そうだった、埼玉からでも富士山は見える🗻
ふだんは、房総半島の、海の向こうに眺めている富士山🗻

先日、実家の片付けで埼玉へ戻り、昔は通学で毎日のように使っていた駅へ向かっていたら
なつかしい富士山を見つけた

そうだった
埼玉からでも、富士山は見えたんだった
と、改めて思い出す
なんなら、5合目までは登ったのよ
バスでだけど。
あのとき、私は確かにあそこにいて
あの場所は今も、あそこにある
もう、一生のうちに行くことはないかもしれないけれど
こうして、埼玉にいようが千葉にいようが
どこで何をしていようが
自分が、確かに存在していた場所を、確かめられる、というのは
なかなかしみじみ感慨深い。
もしかしたら、近いうちか遠いうちかいつか
富士山が噴火して、姿を変えてしまっても
私が残した足跡が
観光客の靴あとで、跡形もなく消されようとも
私は確かにあのとき、あそこに生きていて、家族みんなで富士山メロンパンを食べた。
そういう記憶のなかには、埋もれて忘れてしまうものもあるだろうけれど
今、このとき感じたことを、こうして文字に残しておくのは
富士山へ、実際に足を運ぶのと、同じくらい価値のあることだと思うのです
