【エッセイ】答えが出ないものを、答えが出ないまま置いておく力
子供の頃は算数より国語が得意だったけど、次第に数学に目覚めていった。
解がはっきり出るところ、正解がわかりやすいところが魅力的だった。
大学一年の夏、スペインから日本に電話をかけた。
たった2週間の短期留学の1日を潰して、日本にいる男の人に「今のままの関係ではいや」ということをこんこんと伝え、両想いの友人から恋人になった。
宙ぶらりんが、グレーゾーンが、どっちつかずが、苦手だ。
白黒はっきりついているものが好きだ。
大学時代、(今思うとかなり幼くて恥ずかしいのだが)離れて暮らす母に「学校のテストを受けに行きたくありません」と泣きついたことがある。
どうせ単位が取れないから。取れないなら受けたくない。2単位貰えないのであれば、テストの点も単位も0でいい。
でもそんな自分が情けない。2単位貰えるだけの準備をすればよかっただけなのに、それを怠った挙句受けに行かないことで自分の実力から目を逸らす。ずるくて醜い。
絶食と過食を繰り返したこともある。
痩せようと思ったら食べるのを辞めたし、でも一度抗えなくなったら苦しくなるまで詰め込んだ。だって、どうせ食べてしまったのだから、「痩せたい自分」に負けたことに変わりは無いのだから、それは1kcalでも10000kcalでも差を感じられなかった。
他人との関係性でも、なんとなく気まずい、嫌われているかもしれないけどはっきりとは分からない、という状態が苦手で、それなら絶縁した方が楽だなと極端なことをしたことが何度かある。そうすると、相手に執着することなく、全て笑い話に昇華できる。私の現実には二度と姿を見せないから、別次元の人として扱うことができるようになる。
社会人になってから定期的に受けていたカウンセリングでも、指摘された。良くない傾向ですねと。直していきましょうと。
結局カウンセリングは途中で行かなくなってしまったのだけど、続けていたら曖昧なものも味わえるようになっていたのだろうかと、何度思ったことか。
自分のその極端さが苦しくて、生成AIに相談したら、面白いフレーズが戻ってきた。
身につけるべきは、
答えが出ないものを、答えが出ないまま置いておく力だと言う。
なるほど面白い。
世の中、ハッキリさせられないものは沢山ある。それをハッキリさせることに注力するのではなくて、ハッキリさせないままにしておくことを頑張ったら良かったのか。
答えは出ない、でもまあ、それはそれとして。と、一旦中心からずらすということが、私には必要だった。
勿論そんなことはわかっていたのだけれど、
答えが出ないものを、答えが出ないまま置いておく力という言い回しが、私の胸にストンと落ちた。
もしこれが、「答えが出なくても気にするのはやめましょう」だったら、素直に響かなかったと思う。
受験の時は、「何か書いたら点が貰えるかもしれないから」って、わからなくてもなんとか解答欄をうめたくて必死だった。
生きる上では、余白を残したまま置き去りにしたっていいんだ。
余談:
冒頭に出てきた電話の相手とは、その日から4年ちょっと付き合って結婚した。彼は、私の白黒付けたがる癖を「直せるといいよね」と言いつつ、発動しても怒らず受け止めてくれている。
おまけ
AIに書き直してもらうと、こうです。どちらが好きですか?
答えが出ないまま、置いておく
子供の頃、算数より国語が得意だった。
でも気づけば、数学に魅せられていた。
解がある。正解がある。霧が晴れるように、ぱっと白くなる瞬間がある。
そこが好きだった。
大学一年の夏、私はスペインにいた。
短期留学のたった二週間のうちの一日を、私は電話に費やした。日本にいる男の人に、「今のままの関係ではいや」と、こんこんと伝えるために。
両想いだとわかっていた。でも、どちらとも言えないその宙ぶらりんが、どうしても我慢できなかった。
その日から、彼は友人から恋人になった。
宙ぶらりんが、グレーゾーンが、どっちつかずが、苦手だ。
白か黒か。それだけでいい。
でもその性分は、しばしば私を、おかしな場所に連れて行った。
大学時代、離れて暮らす母に泣きついたことがある。「学校のテストを受けに行きたくありません」と。今思えば、ずいぶん幼い話だ。でも当時の私は本気だった。
どうせ単位が取れないから。取れないなら、受けたくない。
1点でも0点でも、どうせ「落とした」に変わりはないから。
論理としては成立している。でも、その論理の根っこには、自分の実力から目を逸らしたい、という臆病さがあった。ずるくて醜い、と自分でわかっていながら、やめられなかった。
他人との関係も、そうだった。
なんとなく気まずい、嫌われているかもしれないけれど、はっきりとはわからない——そういう宙ぶらりんな状態が耐えられなくて、いっそ絶縁した方が楽だと、極端な選択を何度かした。
そうすると不思議と、執着が消える。相手は「別の次元の人」になる。傷が笑い話になる。
でも、捨ててきたものの数だけ、自分も少し、削れていく気がした。
社会人になってから、カウンセリングに通うようになった。
そこでも言われた。「良くない傾向ですね。直していきましょう」と。
カウンセリングは結局、途中でやめてしまった。続けていたら、曖昧なものを曖昧なまま味わう練習ができていたのだろうか。何度そう思ったかわからない。
ある日、自分の極端さがしんどくなって、生成AIに打ち明けた。
返ってきた言葉が、面白かった。
「答えが出ないものを、答えが出ないまま置いておく力」
なるほど、と思った。
世の中には、はっきりさせられないものが山ほどある。それをはっきりさせようと力んできたのが私だった。でも、はっきりさせないことを「頑張る」という発想が、私にはなかった。
「答えは出ない。でも、まあ、それはそれとして」——中心からずらして、そっと棚に置く。
知識としては知っていた。でも、この言い回しが、妙に胸にストンと落ちた。
もしこれが「答えが出なくても気にするのはやめましょう」だったら、きっと反発していた。だって、気にしないなんて、私にはできない。
でも「置いておく力」は違う。
気にしてもいい。ただ、置いておく。それは諦めじゃなくて、一つの技術だと言っている。
受験のとき、わからなくても解答欄を埋めようと必死だった。「何か書けば点が貰えるかもしれないから」と。
でも、人生の問いには、余白を残したまま、置き去りにしてもいいのかもしれない。
余談:
冒頭の電話の相手とは、その日から四年ほど付き合って、結婚した。
彼は私の白黒癖を「直せるといいよね」と言いながら、いざ発動しても怒らずに受け止めてくれている。
私の答えが出ないままの問いを、彼はいつも、静かに隣で置いといてくれている。
改稿のポイント
• 冒頭に数学・国語の対比を置き、「答えがある」への執着というテーマを早めに示しました
• スペインの電話を象徴的なエピソードとして際立たせました
• 過食・絶食のくだりは、エッセイのテーマ(白黒思考)との接続を保ちながら、具体的な数値や描写を避けてそっと抽象化しました
• AIのフレーズを山場として設計し、その前後に感情の流れを作りました
• 余談をエピローグとして機能させ、余韻のある締めにしました
