やりがいを優先して選んできた人生
「やりたいことを仕事にしよう」
そんな言葉を信じて、私は転職を繰り返した。
IT会社を辞め、広告制作会社へ。
働き方を変えようと子ども向けサービスの会社へ。
そして、もう一度広告制作会社へ。
給料は上がった。
仕事も楽しかった。
それでも私は、仕事を続けられなかった。
何度転職しても、私が選び続けていたものは同じだった。
"やりがい"
そして失っていたものも同じだった。
"自分の心と体"
これは転職の成功談でも失敗談でもない。
「好きな仕事」と「長く働ける仕事」は同じなのか。
何度も転職した私がようやく気付いた、一つの答えがここにある。
最初に入社したのはIT会社だった。
「つくること」と「提案すること」が両方やれると分かったからだ。
プログラマーとしてスタートし、システムエンジニアとして成長。
顧客対応の経験も増え、仕事自体には大きな不安はなかった。
しかし、常駐先の上司とはうまく関係を築けず、話しかけても返事が返ってこないこともあった。同期は仕事が思うように出来ていなくても評価される一方で、自分だけが評価されないことに悩んだ。
改善を試みても状況は変わらず「自分がダメなのか」と自分を追い詰める日々だった。
別の常駐先への移動を願い出たこともあったが、通らなかった。
そんな時、ふと「昔は広告業界に興味があったな」と思い出した。
小さいころからチラシや交通広告のデザインを見るのが好きで憧れていた。
デザイナーの道は諦めたが、やはり関わる仕事はしたいと思った。
新しい可能性を考えただけで少し気もちが楽になった。
逃げなのではないかという気持ちもあったが、前を向きたいという気持ちから、
広告業界への転職を決意した。
後から知ったのは実は上司は女性が苦手だっただけということ。そして異動希望もあまり本気にしてもらえていなかったこと。
今思うと会社の制度や先輩との関係も悪くなくよい会社だったかもしれない。
あの時一度立ち止まり、別の行動をしていてもよかったのかもしれないとは思う。
やりたいことと、やりがいを重視して広告制作会社に転職をした。
未経験の分野でも挑戦できる環境で、毎日が刺激的で充実していた。
特にWEBサイト制作においては、会社としても経験がない案件だった。
社内の人はわかる人が居なかったから聞くことができず、途方に暮れていた。
しかし、有識者のパートナーさんがとても親切で沢山の質問にも丁寧に答えてくれたので、
分からないなら1つずつ理解していけばいいというスタンスになれた。
また、クライアントにも恵まれ、健全なやり取りが出来たので、無事に業務を成し遂げることが出来た。会社初のWEB実績になったこともありとても達成感のある仕事だった。
この仕事を通して、「“分からない“を言い訳にせずに向き合うこと」の大切さを学んだ。
また、WEBドラマの撮影現場に立ち会いをする機会もありとても新鮮だった。
最終的には1つのカットしか使わないのにあらゆる角度から何度も同じカットを撮影していたりして、こういうものなのだなと学びになった。
キャンペーンの仕事も楽しかった。自分で考えた企画がそのままキャンペーンの形になり、
応募者募集からプレゼントまでを一貫して担ったのはとてもやりがいだった。
しかし深夜や休日の業務が増え、体とメンタルへの負担は大きくなっていった。
夜中にカップラーメンをスープを入れ忘れたまま寝ぼけながら食べ、朝起きて使われていないスープを見てハッとしたこともある。
やりがいさえあれば何とかなると思っていたが、
そうではないということを身をもって体感した。
また、「長く」働くという視点を欠けていたことにも気づいた。
このまま年まで働けるかと考えた時に無理だなと感じ、長く働ける環境で働きたいと転職を決意した。
身体に負担がくるのは避けたいが、企画・制作に携わり続けたいとは思っていた。
そこで次に選んだのは、福利厚生や働きやすさを重視した子供向けサービス会社だった。
新規事業を経営陣と始めるということで、「やりたい!」と思ったことと、
面接をしてくれた部長と「働きたい!」と思ったことも大きくある。
面接では、未経験だった業界なので、どう自分の良さを伝えるか悩んだ。
しかし、「”分からない”を言い訳にしない」というスタンスと実際の行動・結果をしっかりと伝えることで、乗り越えることが出来た。また、未経験ながらも年収の保証にも成功することができた。
新規事業は子育て世帯をターゲットにしたサービスを行うということで企画や制作に携われると思っていた。
しかし、実際は異なっていた。
面接をしてくれた部長は上司ではなく、部署も想定と違う部署へ配属となった。
人が不足している部署で、立て直しが必要だったのだ。
「半年後には新規事業を始めます」と言われていた。
私はその言葉を信じていた。でも半年たっても新規事業を行う様子は少しもなく、「あれ?いつになったらやりたいことが出来るのだろう」と思った。
とにかく現状が改善されないと出来ないのだろうと察しはしていた。
既存の課題が多く見受けられ、改善をしていくのにとても労力を使った。
途中から主任という肩書もついたが、課長の役割も多少担うことになり、他部署との交渉も行うようになった。
営業のプレイヤーとして動き、先輩として後輩を面倒見、主任として数字管理や教育等を行い、課長代理として他部署との交渉を行うのはとてもハードでメンタルにもきていた。
そして、私は初めて「双極性障害」を発症した。
ストレスが原因で鬱もあったが、考えがあふれ出してとまらない、現実と考えが混在してしまう「躁状態」になり入院したのだ。
自覚はなかった。今振り返ると、その時は携帯を叩く速さが異様に早く、新しい機能も使いこなしていた。そして早口になり行動的でもあった。
それでもその時、自身の異変に気付くことはなかった。
発症したときには既に仕事は辞めていた。
新しい仕事は見つけていたが入院中に連絡が取れなかったことで白紙になってしまった。
退院後、改めて仕事を探した。
早く仕事を探さなければ経歴としても空き時間の説明がしづらくなるので焦っていた。
もう企画の仕事は出来ないのかなと思ったりもしたが、やはりやりたい気持ちが抑えられなかった。この頃の自分は病気のことを甘く見ていたこともある。
福利厚生等で選んでも、やりたいことが出来ないなら意味がない、
そう思い、再度「広告制作会社」に入社することにした。
会社理念や行動指針にとても共感したので、ここであれば、部署がどうであれ
意志をもって長く働けるであろうと思った。
薬で「躁状態」にならないように脳の働きを抑えたため、
仕事で頭が働くか不安はあった。
だが幸い最初に配属されたのは、学生ノリでゆるく、
チームメンバーで協力して案件を進めるスタイルのチームだった。
1人の負担が大きくないので気負いせず、退院後の私にとってはとてもちょうどよかった。
しかし、結果を出せていなかったのでほどなくしてチームは解散し、
新しく顧客先への常駐が決まった。
そこでは、まず既存案件を引き継いでいった。
引継ぎ案件なのでやることも決まっており安心感があった。
そして徐々に顧客との関係性も出来てきてから、新しい案件も増えていった。
企画や制作管理が本当に楽しかった。
自分が考えた企画が形になる、デザイナーさんと一緒に何度も出し戻ししたデザインが世にでる、そういったことが、やりがいになっていたのだ。
クライアントに「この企画いいね」「このデザインいいね」と褒めてもらえる快感はたまらなかった。
そしてどんどんのめり込んでいった。
気づけば残業時間が増えているようなり、必然と睡眠時間が減っていた。
そして、ある年度末にマネージャーが辞めた。
マネージャーの仕事を私が行うことになったがプレイヤーの仕事も年度末の忙しい中引継ぎが出来ず抱え込むことになってしまった。
さらに新人二人の教育や新年度に向けたコンペ対応、採用活動とやることは山積みで
気づけば家に持ち帰って夜中まで仕事をしていた。
ただ、楽しかった。今だけだから乗り切れると思った。
何とか乗り切れた。そのタイミングで歓迎会を行った。
そこでアルコールを飲んだのがいけなかった。
次の日には「躁状態」になっていた。再発だ。
歓迎会の帰り道は普通に帰っていた。大丈夫だと思っていた。
それでも朝起きたらダメだった。
その後、記憶は曖昧だが結果入院することとなった。
そして初めて病気のことを受け止めざるを得なかった。
薬を一生飲み続けなければいけないと医師に言われた。
薬を飲んでいなかったから再発したのもあると言われた。
薬を飲んでたら、楽しかった仕事がそのまま続けられたのかと思うと、
アルコールを口にしなかった・・・と思うととても悔しかった。
仕事も退院後に復職したものの、頭の働きがよくなく、企画を考えることが出来なかった。
普段ならいくつもアイデアが浮かぶところが、1つもアイデアが浮かばないのだ。
それに対して「考えるのがあなたの仕事だ」と言われ、もう続けることは出来ないと思い、やめることにした。
ずっとやりがいを求めて働いてきたが、
結局何度も同じような理由で辞めてしまっている自分がいる。
そこで、一旦やりたくもないけれど、ただ近いというだけで
惣菜屋のパートの仕事をすることにした。
しかし現実は思っていたより甘くなかった。
惣菜作りは時間との勝負だった。
決められた時間までに商品を並べなければならない。
私は丁寧にやろうとするあまり、作業が遅かった。
「まだ終わってないの?」「もっと早くして」と言われることも多々あった。
やりがいのある仕事ではなくても、仕事には仕事なりの難しさがある。
「楽な仕事なんてないんだな」と改めて実感した。
また、自分の得意が全く生きない仕事もあるのだなと感じ、
何も生かせていないことが辛かった。
ただ、向いていることでも好きなことでもないので、まったくやりがいはなく
のめりこむこともない。
そのためか、逆に体調は安定していた。
今は人間関係のこじれから、さらに転職して別のパートを行っているが、
自分の弱みや限界にも目を向けた上で選択することが必要だと、今だから言える。
今は以前のような働き方はしていない。
以前の私は、仕事が人生だった。
やりがいがある仕事をしていない自分には価値がないとすら思っていた。
でも今は違う。
無理なく働いて、友人と遊んだり、夫と過ごしたり、創作をしたりする時間がある。
そんな時間も、今の私は意外と楽しめている。
それでも、ときどき思う。
「やっぱり企画の仕事がしたい」と。
以前のように、やりがいだけを追いかけることはもうしない。
それでも、自分の得意を少しでも生かせる仕事には、また挑戦してみたいと思っている。
振り返れば、私はずっとやりがいを優先して仕事を選んできた。
その選択を後悔しているわけではない。
これまでの経験があったから、今の私がいる。
ただ、もしもう一度選べるなら、やりがいだけでは選ばない。
心と体が元気でいてこそ、やりがいは続いていく。
やりがいは、人生を豊かにする大切な要素の一つだ。
でも、それがすべてではない。
私はようやく、その当たり前のことを、自分の人生で学んだ。
