看護が、看護に戻るために——AIが医療現場に入るということ
今日のお題: 医療現場にAIが入ることで、看護師の仕事はどう変わると思う?
医療DXの議論は、ほとんどが「効率化」で止まっている。誰が何分短縮できるか、残業が何時間減るか、ベッドの回転率が何%上がるか——。
だが、この議論の延長線上に、医療の未来はない。
元看護師として、そして今は医療現場のAI導入を支援する立場として、私はまったく逆のことを考えている。そもそも看護とは何のためにあったのか——その問いに、もう一度まっすぐ向き合える時代が、AIによってようやく来る。
AIがすべてを代替した、その先にあるもの
たとえば、こんな未来を想像してほしい。
患者さんとの会話は、すべてパソコンと同期されて、そのまま看護記録に変換される。病室にはサーモグラフィーが完備され、ベッド上のバイタルデータが自動で収集され続ける。点滴の穿刺も、全身清拭も、シャワー浴の介助も、AI搭載ロボットがすべて担う。
そこまで業務が代替された世界で、看護師の仕事として最後に残るのは何か。
答えは「哲学」だ。看護観と言い換えてもいい。
いまの看護師の仕事は、どうしても医師の補助や技術的な側面が大半を占めている。だが、技術がすべて代替される時代には、いかに一人の人間として、目の前の「痛みのある人間」と深く向き合えるかが問われるようになる。
単に痛みを取り除くだけではない。その痛みが、患者さんの人生にどんな意味を持つのか。退院後の生活にどう影響するのか。観察と対話を通じて、患者さんが自分の人生に近づくためのサポートを導き出す——それこそが、看護師に求められる究極の仕事になるはずだ。
私の原点——実習で出会った、一人の患者さん
私がこの話をするとき、いつも思い出す患者さんがいる。
看護学生時代の実習で受け持った、パーキンソン病の方だ。私はその方の自宅の間取りに合わせた運動パンフレットを作成し、毎日のトレーニングを病棟スタッフに依頼して継続してもらった。1週間ほどで以前よりも体が動くようになり、退院後には「お風呂に入れるようになった」と聞いた。
このとき感じたのは、「看護を通して、誰かの人生に貢献できた」という、言葉にできない、言いようのない手応えと高揚感だった。
こういう手応えを持った人間が、それぞれの突き詰めたい看護を徹底できる世界——それが、私の思い描くユートピアだ。
技術的なタスクをAIが引き受けてくれるなら、看護師も患者も、「何を与えたいか」「どう生きたいか」「人生における価値は何か」という、本来大切にすべき部分に振り切れる。
ところがどっこい、現実は
だが、看護師になると、この実習での経験が活きる場面は、ほとんどない。
あえて酷な言い方をすれば、ああいう尊い心持ちを無にして消し去った人間こそが、看護師を続けていける。悲しい話だが、それが現場の実態だ。
ナースコールが同時に3つ鳴る。点滴のアラートが別の部屋から聞こえる。記録は夜勤明けにまとめて書く。そんな日常のなかで、「あの患者さんが退院後にどう暮らしているか」を考える余白は、1秒も残されていない。
10人の受け持ちを回すために、実習のときに感じたあの手応えを、少しずつ削って、削って、最後には自分でも気づかないうちに消し去る。そうしないと、現場は回らない。
私の同期には、それができなかった人間が何人もいる。ある者は適応障害になり、ある者は静かに現場を去った。「続けていける人」と「辞める人」を分けたのは、能力ではない。どれだけ早く、実習の記憶を忘れられるかだった。
そんな理想は夢だったのだと、満たされた気持ちを捨て去った者だけが、この仕事を続けていける——それが、私が身を置いていた環境だった。
AIが、その構造を外す
だが、AIが完全に浸透した世界では、話がまったく変わる。
ナースコールの同時対応も、点滴の管理も、記録の作成も、AIが担う。そのとき初めて、実習のときに感じたあの手応えが、一部の特別な看護師のものではなく、すべての看護師の日常になる。
自分が患者さんに何を与えたいか
どう生きたいか
人生においてあなたが大切にしたい価値は何か
こういう、本来大切にすべき問いに、患者も看護師も振り切れる世界——それが、AI浸透後の医療現場だ。
ただし、注意が必要だ。
AIを単なる効率化のために使ってしまうと、地獄が待っている。「今まで10人のケアが限界だったけれど、効率化されたから20人受け持てるようになりました」では、意味がない。削るべき圧力が、そのまま倍になるだけだ。
そうではなく、AIを哲学や教育、倫理の浸透のために活用すること。そうすれば、自分の理想とする看護を叶えることができると、私は信じている。
なぜ私が、AI導入支援をしているのか
私が今、医療業界に対してAIの導入支援を行っているのは、単なる効率化が目的ではない。かつて好きだった看護のあり方を、取り戻すためだ。
医療における哲学や理念を浸透させるための補助ツールとしてAIを位置づけ、その浸透を加速させることで、より良い医療業界にしていきたい。特に、医療職者の大半が働いているのは、中規模以下の病院、クリニック、訪問看護ステーション、老人ホームだ。私たちは、そこに向けて支援を届けている。
余談だが、私がFP(ファイナンシャルプランナー)として医療業界に関わっているのも、根っこは同じだ。医療従事者の多くが、キャリアや老後のお金の不安を抱えたまま、目の前の患者さんと向き合っている。その不安もまた、実習の記憶を「削る」圧力の一部になっている現実を、私は現場で見てきた。
哲学を語るために、経営と財務の土台がいる。医療におけるAI導入も、医療従事者自身の資産形成も、同じ目的のための別の入り口だと、私は考えている。
目指している世界
私が目指しているのは、シンプルな世界だ。
「好きだから看護師を選びました」
「人生が豊かになるからドクターになりました」
そう言える人が、一人でも増える世界。
訪問看護ステーションをはじめ、中小の医療現場でお困りのことがあれば、ぜひお力になれたら嬉しい。
効率化の先にあるのは、時短ではない。看護が、看護に戻るための時間だ。
