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画面越しに見えなくなったもの──オンライン面談で僕が失ったもの【第19話:産業医のあの日シリーズ】

※ 本記事のエピソードは、複数の事例をもとに再構成したものであり、特定の個人・企業を描いたものではありません。


画面に映っているのは、胸から上だけだ。


背景はバーチャル壁紙。自宅のリビングらしき部屋を、淡いグレーの壁が覆い隠している。表情は見える。声も聞こえる。「最近どうですか」と僕が聞くと、「大丈夫です」と返ってくる。いつもの言葉。いつものやりとり。


でも、何かが足りない。


面談室の空気がない。ドアを開ける音がない。椅子に座るときの姿勢が見えない。指先が膝の上で動いているかどうか、わからない。1本目で書いた「声のトーン、視線の動き、椅子に座るときの姿勢」──対面の面談で僕が頼りにしている情報の大半が、画面の外にある。


オンライン面談が当たり前になったとき、僕は便利になったと思った。移動時間がなくなった。面談枠を柔軟に組めるようになった。在宅勤務の社員にも、わざわざ出社してもらわずに面談ができる。制度としては、間違いなく進歩だ。


でも面談を重ねるうちに、少しずつ気づいた。僕が見落としているものが増えている。


オンライン面談で失われるものを、具体的に書いてみる。


まず、身体全体の情報。対面であれば、面談室に入ってくる歩き方から情報がある。歩幅が狭い。肩が内側に入っている。座ったときに脚を組む、あるいは両足をぴったり揃える。手をテーブルの上に出している、あるいはずっと膝の下に隠している。こうした身体言語は、本人すら意識していない情報を伝えてくれる。画面越しでは、首から上の表情しか見えない。


次に、沈黙の質。1本目で「沈黙には独特の重さがある」と書いた。対面の沈黙は、共有された空間の中で起きる。二人が同じ空気を吸い、同じ時計の音を聞いている中での沈黙。それには密度がある。オンラインの沈黙は違う。回線の問題なのか、考えているのか、感情が溢れそうなのか、区別がつきにくい。「あ、すみません、聞こえてましたか」という確認が入る。あの瞬間に、沈黙が持っていた意味は壊れる。


そして、面談の「前後」の情報。対面であれば、面談室に来る前の廊下での様子がわかることがある。少し早く来てドアの前で待っている人。ぎりぎりに駆け込んでくる人。面談が終わったあと、すぐに立ち上がる人と、少し座ったままの人。この「前後」が、面談本体と同じくらい多くのことを教えてくれる。オンラインでは、「接続しました」で始まり、「切断しました」で終わる。前後の余白がない。


在宅勤務者の面談には、さらに独特の難しさがある。


出社していれば、面談以外の場面でもその人を見る機会がある。巡視で姿を確認する。廊下ですれ違う。食堂で見かける。そうした偶発的な接触が、面談の合間の「見守り」になっていた。17本目で書いた巡視もそうだ。歩いて見ることで、面談では見えないものを拾える。

在宅勤務者にはそれがない。月に一度のオンライン面談が、文字どおり唯一の接点になる。面談と面談の間に何が起きているかは、本人が話してくれない限りわからない。上司に聞いても「チャットでは普通にやりとりしていますよ」という答えが返ってくる。チャットの文面が「普通」であることは、本人が「普通」であることを意味しない。テキストは表情を持たない。

ある在宅勤務者との面談で、こんなことがあった。画面では笑顔で話していた。「在宅のほうが集中できて助かっています」と。でも話を聞いていくうちに、一日中誰とも声を出して話していないことがわかった。同居家族はいるが、帰宅は遅い。業務のやりとりはすべてチャット。「声を出して話すの、今日が3日ぶりです」と笑った。笑っていたけれど、僕は笑えなかった。

孤立は目に見えない。特にオンラインでは。画面の中では「つながっている」ように見える。チャットに返信がある。ミーティングにも出ている。でもそれは「接続されている」のであって、「つながっている」のとは違う。

では、オンライン面談をどうすればいいのか。対面に全部戻せばいいのか

そう単純な話ではない。在宅勤務の選択肢があること自体は、メンタルヘルスにとってプラスに働くことも多い。通勤のストレスから解放される。自分のペースで仕事ができる。体調が不安定な時期に、出社のハードルを下げられる。「対面恐怖症」などの仕方がないときに復職支援の中で「週3在宅から始めましょう」という提案が有効なケースもある。


僕が変えたのは、オンライン面談のやり方だ。


最初に「今日の体調を10点満点で教えてください」と聞くようにした。数字は正確ではないが、回を重ねると変化が見える。先月7と言っていた人が今月4と言ったら、何かが起きている。


カメラの画角を広げてもらうこともある。「よかったら少し引いてもらえますか」。机の上が見える。部屋の明るさがわかる。散らかっているかどうかがわかる。生活の状態が、少しだけ見える。これは強制ではなく、信頼関係ができてからの話だ。


面談の最後に1分間、雑談を入れるようにもした。「最近何か楽しいことありましたか」。対面なら面談室を出る前の立ち話で自然に生まれる会話を、意識的につくる。この1分間に、面談全体では聞けなかった本音がぽろっと出ることがある。


それでも、失われたものは大きい。画面越しに感じ取れる情報は、対面の6割くらいだと僕は感じている。残りの4割を、質問の工夫や面談の構成で補おうとしている。完全には補えない。でも、補おうとすることをやめたら、オンライン面談は単なる「定期チェック」になってしまう。

そしてもう一つ、オンラインだからこそ意識していることがある。


本当に深刻なケースでは、僕とその人の1対1にしない。本人の同意を得たうえで、現場にいる保健師に同席してもらう。場合によっては人事担当者や上司にも入ってもらう。


これには「複数の目で見る」という意味もあるが、もう一つ大事な理由がある。上司や人事が、本人の状態を直接聞く機会になるということだ。


僕が面談で聞いた内容を、あとから人事に伝えることはできる。でもそれは二次情報だ。僕というフィルターを通した報告になる。本人の声のトーン、言葉を選ぶときの間、涙をこらえる表情──そういうものは、報告書には載らない。上司や人事が同席して、本人の言葉を直接聞くのと、僕の要約を聞くのとでは、受け取るリアル感がまるで違う。


だから、本人が同意してくれるのであれば、必要な場面では同席をお願いするようにしている。もちろん、本人が嫌がるなら無理にはしない。でも「一緒に聞いてもらったほうが、あなたの状況が正確に伝わりますよ」と説明すると、意外と「そのほうが助かります」と言ってくれることも多い。自分一人で上司に説明するのはつらくても、産業医の面談の場でなら話せる、ということもある。


オンライン面談の弱点を、僕一人の工夫で補うには限界がある。だったら、見る目を増やす。そして、関係者が一次情報に触れる場をつくる。それがオンライン時代の産業医の動き方なのだと、僕は思っている。

面談は「見る」仕事だ。見えないものが増えた時代に、何を見ようとするか。そして、誰と一緒に見るか。それが問われている。


面談で僕が「見ている」ものについては、この連載の出発点で書いています。

→ 「産業医面談で「大丈夫です」と言われた日


職場の「見えない変化」を拾う巡視のことは、前回の記事で。

→ 「巡視で気づいた、誰も言わなかった変化


#産業医 #リモートワーク #オンライン面談 #メンタルヘルス #産業医のあの日 #働き方

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