読める理由
あけましておめでとうございます。すみません、嘘つきました。これを書いているのは去年です。
1つ前の投稿…
…で、私が読書嫌いになった経緯をまとめました。そこで終わるのは寝覚めが悪いですので、この状態から読書にハマるようになった流れもまとめてみます。
2025年が終わるときに私の読書が終わった話を、2026年の始まりに私の読書が始まった話を。ちょうどいいじゃない。
解放とコンプレックス
国語の配点が少ない大学・学部を選び、大学生になりました。時間割は、ほとんど数学、ときどき理科、たまにコンピュータ、夢のような布陣です。
どんなに理系に偏った教室であっても、小説を読む同級生はいます。友人の部屋を訪れても、数学書に埋め尽くされた本棚の片隅に数冊の推理小説が佇んでいたり。
最初は気にも留めませんでしたが、授業から国語が消えて数年、「読まなければならない」という義務感から解放され、小説、ひいては文学への憎悪は徐々に薄らいでいきます。そして、中からは熟した羨望のつぼみが見え隠れするようになりました。
ここからすぐに文学にハマれたらよかったのですが、そう上手くはいきませんでした。これまでの人生で堆積した「どっかの誰かが妄想した作り話なんかに時間を割いて何になるんだ」という価値観がとにかく阻害します。友人に教えてもらった、ショートショートなるジャンルですら最後まで読み通すことが出来ない有様です。
みんなが楽しんでいる娯楽を自分も楽しみたい。なのに「これ読んで何になるんだ」感が邪魔をする。いつしか文学を楽しめないことはコンプレックスとなり、そのまま大学、大学院を出て社会人になります。
さらに短ければどうか、数学が絡めばどうか
さらに長い時間が経ちました。その間、何度もこのコンプレックスに挑んでは散っています。そのあたりのウダウダを書いても仕方がないので、克服したときの結論だけ触れます。突破口は2つでした。
1つ目は短歌です。さすがに31音を読み通せないことはありません。
もう1つは、数学を扱った作品です。題材が馴染みのあるものだったのか、途中で邪念が顔をのぞかせることはありませんでした。
実際に読んだ本は以下の通り。
桜前線開架宣言 Born after 1970現代短歌日本代表
(山田航/左右社)
タイトル通り、1970年以降に生まれた歌人による短歌集。
中でもお気に入りは
ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
こわ、で終わるのが怖。ぼく"たち"って言われると、私までも含まれてる気がします。怖。そして、これOKなんだ…という私の中の短歌感をいい意味でぶち壊した作品。
数の女王
(川添愛/東京書籍)
出版元によるあらすじは以下の通り。
主人公のナジャは、メルセイン王国の王女。この世界では、人々はみな神から「運命数」を授けられているという言い伝えがある。
十三歳のナジャは、母である王妃から愛されず、使用人同様の扱いを受けていた。
ある日、数年前に死んだ最愛の姉ビアンカが、実は王妃によって呪い殺されたという噂を耳にする。真相を追う中でナジャは不思議な鏡を手に入れ、
導かれるようにその鏡のなかに吸い込まれた。そこで、王妃の呪いの手伝いをさせられている妖精たちと出会い、彼らから王妃の秘密を知らされる
ネタバレ防止のため詳しくは書きませんが、作中で自然数の性質が多く登場します。
それが良かったのか、今まで読書中によぎる雑念 —— 「あと〇〇ページもあるのか…」とか「これ通読して何になるの?」みたいなもの —— が最後まで出てきませんでした。
この2冊がターニングポイントだったと思います。俗な言葉を使うなら「成功体験」というやつです。そこから
短歌
短歌ください(穂村 弘/KADOKAWA)
食器と食パンとペン―わたしの好きな短歌(安福 望/キノブックス)
超短篇集
挫折を経て、猫は丸くなった。―書き出し小説名作集―(天久聖一/新潮社)
一行怪談(吉田悠軌/PHP研究所)
といった、一篇が短い作品で少しずつ楽しめるようになっていきます。
長い文章では
博士の愛した数式(小川洋子/新潮社)
にて、数学の割合が少なくても(タイトルに「数式」と入っているが、そこまで濃い数学の話はない)、他の娯楽と同じように、というより、続きが気になって一気に読めるようになりました。
もはや数学は関係なくてもよくなり、
エッセイ
ひみつのしつもん(岸本佐知子/筑摩書房)
小説
旅猫リポート(有川浩/講談社)
むらさきのスカートの女(今村夏子/朝日新聞出版)
氷菓(米澤穂信/KADOKAWA)
と広がっていきました。ちなみに、岸本さんのエッセイについては、私の「書きたい欲」にも繋がってきます。
そして現在は、とにかくジャンルを開拓すべく、書店で闇雲に文庫本を手に取り、カバーに書かれたあらすじと最初の書き出し文だけ見て衝動買いするフェーズに至っています。
さて、そろそろ本稿もまとめます。
私が読書を楽しめるようになったのは、自分の根底にある羨ましさから目を背けなかったから、あきらめなかったからです。…と言いたいところですが、やはり、読書という行為が持つ面白さが大きかったでしょう。
すごく普通な結論です。
でも、私があきらめずに挑み続けられたのは「こんなに多くの人が楽しんでいるなら、たぶん楽しいだろう」と思わせ続けてくれたからこそ。誰がそう思わせてくれたのか。それは、読書を楽しんでいる周りのたくさんの方々でしょう。もちろん、それら物語を書いた作者さんたちがいらっしゃったからでもあります。ありがとうございます。
そして、「じゃあ自分も楽しみたい」と思い、通読するための工夫を考えた結果、短歌に行きつきました。また、もう一冊の小説については、コンプレックスを恋人に相談したときに教えてもらった作品です。ちゃんと人に「分からない」と言えるようになりましたね。
あのとき泣いたり絶望したりしていた少年に「ごめんね」と手紙を送りたい気分です。
