共にみる旅 #1 『正解を求めるほど、人は創造性を失う』
僕には、昔から少し苦手なことがあります。
それは、自分が今何を感じているのかを、その場ですぐに言葉にすることです。
会議でも、対話の場でも、
「どう思いますか?」
と聞かれると、僕はまず自分の内側を見にいきます。
「何か引っかかる。」
「でも、それは何だろう。」
そんなふうに、
自分の感覚を確かめながら、少しずつ言葉を探していきます。
その間に、言語化が得意な人は次々と意見を話し始めます。
その言葉は筋が通っていて、とても説得力があります。
議論はどんどん進み、結論も出ていきます。
そして気づくと、僕の中で生まれかけていた感覚は、
言葉になる前に終わってしまう。
そんな経験を、僕は何度もしてきました。
だから長い間、
「もっと上手く話せるようにならなきゃ。」
「言語化能力を高めなきゃ。」
そう思っていました。
実際、判断力や実行力、言語化能力は、仕事でも社会でも
本当に大切な力です。
僕も映像の仕事をする中で、その力に何度も助けられてきました。
だから、それらを否定したいわけではありません。
でも最近、一つの問いが僕の中に生まれました。
言語化が速い人の意見だけが、正しいことになってはいないだろうか。
僕たちは子どもの頃から、「正解」を見つけることを学んできました。
学校ではテストがあり、社会では成果が評価されます。
早く判断できる人。
論理的に説明できる人。
迷わず決断できる人。
そんな人は信頼され、多くの場合、高く評価されます。
もちろん、その力は社会を支えています。
でも、その一方で、
まだ言葉になっていない感覚や、
ゆっくり育っていく思いは、
置いていかれてしまうことがあります。
僕は、そのことにずっと寂しさを感じていました。
そんな僕が、対話型鑑賞や表現アートと出会って
一番驚いたことがあります。
そこでは、誰も答えを急ぎません。
「どう思いますか。」
「そう見えた根拠はどこにありますか。」
「他にはどんな見方があるでしょう。」
一つの作品を前に、みんなで見続けます。
すると、不思議なことが起こります。
最初は何も話さなかった人が、しばらくしてぽつりと話し始めます。
その一言が、
場の見え方を大きく変えることがあります。
そこで僕は初めて気づきました。
僕は考えるのが遅いんじゃない。
感じることから始める人なんだ。
その感覚がゆっくりと言葉になっていく。
ただ、それだけだったのです。
そのことに気づいたとき、
僕は初めて、自分を責めなくなりました。
最近、こんなことを考えています。
もしかすると、創造性とは、
新しいものを生み出す能力ではなく、
まだ言葉になっていないものと、一緒に居続けられる力なのかもしれない。
だから僕は、「正解を求めること」が悪いとは思いません。
ただ、正解だけを急ぐと、
見えなくなるものがあるような気がしています。
誰かの小さな違和感。
まだ言葉になっていない感覚。
そして、自分自身の本当の思い。
創造性は、
そういう場所から生まれてくるのではないでしょうか。
これは、僕の中に生まれた一つの仮説です。
だから、この連載で答えを伝えたいとは思っていません。
僕も、まだ探究の途中です。
皆さんと一緒に、この問いを育てていけたら嬉しいです。
人は「正解」を求めるほど、本当に創造性を失っていくのでしょうか。
皆さんなら、どう思いますか?
この連載は、答えを伝えるためのものではありません。
問いを育てるための連載です。
「わからない」ということは、ときに少し怖いものです。
でも、その「わからない」を安心して言えるとき、人は新しい世界に出会えるのではないでしょうか。
もしこの文章を読んで何か感じるものがあれば、ぜひ皆さんとも一緒に探究していけたら嬉しいです。
