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~能登半島地震被災地を歩く①~射水市庄西町

2024年2月5日(月) 富山岐阜重伝建巡り0日目

その日箱根では昼から雪が降りだした。新宿発富山黒部行の夜行バスを使い早朝に高岡入りする予定だったが、大雪によりロマンスカーもバスも運休していた。そのことに気づいたのが17時頃。小田原駅なう。
え、どうすんの?
とりあえず冷静に別ルートを模索する。幸い北陸新幹線は問題なく運行している。18時に小田原を出れば最終のはくたかに乗れると分かりひと安心。高岡まで行くと遅くなるので、今夜は急遽富山駅前の東横INNを予約。
新幹線の切符を購入してから、小田原のミスタードーナツで予約してあったGODIVAコラボの商品を受け取り、18時18分小田原発、19時45分東京着。
20時12分、はくたか577号乗車。
出発からいきなりのアクシデントだったが、まあこれも旅の醍醐味さ、と余裕かましてドーナツを頬張った。しかし余計な出費が痛く懐には余裕がない五十野だった。

徐行運転のため少々遅れて、11時3分富山到着。

新幹線富山駅は開業して9年になるはずだけどピカピカや。夜だからそう見えるだけ?

富山駅南口ロータリー

駅を出るとすぐロータリーの向かいに見えるのが今夜の宿。

東横INN富山駅新幹線口2 外観
東横INN富山駅新幹線口2 部屋
東横INN富山駅新幹線口2 ユニットバス

いざって時に頼りになる安定の東横INN。築年が浅そうでキレイ。富山駅前には他にも名だたるビジネスホテルが乱立しているが、到着が深夜なので駅近で安さと安心感を重視して選んだ。

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2024年2月6日(火) 富山岐阜重伝建巡り1日目

翌朝。朝イチで朝食を摂り、8時10分チェックアウト。

富山地方鉄道富山軌道線

路面電車が行き交う街並み、いいね。これだけ複数路線が交差するのって富山だけでは? 1957~65年にかけて製造されたデ7000形が10両も現役で頑張っている。守りたいこの風景。

さて、あいの風とやま鉄道に乗り、いざ高岡へ。

こちらも路面電車の万葉線。1967年製造のデ7070形が5両現役らしい。
高岡市が藤子・F・不二雄先生の出身地ということで万葉線にはドラえもんトラムが走っているが、ちょうど藤子F先生の生誕90周年で1日フリーきっぷが記念デザインだった。

ドラえもんトラム
ドラえもんトラム内装
万葉線1日フリーきっぷ ¥900

今回の旅は10日間と短め。高岡からスタートして合掌造り集落を巡り高山へ抜けるルートで重伝建8ヶ所を訪ねる計画。

まずは吉久から近い伏木港右岸の文化財を訪ねるべく、高岡駅から万葉線で六渡寺へ。
つい先月能登半島地震があったばかりの街は土埃で霞んでいる。中でも伏木地区は富山県内で最も被害が大きかった地域で、液状化により道路が歪み、ひび割れている。
ネットで調べたところ、文化財の被害件数は富山県が最も多く、51ヶ所にのぼる。旅の計画は半年以上前から練っているので、今回たまたま行き先が被災地となりコース変更も視野に入れたが、これらが修復不可能で取り壊しにでもなればその姿をこの目で見ることが出来なくなってしまうと考え、むしろ今行かねば、という結論に至った。

【国登録有形文化財】
牧田組本社(旧南島商行本店)[1915]

六渡寺駅を出てすぐ目に入る牧田組本社ビル。早速1件目から修復工事中だ。

富山湾に注ぐ庄川の河口に築かれたオフィスビル。木造躯体に褐色煉瓦を貼り,腰,隅柱,蛇腹などに花崗岩を用いる。前方に張り出し重量感のある石造柱に挟まれた入口を中心に,上げ下げ窓を左右対称に配する外観とする。伏木港における海運の近代化を物語る。
─文化庁データベースより引用─

庄川方面へ工業地帯を抜け運河を渡ると、庄川と小矢部川に挟まれた河口部の先端に昔の面影を残す小さな湊町がある。今でこそうら寂しい寒村といった風情だが、かつては陸路と海路の中継地として多くの北前船が行き交う要衝だった町だ。

【市指定文化財】
六渡寺日枝神社 山王鳥居[1839]

越中浜往来というかつてのメインストリートに入るとすぐ、珍しい形の鳥居が目について足を止めた。日吉大社の鳥居を模した山王鳥居だが、頭に何か付いている。一説によると北前船モチーフらしい。

【市指定文化財】
六渡寺日枝神社 玉垣[1852]

272本に及ぶ玉垣には全国の名だたる廻船商人の名が刻まれており、ここがいかに栄えた湊だったかが伺える。

六渡寺日枝神社 拝殿
越中浜往来
古い湊町特有の黒板張りの家屋が並ぶ
切妻平入り2階建ての家が多い
ご当地マンホール
六渡寺海岸
鹿子浦橋

越中浜往来を途中で逸れ、鹿子浦橋を渡って牧田組本社ビルまで戻り、県道350号を先程とは反対方向へ暫く進むと、工業地帯の中に古めかしい煉瓦積みの煙突が現れた。焼却炉のようだ。その手前には廃線跡があり、なかなかフォトジェニック。

この廃線跡はJR貨物新湊線の日本鋼管専用線だったものと思われる。2002年まで使われていたようだ。
ちなみに新湊線は路線を短縮して1日1往復のみ運行している。その距離わずか1.9km、駅は能町駅と高岡貨物駅の2つだけ。なのに貨物線としては唯一独立した路線名を持っている。
いつ廃止になってもおかしくない路線だが、能登半島地震の際には物資の輸送に大活躍したそうだ。

煉瓦造焼却炉跡
おそらく大正時代のもの

倉庫街を横目に県道を突き当たりまでまっすぐ進むと大きなクレーンが見えてくる。

【国登録有形文化財】
旧伏木港右岸三号岸壁水平引込式クレーン[1968]
伏木港右岸に設置されたバラ物貨物荷役用クレーン。軌道上移動型のダブルリンク式の水平引込み式で、最大旋回半径三一・五メートル、吊上げ荷重八トン、全揚程二五メートルを測る。設置当時、日本海沿岸最大規模であった、伏木港のシンボル的存在。
─文化庁データベースより引用─

これで右岸の文化財はクリアしたので、中伏木駅から再び万葉線に乗って二つ先の新吉久駅へ向かう。

─②へ続く─

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