『摂州合邦辻 合邦庵室の場』
衛星劇場にて鑑賞。出演は、中村歌右衛門、實川延若、八世中村福助(現・梅玉) 、七世中村芝翫、十三世片岡仁左衛門。1982年(昭和57年)9月@歌舞伎座での上演。
ちなみに、この中村福助は、六代目中村歌右衛門の妻つる子の甥として生まれ、1955年に実弟の二代目中村魁春とともに六代目歌右衛門の養子となった人物。

また、七代目の中村芝翫は、九代目中村福助、八代目中村芝翫、十八代目中村勘三郎夫人である波野好江の父。十三世片岡仁左衛門は、十五世仁左衛門の父である。


梨園の家系図がまだ全然頭に入っていないため、こういう機会に少しずつ覚えていきたい。
『摂州合邦辻』とは?
『摂州合邦辻』は江戸時代後期、安永2年(1773年)2月に大坂で初演された人形浄瑠璃(文楽)作品。菅専助、若竹笛躬の合作。
『摂州合邦辻』創作の歴史的背景
ちょうど18世紀中葉から後半は、人形浄瑠璃が一時の黄金期を過ぎて観客動員が低迷し始めた「浄瑠璃衰退期」とされる時期でした。
近松門左衛門の死(1724年)後、しばらく浄瑠璃界は低調でしたが、50年頃から復興の兆しがあり、竹本座・豊竹座といった劇場で新作が次々と上演されます。作者の菅専助と若竹笛躬が活躍した明和・安永年間(1760~70年代)は、近松半二なども加わって浄瑠璃の新時代が拓かれた時期でした。そうした状況で、古典題材のリメイクや翻案も盛んに行われ、本作も中世伝承を大胆に脚色した意欲作として創作されています。
歌舞伎で本格的に上演されるようになるのは遅く、幕末期(天保頃以降)になってから。物語は上下段6場の構成で、現在の上演では下巻の最後に当たる「合邦庵室の段」のみを取り上げた短縮上演が中心。
※これは物語全体よりも、玉手御前が真相を語るクライマックス場面が特に人気を博し、一種の名場面劇(切り場)として愛好されたからだという。
古くから伝わる「俊徳丸伝説」と「愛護若伝説」という二つの説教節の要素を融合・翻案した物語で、表面的には「継母の邪恋」というスキャンダラスな筋立てだが、実際にはお家騒動を背景にした人情劇であり、家名と恩義を守るために自らを犠牲にした玉手御前の真心が主題となっている。
「俊徳丸伝説」と「愛護若伝説」
『摂州合邦辻』の筋を理解するには、サンプリングされている2つの説経節を眺めるのが近道だ。両者は継母と継子の物語という点で共通点も多い。さっと眺めておこう。
説経節(せっきょうぶし)は、日本の中世に興起し、中世末から近世にかけてさかんに行われた語りもの芸能・語りもの文芸。仏教の唱導(説教)から唱導師が専門化され、声明(梵唄)から派生した和讃や講式などを取り入れて、平曲の影響を受けて成立した民衆芸能である。近世にあっては、三味線の伴奏を得て洗練される一方、操り人形と提携して小屋掛けで演じられ、一時期、都市に生活する庶民の人気を博し、万治(1658年-1660年)から寛文(1661年-1672年)にかけて、江戸ではさらに元禄5年(1692年)頃までがその最盛期であった。
「しんとく丸(身毒丸・俊徳丸)」伝説
「しんとく丸」は河内国高安の長者・信吉(しんきち)長者の息子・俊徳丸(しゅんとくまる)に関する伝説です。子宝に恵まれなかった信吉長者夫妻が清水観音に祈って授かったのが俊徳丸で、聡明で器量も良い若者に成長しました。隣村の長者の娘・乙姫(おとひめ)と相思相愛の仲になりますが、俊徳丸には継母がいました。継母は自分の産んだ子に家督を譲りたいと思い嫉妬のあまり俊徳丸を憎むようになり、ついには妖術や呪詛によって彼の目を見えなくしてしまいます。さらに俊徳丸は癩病(らいびょう)に侵され、家から追放される身となりました。
行き着いた先は四天王寺の辺りで、俊徳丸は物乞いとして日々を凌ぐまでに身を落とします。ある日、噂を聞いた乙姫が四天王寺に赴き、盲目の乞食となった俊徳丸を遂に探し当てました。二人は涙ながらに観音菩薩に祈願し、その結果俊徳丸の病は全快、視力も回復して元の美しい姿に戻ります。二人は約束通り夫婦となり、乙姫の実家である蔭山長者の家を継いで幸せに暮らしました。一方、俊徳丸を追い出した高安の信吉長者の家は、信吉が亡くなるとたちまち家運が傾き、意地悪な継母はついに乞食となって、かつて虐待した俊徳丸夫妻(蔭山長者夫妻)の施しを受けねばならない惨めな最期を遂げたといいます。
この説話は「高安長者物語」として民間に広く伝承され、子を虐げた継母が因果応報で没落する教訓譚として語られました。その題材から、能『弱法師(よろぼし)』や人形浄瑠璃・歌舞伎『摂州合邦辻』が生まれています。なお「身毒丸」(しんとくまる)の表記・読みもありますが、内容は同じ伝承に基づきます(※近現代には寺山修司が戯曲『身毒丸』を執筆し、漫画『妖霊星 身毒丸の物語』などの翻案も作られています。
しかも、こちらの記事によれば、元々はインドの古典に起源を求められるようだ。
もともとはインドの古典が日本に入って「しんとく丸伝説」になり、さらに能『弱法師』や説経節『しんとく丸』『愛護の若』、浄瑠璃『莠伶人吾妻雛形(ふたばれいじんあづまのひながた)』と形を変えながら、そのつど要素を吸収し、影響を受けて『摂州合邦辻』に至った。
「愛護若(あいごのわか)」伝説
「愛護若」は平安時代・嵯峨天皇の御代を舞台に、公卿二条蔵人清平(にじょうのくらんど きよひら)の一子、愛護若が辿る悲劇を語る物語です。清平夫妻は長谷観音に祈願して授かった待望の男子を得ますが、若君(愛護若)が13歳の時に生母が亡くなり、清平は若い後妻(継母)を迎えました。この継母・雲居の前が継子である愛護若に恋心を抱いてしまったことから物語は動き始めます。継母は若に恋文を一日七通も送って思いを募らせますが、愛護若はこれを固く拒絶しました。怒りと恨みに駆られた継母は夫の清平に逆恨みの讒言をし、あたかも若君から言い寄られたかのように訴えます。信じた清平は我が子を激しく折檻し、愛護若を縛り上げて桜の木に吊るしてしまいました。そこへ亡き生母の魂が白鼬(しろいたち)となって現れ、桜の縄を噛み切って愛護若を救います。母の霊は、比叡山にいる叔父の阿闍梨(あじゃり)様を頼れと告げ、愛護若は逃れて比叡山へ向かいます。
しかし比叡山の阿闍梨である叔父は、突然訪ねてきた甥を妖怪の仕業と勘違いし、愛護若を天狗だと思って追い払ってしまいま。行き場を失った愛護若は失意のまま各地を漂流し、次々と不幸に見舞われます。世の無常を嘆いた愛護若は、最後には「かみくらや霧生が滝へ身を投ぐる…」という辞世の歌を残して、霧生ヶ滝(きりゅうがたき)に身を投げてしまいました。愛護若の訴えは死後にようやく父に届き、清平は継母の邪恋が真相だったと知ります。真実を知った清平は愕然とし、父清平・叔父阿闍梨・愛護若に仕えていた猿までもが次々と後を追って入水自殺し、愛護若は日吉山王権現(ひえのさんのうごんげん)として祀られる結末となっています。
『愛護若』は継母が継子に思いを寄せ、それを拒まれた腹いせに継子を陥れるという倒錯的な情念を描いた物語であり、日本の中世文学において特異な位置を占めます。継母による継子いじめ譚としての側面も強く、後世の研究者はこの継母像を「虐待をする継母」の一典型と捉えています。物語全体は愛護若が辿る数奇な受難と絶望を通じて、人の情けと世の無情を対比し、最後には救いなく若者が命を落とす悲劇として構成されています。しかしその後日談として愛護若が神として祀られる結末になっており、物語は「山王権現の縁起譚」(愛護若がなぜ神として祀られるに至ったかを説く由来譚)の性格も併せ持っています。
『摂州合邦辻』における融合と新規創作
そして、それぞれの原典からどのような構成・人物・主題・モチーフが『摂州合邦辻』に継承・変容されたかを見ていく。ChatGPT大活躍である。
基本プロット:
『摂州合邦辻』の骨子は、家督を巡る継母と継子の物語という点で俊徳丸伝説に基づいています。嫡男が継母によって病にされ失踪し、のちに回復して家名を再興するという展開は俊徳丸譚そのものです。一方、物語前半で描かれる継母から継子への邪恋(近親相姦的な愛情)という要素は、愛護若譚から着想を得たものです。つまり、本作は俊徳丸譚の“お家再興”筋に、愛護若譚の“継母の邪恋”というスパイスを加えてドラマを深化させたといえます。
登場人物関係:
俊徳丸譚では継母は単に嫉妬深く邪悪な継母であり、愛護若譚では情念に狂った継母です。『摂州合邦辻』の玉手御前は一見「愛護若」の継母と同じく継子に言い寄る妖婦ですが、その内実は「俊徳丸」の継母と異なり悪人を装った自己犠牲の人に翻案されています。玉手御前は当初「愛護若」の継母のように俊徳丸へ言い寄り毒を盛る悪女ですが、実は継子を守るためという動機に高貴さ(母性愛と忠義)が与えられています。この点で、原典の継母像をさらに発展させた複雑なキャラクター造形となっています。また俊徳丸と浅香姫の関係は、俊徳丸譚の俊徳丸と乙姫の恋物語を色濃く反映しています。浅香姫が俊徳丸を探し祈願して救おうとする姿は乙姫に相当し、物語の救済者として機能します。一方で愛護若譚の方では恋仲になる相手は登場せず孤独な死を迎えるため、『合邦辻』で浅香姫というキャラクターを設定したのは俊徳丸伝説からの継承と言えます。
設定と舞台:
『摂州合邦辻』の舞台設定(河内国高安郡、四天王寺周辺など)は俊徳丸伝説の舞台をそのまま活かしています。実際に作中に登場する合邦が辻の閻魔堂や月江寺といった場所は大阪の四天王寺近辺に現存しており、伝説の舞台そのものです。一方、『愛護若』は京都や比叡山が舞台でしたが、本作では舞台として直接利用されていません。ただし比叡山の阿闍梨(愛護若譚で愛護若を追い払った叔父)に相当する役回りとして、玉手御前の父・合邦道心が登場すると解釈することもできます。合邦は僧形の世捨て人であり、娘にとっては自分の行いを断罪する存在でした。最終的に合邦は娘を手にかけてしまう点で、愛護若譚の阿闍梨が甥を追い返し結果的に死なせてしまう構図と重なります。
主題と結末:
俊徳丸伝説は観音信仰による勧善懲悪・因果応報が色濃いハッピーエンドでした。愛護若は無念の死を遂げる悲劇でした。『摂州合邦辻』はその両方を折衷する形で、玉手御前という悲劇的ヒロインの自己犠牲によって全てが円満に解決するという独自の結末を描いています。俊徳丸自身は救われ家も安泰となる点で俊徳丸譚の勧善懲悪を受け継ぎつつ、玉手御前という犠牲者を出す点で愛護若譚の悲劇性も織り込んでいます。玉手御前の死によって俊徳丸が蘇るシーンは宗教的な救済劇でもあり、観音に祈って奇跡が起きた俊徳丸伝説を彷彿とさせます。ただし奇跡の担い手が観音から玉手本人に置き換わっている点が独創的です。玉手御前は自らの生き血をもって俊徳丸を救う「血の観音」とも言える存在に昇華しており、ここに作者たちのドラマ作りの巧みさが表れています。なお、愛護若譚では主人公が死後に神として祀られましたが、『摂州合邦辻』では玉手御前の死後、彼女を供養する寺(玉手の母を開山とする月江寺)が建てられるに留まっています。これは玉手御前を人間的な範囲で描き、神格化まではしないことで物語を地に足の着いた人情劇として締めくくる意図が感じられます。
ということで、『摂州合邦辻』は「俊徳丸伝説」と「愛護若伝説」の融合によって生まれた作品ではあるが、原典には無い創作上の肝である玉手御前の人物造型、つまり「悪女と思わせて実は聖女」という逆転劇が観客に強い感動を与えるよう工夫されている。この点で『摂州合邦辻』は、人形浄瑠璃復興期において古来より伝わる伝承を融合させ、元の説教節の単純な勧善懲悪や因果応報の枠を超え、因果の裏に隠された真実というミステリー的要素や人間の業の深さを描き出し語り直した、近代的ドラマである。
そして、この物語のクライマックス部分に当たるのが、今回鑑賞した「合邦庵室の場」だ。
合邦庵室の場
あらすじはこうである。
合邦は実は玉手御前の生父で、俗名を合邦道心といい、娘お辻(玉手御前)の不義密通の噂を聞き娘は既に討たれたものと思い込んで、妻おとくと共に弔いの念仏をしていました。しかし深夜、生きていた玉手御前が両親の庵を訪ねます。驚く両親に玉手御前は「自分は俊徳丸を探し出して夫婦になりたいのだ」と真顔で告げ、父・合邦はあまりの道徳逸脱に激怒し娘を斬りつけます。物陰でこの様子を窺っていた俊徳丸と浅香姫は庵から出て行こうとしますが、玉手御前が現れ盲目の俊徳丸に取りすがりました。俊徳丸がなおも玉手御前を拒絶すると、玉手御前は俊徳丸の病が自分の仕組んだものであると明かします。驚く一同に対し、玉手御前は「次郎丸が弟を殺そうとする企みを偶然知り、嫡子でなくなれば殺害計画は頓挫すると考えて、不義を装い毒薬で俊徳丸を病にした」と真相を語り始めました。実は玉手御前の邪恋は狂言であり、俊徳丸を守るための捨て身の策略だったのです。
合邦はなおも半信半疑で詰問しますが、玉手御前は「もし企みを通俊様(夫)に告げれば次郎丸は謀反人として処刑され、継母である自分がその死を招けば次郎丸の生母に申し訳が立たない。だから自分が悪役となって両方の命を救おうとした」と涙ながらに訴えます。さらに玉手御前は、俊徳丸の病を治すには寅の刻生まれの女の生き血が特効であると医師から聞いており、自らがその「寅四つ(とら年とら月とら日とら刻)生まれ」の女だから、自分の血を飲ませれば俊徳丸は癒えるのだ、と明かしました。真相を知った合邦は自責の念に駆られます。
この後、玉手御前は自らの鳩尾(みぞおち)に短刀を入れて生血を盃に注ぎ、俊徳丸に飲ませます。奇跡的にも俊徳丸の容貌はたちまち元通りとなり、視力も回復しました。役目を果たした玉手御前はその場で息絶え、人々はその自己犠牲に深く涙するのでした。

まず、合邦が娘(=玉手御前)を斬るに至るまでの流れが面白い。ここは「悪女」の見せ所である。自分は3歳の娘を持つ父であるが、娘がいつかこんな感じで戻ってきたらどうしよう…と想像してしまった。
母は玉手に、俊徳丸に不義を仕掛けて高安家を出たというのは嘘だろうと優しく尋ねた。だが玉手の口から出た言葉は、合邦夫婦を裏切るものだった。俊徳丸を思って館を出たというのは本当のこと、この上は俊徳丸を探し出し、夫婦となれるように親の慈悲ではからってほしいというのである。あまりのことに怒ることもできず呆れる母親。と父親の合邦は、納戸から刀を引っさげて出てきた。
合邦の父は青砥藤綱という世に廉直な名君として知られた武士であった。藤綱の死後は合邦も、親の陰を以って大名となっていたが、侫人の讒言によりその地位を失い、今では頭も丸めて合邦と名乗る世捨て人である。その親譲りの廉直でもって生きてきたはずなのに、おまえのような人の道も女の道も踏み外した娘を持ったかと思えば、その無念さに体も砕けるような思いだと合邦は激昂する。だが先の奥方が亡くなった折、高安殿は娘お辻を後妻にと望んだが、たって本人が辞退したのに後添えにしたので、自分が無理を通したからこんな事になったのだと悔やみ、その命を助けたのに違いない。それをこの上まだ俊徳丸様と夫婦にしてくれというのを生かしておいては、先方に対して義理が立たぬと、合邦は玉手を斬ろうとする。母は剃髪させ尼にさせるからと合邦を止めるが玉手はそれを聞くと、尼になれとはいやなこと、これからは武家風ではなく色町風に身なりを派手に改めれば、俊徳丸も惚れ直すだろうと言い出す。合邦はさらに怒って斬ろうとするが、母がとっくりと言い聞かせるからどうか待ってと必死に頼むので、合邦はしかたなくひとまず家の奥へと入り、母とそれに手を引かれる玉手も続いて奥へと入った。
さらには、俊徳丸と恋仲にある浅香姫との絡みでも大暴れ。
しかし玉手はすっくと立ち上がり、もうこの上は俊徳丸を連れ退いて恋の一念通さずにおこうか、邪魔しやったら蹴殺すぞと俊徳丸の手をとって連れて行こうとし、それをささえる姫を踏み飛ばし蹴飛ばすという嫉妬の乱行、内の異常な様子は入平たちにも知られて踏み込もうとするが、戸締りがしてあって入れない。だがついに、入平おらくが戸を壊し中に入ったのとほぼ同時に、合邦が手にした刀に玉手は脇腹を貫かれた。
この玉手御前が浅香姫を蹴飛ばし俊徳丸を奪おうと暴れる「嫉妬の乱行」の場面から、今度は一転して真相を明かす場面へと雪崩込む。「聖女」の登場である。負傷し息も絶え絶えになりながら真実を語るこの場面は、義太夫節の名調子と相まって屈指の聞かせどころにもなっている。
歌舞伎では玉手御前役は女形の大役とされ、代々の名優が工夫を凝らして演じてきたようだ。それは、玉手御前という女性像が従来の善悪二元論を超えた複雑なキャラクターであり、様々な解釈や演出を可能にするからであるが、例えば….
玉手御前が義理の子である俊徳丸に恋慕するということについては、これを語る義太夫の太夫や演じる役者によって、また諸書において色々と解釈の分かれるところである。合邦庵室で最後に打ち明けたように、玉手が見せた俊徳丸への恋慕とはあくまでも俊徳丸を守るための偽りであったという解釈、また一方では本心から俊徳丸に惚れていたという解釈もある。歌舞伎においては二代目秀調の演じた玉手がこの芝居の型の源流となっているが、その型をおおむね受け継いだ三代目中村梅玉、また五代目と六代目の中村歌右衛門は、偽りだったという前者の解釈を採って玉手を演じている。一方六代目尾上菊五郎は昭和16年(1941年)6月の東京劇場で玉手御前を演じるにあたり、台本や演出を原作の浄瑠璃に沿って改めている。この六代目の作った型は七代目尾上梅幸にほぼ受け継がれたが、七代目梅幸は「玉手が本当に俊徳丸に恋しているかどうかというのはよく問題になりますが、僕は恋していると思います。年齢的にいっても大した違いはないのですから、恋していても不思議はない」と述べ、真実惚れていた心底を隠して母の愛を重心に置くのだという解釈で演じていたという。
聖女から悪女への転換、を言葉で語るのは簡単だが、実際に舞台で顕現・成立させるのは困難であるはず。ここはさすがの六代目で、悪女も聖女も見事なものだった。

大正末期には内容が「あまりに背徳的で道徳観念を破壊する」として一時上演禁止処分になるという事件も起きています。1920年代、新劇運動の影響で芸術性の見直しが図られる一方、世間の良識からは過激と見なされたのです。この上演禁止騒動自体が、本作の持つテーマのラディカルさを物語っています。昭和以降は禁止は解除され、現在では文楽・歌舞伎ともに古典演目として定着しています。
一幕でも十分に楽しめる。しかし、『仮名手本忠臣蔵』を観たときにも思ったことだが、通しで観ることで見えてくる景色もきっとあるはずだ。ということで、続けて木ノ下歌舞伎『糸井版 摂州合邦辻』を観ていきたい。
