春まで、もう少し。
春を待つ猫は、雨の日にだけ現れる。
そんな噂を、少女は半分だけ信じていた。
石畳を濡らす夜の雨。
街灯の光が、水たまりの中でゆらゆら揺れている。
その夜。
古い時計塔の下で、少女は本当に猫を見つけた。
白い毛並みに、淡い桜色の瞳。
まるで春の欠片みたいな猫だった。
「……ほんとにいたんだ」
猫は少女を見ると、少しだけ困ったように笑った。
『見つかってしまったね』
その声は、不思議なくらい優しかった。
少女はそっとしゃがみこんだ。
「どうして“春を待つ猫”なの?」
猫は雨の空を見上げた。
『春が来ると、ここを離れなきゃいけないから』
「どこへ?」
『遠いところ』
まるで帰る場所を思い出せないみたいな言い方だった。
少女は胸の奥が、きゅっとした。
「……帰りたくないの?」
すると猫は、小さく首を傾げる。
『帰りたくないというより』
『ここに、もう少しいたいんだ』
雨音だけが静かに響く。
少女は、その言葉がなぜか分かる気がした。
楽しい時間ほど、終わりが来る。
好きな景色ほど、ずっと見ていたくなる。
春は綺麗だ。
でも綺麗だからこそ、終わるのが早い。
猫はふいに少女へ近づくと、そっと額を寄せた。
ふわりと桜の香りがした。
『きみは、春が好き?』
少女は少し考えてから笑う。
「……好き」
「でも、少しだけ寂しい……かな。」
猫も小さく笑った。
『うん』
『春って、そういう季節だよね』
その瞬間。
遠くで、春を知らせる鐘の音が鳴った。
猫の姿が、淡く透けていく。
少女は思わず手を伸ばした。
「待って!」
けれど猫は、優しく目を細めるだけだった。
『きみが忘れなければ、春はちゃんと残る』
桜色の光が、雨の街へ溶けていく。
最後に残ったのは、鈴の小さな音だけ。
少女はしばらく空を見上げていた。
冷たい雨は、いつの間にか止んでいる。
春まで、もう少し。
そんな匂いが、風の中に混ざっていた
片桐みかんさんのお題に参加させて頂きました👇️✨️
