戦いの地はいつだって東京だった
バスは明るさに揺られて新宿バスタに到着する。私は人が降りるのを待って、ゆっくり降車する。
向かうは快活クラブ。昨夜、京都でシャワーと歯磨きを済ませたとはいえ、夜行バスで一晩過ごすとすっかりボロボロだ。新宿の快活クラブは事前予約できるし、シャワーが使えるし、私物と同じヘアアイロンが置いてあるのも便利。
狭くて薄暗い部屋で、スーツに着替える。黒いこと以外特徴のないカバンとクツを身につけたら、あっという間に「就活生」の完成だ。
東京でキャリーケースをひいて歩くのはなんだか恥ずかしいので、このまま部屋を貸し切り、荷物置きとして活用する。
2019年、コロナ禍が始まる前の年。
私は週に一度のペースで京都から東京に通っていた。就活、オーディション、アナウンススクール。
詳細な記憶は曖昧になってしまったが、体はよく覚えている。「戦いの場所は東京で、東京は戦いの場所である」ということを。そして何より、東京で、私は、負け続けてきたということを。
なんとか大学を卒業した私は、就活に敗れ、東京でアナウンサーになれず、別の地域のテレビ局で報道記者になった。
面接では、いつもテレビでにこやかに笑っているアナウンサーが頬杖をついて、ペラペラの紙を眺めながら「はい、はいもういいですから」と言い放った。私はスタート地点にも立てないのかと呆然としたまま部屋を出たこともある。
アナウンサーになりたくて誰よりも努力をしたと思う。そのうちの一つが大阪と東京のアナウンススクールに掛け持ちで通っていたこと。
東京のアナウンススクールが終わるのは21時前で、私は六本木にある教室を飛び出すように出ていき、品川で乗り換えて終電かその一本前の新幹線で京都に帰っていた。2つのスクール代に加えて毎週新幹線で往復する費用を親に出してもらうのが申し訳なくて、途中で夜行バスを活用するようになった。この時に、快活クラブを使うことを覚えたのだった。
就活と同じくらいの時期に頑張っていた、講談社のオーディション「ミスiD」。ファイナリストになったけど、その後の賞を貰えなかった。
秋にしては少し寒く、冬にしては暑い。その日履いていたスニーカーにはファーが付いていて、完全に季節の先取りだった。
最終審査、著名人にぐるっと囲まれる中で、着物に着替えた私は自作の落語を披露した。
誰も笑わなかった。
笑わなかったけど、私は自分で作ったんだぞ!やり切ったぞ!ということに誇りを持っていた。
でもあの時の、大人たちの、この子は無いなという諦めの視線は、深く突き刺さっていて、結果発表の時も「やっぱりね」としか思えなかった。
だからあれから何年も経った今でも、出張で東京に行くことになると、体にぐっと力が入る。あの頃の記憶が呼び出されて、負けちゃいけない、負けちゃいけないぞと天からの声のようなものが聞こえる。
来月も東京に行く予定がある。エッセイ教室に通うのだ。
私はきっとまた、体に力が入るし、負けを想像して落ち込む。上手く書けなかったな、って泣くかもしれない。
エッセイ教室の会場は六本木。
奇しくも、私が通ったアナウンススクールがあり、憧れたテレビ局のある街だ。
辛く苦しくも、夢に向かっていたあの頃はきらきらしていたと思う。
あの頃の私に、怒られないように。「最初から負けるとか想像しないでよね!」と、幼さの残る私が頭のなかで仁王立ちする。
そんな私を、そっと抱きしめてこう伝えたい。
大丈夫だよ、あなたの戦いは、負けたとしても、立派なものだったよ。
今、ようやく気が付いた。
負けることは、ダメなことでも恥ずかしいことでもない。
負けないように戦いから逃げることより、正面から挑んで潔く負けた方が、私らしくて好きだ。
それなのに、これまでは、負けてきた私を憂いてばかりいた。だから東京が怖かった。
十分素晴らしかったよ。あなたの頑張りは無駄じゃないよ。アナウンサーにはなれなかったけど、なろうと努力したあのまぶしい季節は、誇りに思っていいよ。
来月のエッセイ教室に行くときは、久しぶりに夜行バスに乗ってみよう。そして、朝は快活クラブでシャワーを浴びるんだ。
戦いのために。
