チェコ語翻訳の進捗、の話
フス戦争について日本語で書かれた文献は少ない。
やっと探し当てた時はたいそう喜びもするが、しかしすぐに次の関門にぶち当たってしまう。
それは、日本におけるチェコ人の名前の表記が統一されていないということと、そのカタカナ表記から元来のチェコ語へ辿り着くのが困難であるということだ。
私の手元には、北海道大学出版から出された「チェコの伝説と歴史(アイロス・イラーチェク)」の日本語訳の本がある。
チェコの古い伝説やフス戦争にまつわるエピソードなどがふんだんに盛り込まれた、読み応えのある本だ。
ところが、そこに登場する人物についてもっと調べたいと思ってネットで検索をかけても、たとえば「マテイ・ロウダ」とカタカナで打ったところで検索結果はゼロである。
これは、そもそも日本人の中で「マテイ・ロウダ」について調べ、日本語での文章化をした人がほぼいないという事を示している。
さらに言えば、翻訳家によって「マティエ・ラウダー」など、チェコ語をカタカナ表記する際の主観?の違いが出てきてしまうこともあるために、検索ワードの設定が困難になっているということも考えられる。
そのため、人物について詳しく調べるためには検索ワードをチェコ語にし、チェコ語でヒットした記事を翻訳した方が良いのである。
チェコ語の検索はさすが本場であるから、かなりマイナーな人物についてのものであっても、多少の記事は見つけることができるのだ。
だが検索方法は分かったとしても、日本語のカタカナ表記の人物名からチェコ語のつづりを導き出すのは非常に困難であった。チェコ語に慣れ親しんだ今ならともかく、フス戦争について調べ始めたばかりの頃は特に難儀した。
とにかく文献を漁り、人名らしき箇所を探し続けることとなる。
そんなある時、チェコ語の記事を翻訳していると、「あれ?この文章、以前に読んだことがあるぞ?」という不思議な感覚を得たことがあった。
それは何と、以前に読んだ「チェコの伝説と歴史」の内容と一致している文章だったのだ。
日本語訳の本を先に読んでいたので、チェコの文章を翻訳しているうちに、それが同じ内容であると気づけたわけである。
私は知らず知らずのうちに、北海道大学出版が翻訳したものの原文そのものにたどりついていたのだ。
こうなるとしめたものである。
原文と日本語訳が出揃ったことにより、登場人物の名前の綴りも把握できるようになったのだ。
マテイ・ロウダはMatěj Loudaという綴りだった。
彼はフス戦争の英雄ヤン・ジシュカの側近で、フス戦争についての記録を後世に残した書記官であった。
マテイはジシュカの死に際を看取った人物でもある。
その本にはヤン・ジシュカの左目を射た人物の名前も書いてあった。
ジシュカを射た人物の名は
セゼマ・コツォフスキー
という。
チェコ語だとsezema kocovskýとなる。原文ではZeman sezemaとあり、ゼマン人、あるいはゼマン系のコツォフスキー、というようなニュアンスだ。
よってこれは正確な名前ではない。
しかしこれを足がかりとして他のチェコ語の資料を調べ、そこから彼の正確な名前を突き止めることができた。
Přibík z Kocovský
またはその兄弟のHynek
というらしい。発音は知らない。
このようにして、日本語をベースにするよりもチェコ語をベースにして調べる方が、より詳細でマニアックな記事に到達できるのである。
あとは、これらの知識をどのようにアウトプットし、世間に発表するかだ。
今のままでは、私個人の自己満足と、誰も知らない情報を独り占めしているという優越感がとても強いため、その毒性を中和してからでないと多くの人の心に届くものにはならないだろう。
このフス戦争についての知識を、自己顕示欲や承認欲求を満たすためのツールにしてはならない、というのが目下最大の自戒である。
