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No 139:日本はクレームによるリスクを過剰に恐れる社会❣


「日本はなぜクレームに弱いのか ― いわき市“赤飯中止”に見る過剰配慮の正体」

2026年3月11日、福島県いわき市の市立中学校で予定されていた「卒業祝いの赤飯給食」が、当日の一本の電話で中止になった。
理由は「震災の日に赤飯は不謹慎ではないか」という意見だったという。
そして、調理済みであった約2100食の赤飯は廃棄されてしまった。
たった1本のクレームを理由に、食べられる食品を大量廃棄へと追い込んだ市教委の判断に疑問を呈す人は多い。
結果、生徒たちに提供されたのは、祝うはずの日とは対照的な「非常用の缶詰パン」だった。
この出来事に、違和感を覚えた人も多いのではないだろうか。

なぜ“1件のクレーム”で決まるのか
日本社会の特徴の一つは、「少数の強い意見」に極端に影響されやすい。
本来であれば・多数の意見・現場の判断・目的(今回は卒業祝い)
を総合して判断すべきだ。
しかし現実には、「問題になる可能性」を過剰に恐れ、
“ゼロリスク”を選ぶ傾向がある。
その結果が今回の「赤飯中止」。

責任回避の文化、もう一つの大きな理由は、「責任を取りたくない構造」。
もし赤飯を出して問題になれば、批判される、場合によっては謝罪や処分
しかし中止にすれば少なくとも「炎上」は避けられる
つまり「最も安全なのは、何もしないこと」
という判断が働く。
これは個人の問題ではなく、行政や組織全体に根付いた文化でもある。

「配慮」が行き過ぎる理由
日本では「他人への配慮」が美徳とされてきた。
本来これは素晴らしい価値観だが、行き過ぎると
誰かが不快になる可能性、ごく一部の感情まで過剰に優先されるようになる。
その結果、今回のように
祝うべき卒業生よりも、匿名のクレームが優先される
という逆転現象が起きる。
今回の赤飯中止は、小さな出来事に見えて、
日本社会の意思決定の歪みを象徴しているのかもしれない


子どもが 給食を食べる時に『いただきます』を言わせるのはおかしい!」
学校にそんなクレー ムをつける保護者がいるそうです。
「給食費を払う以上、給食を食べるのは当然の権利なのだと---。
ただその様なクレームで学校が「いただきます」と言うのを止めたとの
報告は無いようです。

レストランでも「金払ってるんだから、ごちそうさまは不要」宅配が来ても
「配送料払ってるんだから、ありがとうは不要」
タクシーでも「料金払うんだから、お礼はいらない」

でも不思議なことに、多くの人はそうしない。コンビニでもレストランでも、「ありがとう」と言う人がいる。食事の前後に「いただきます」「ごちそうさま」と言う人は多いだろう。
お金とは関係なく、人は自然に感謝の言葉を口にするものらしい。

お米や野菜を作っている農家の方。魚を獲る漁師さん。
それらを運ぶ人がいて、料理する人がいる。
そして私たちは、命をいただいて生きている。
そう考えると、「いただきます」はお金の話ではなく、人の心の話。

この様なクレームを学校に入れる親はどの様な仕事をしているのかがすごく
気になります、給与をもらっても「ありがとう」と言う気持ちはないのだろう、自分は仕事をしたのだから給与をもらってあたりまえと考える?
 
世の中は1人の力では生きて生きていけません、いろんな人々の助けがあり生活が出来ている、「ありがとう」「いただきます」「ご馳走様」が言えない人間には絶対なりたくない。

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