見出し画像

ロココの尻尾から始まった猫への想い

期末テストも終わって、少しだけ開放的になった7月の半ばのことだ。
ようやく出来た友達の晴ちゃんが、少し迷いながらも切り出した。
「うちの猫が子供を4匹も生んだんだけど、さつきちゃん一匹もらってくれんかろか?」
そう言われたので、
帰宅して恐る恐る切り出すと、母は少し困った顔をした。
でも、せっかく出来た友達を失いたくないという気持ちが、顔に出ていたのか、しばらく沈黙したあと、
「いいよ」と、小さくうなずいた。
「でもオス猫にしてね。ほら赤ちゃんが生まれても困るから」
最後に見せた母の笑顔に、わたしはふっと安堵の息をはいた。

昭和40年代は、まだ猫に避妊や去勢の手術を受けさせるという概念は、
一般的ではなかった。

その週の土曜日、わたしは期待と不安でドキドキしながら
晴ちゃんの自転車の後を追った。
大きなおうちで自家用車まであり、自分の家とは全く違っていた。
川を挟んでお城のある方は、水田もなく大きな家ばかりだった。
後で分かったことだが、その辺りは駅や四国遍路の札所もあり、この町で一番の高級住宅街だった。

「男の子はこの子しかおらんよ。しっぽ途中で切れてるけど、本当にいいの?」
確かに、横にいるもう一匹の子猫は、細くて真っすぐな尻尾が付いていた。わたしがもじもじしていると、晴ちゃんが助け舟を出してくれた。
「さつきちゃんのお母さんがオスじゃないとダメって言うたんやって」
「そうなんじゃ、ならこの子じゃね」
晴ちゃんのお母さんは手際よく、
自転車の前かごに子猫の入った段ボールを、動かないようにきっちり据えてくれた。あまりの小ささに驚き、段ボールが揺れるたび気にかかり、下り坂は自転車を押した。時々立ち止まって中を覗き込む。普段の2倍くらい時間が掛かった。

家に帰りつくと、母だけでなく、祖母や叔母や妹まで「どれどれ」と顔をそろえた。
「これが、どうならい。まだ目も開いてないし、お母さんのミルクしか飲めんじゃろ」
皆が口々に心配したが、叔母が素早く動いていた。
冷蔵庫にあった牛乳を人肌に温め、小さな器に入れ、
脱脂綿に含ませ、一滴ずつ子猫の口へと運んだ。
そういう状態が3週間ばかり続いた。

「名前はどうするん?」
妹が言うと、祖母が「コロよ」と即答した。

当時は、「コロ」とか「ミー」とか、そういう名前が流行りだった。
「それは犬の名前みたいでおかしいわい!」
妹が猛反対し、コロを逆さまにして「ロココ」という名前で落ち着いた。
夏休みの間は、わたしがしっかり面倒を見たが、
二学期が始まると、ロココの面倒は母の仕事になった。


猫専用のカリカリもなくロココのご飯は
ミルクからご飯にお味噌汁をかけた「猫まんま」に変わっていた。

生後3ヶ月過ぎると、もう外に出るようになっていた。
年が変わったころには、たまに怪我をして戻るようになった。
「赤チン」をつけてやると、翌日には元気になっていた。

それでも朝目覚めると、必ずわたしの布団の上で丸まっているので、
自分を一番必要としているのはわたしだと、ロココは知っていたのかもしれない。
高校になると成績が振るわないわたしに比べ、漫画ばかり読んでいる妹は学年トップクラス。そのころのわたしにとっては、それは屈辱だった。未熟さとはそうしたものだ。どんどん反抗的になった。

2年半はすぐに過ぎた。わたしは家を離れて神戸に行くことになった。
「すぐに帰るからね」ロココにそう言い残して家を出た。夏休みはすぐやってきた。が、わたしの滞在は、わずか二週間だけだった。都会の生活は目新しいものばかりだ。

田舎では名前も聞かない
マクドナルド、不二家、ケンタッキーフライドチキンなど
阪急電車のすべての駅前にあった。
何をしようと、誰もわたしのことなど構わない。
構音障害のわたしでも、学生課で紹介状をもらえば、バイトも出来たし、新しい都会の友人もできた。もう何もかもに浮かれていたのだろう。

そういう生活の中、次第にロココのことは頭から薄れていった。


そんな時、家からロココが首にひどい傷を負って
動物病院に連れて行ったが、死んでしまったと連絡が入った。
2年生の冬のこと、ロココはまだ4歳だった。


自分のせいだと思った。
受験でつらかったころ、あんなに支えられたのに
すぐに忘れて、浮かれていたせいで罰が当たったのだ。

電話口で泣き崩れたけれど、もうあの温もりと重さは帰ってこない。
命を預かることの重さを、わたしはこの経験で初めて知った。

これが初めての猫「ロココ」との出会いと別れである。

#猫の思い出
#高校生
#昭和46年
#初めての猫
#飼い猫
#エッセイ
#連載エッセイ
#エッセイ部門
#創作大賞2026


いいなと思ったら応援しよう!