「実は──」と言葉がこぼれることがある。その瞬間が来ると、僕の中で何かがほどける。ああ、待ってよかった、と思う。

でも、来ないこともある。「大丈夫です」のまま、面談が終わることもある。「何かあったらいつでも言ってくださいね」と伝えて、相手が部屋を出て行く。そういう日は、面談室のドアを閉めたあと、しばらく椅子に座ったまま動けなくなる。「あのとき、もう一歩踏み込んでいたら、何か変わっただろうか」と考える。

逆のこともある。踏み込みすぎて、相手の顔がこわばった瞬間。目の前の空気が、一瞬で冷たくなる。「すみません、ちょっと聞きすぎました」と謝りながら、自分の未熟さを痛感する日もある。踏み込むべきか、待つべきか。そのさじ加減に、いまだに正解が見えない。
偉そうなことを書いているけれど、僕自身も「大丈夫です」と言ってしまう側の人間だ。

忙しい時期に同僚から「最近どう?」と聞かれて、反射的に「大丈夫です」と返したことがある。言った瞬間、面談室で向かい合っている相手の顔が頭をよぎった。ああ、この感覚か、と思った。相手の心配を受け取る余裕がないとき、人は「大丈夫です」で蓋をする。それが自分にも当てはまるのだと、身をもって知った。

「大丈夫です」と言いたくなるのは、弱さではない。その場を穏便にやり過ごしたい、自分の内側をこれ以上さらしたくない、という防衛反応だ。それは僕も同じだった。産業医だからといって、人の心の機微にいつも正しく対処できるわけではない。面談のあとに自分の感情を持て余して、誰にも言えないまま帰りの電車に乗ることだってある。


あなたは最近、誰かに「大丈夫です」と言いましたか。
あるいは、誰かから「大丈夫です」と言われたとき、その言葉の奥にあるものを、少しだけ想像したことはありますか。
面談室のドアを閉めたあとも、僕はあの声のトーンを考え続けている。


職場で「本当のことが言えない」空気と、雑談の関係について書いたシリーズがあります。よかったらこちらも読んでみてください。
「雑談を耕す」シリーズ
産業医の日常を物語として描いた創作シリーズもあります。 → 「白衣を脱ぐとき、世界は動き出す」シリーズ
#産業医 #休職 #メンタルヘルス #復職 #心理的安全性 #働き方

いいなと思ったら応援しよう!

Takahiro@ms よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!