見出し画像

🌙 月に呼ばれた娘


夜が深くなるほどに、

その声ははっきりと聞こえるようになった。



「おいで」



誰のものともわからない、やさしい呼び声。

風の音にまぎれているのに、不思議と心の奥まで届く。



少女は、最初それを夢だと思っていた。



けれど——

満ちていく月の光に照らされるたび、

胸の奥が、ひどく懐かしくなるのだ。

まるで、帰る場所を思い出してしまったみたいに。



その夜、少女は白い衣をまとい、

誰にも告げずに家を出た。



導かれるように歩き続け、

たどり着いたのは、山の奥にひっそりと佇む古い社。



藤の花が静かに揺れ、

灯籠の明かりが淡く瞬いている。



そして、その先に——

あまりにも大きく、あまりにも近い、

満月が浮かんでいた。



手を伸ばせば、触れてしまいそうなほどに。


「やっと、来てくれたね」


声は、今度ははっきりと聞こえた。



少女は、迷わず手を伸ばす。

その瞬間、月の光がふわりとほどけ、

無数の光の粒となって彼女を包み込んだ。



冷たいはずの光は、なぜかあたたかくて——

涙が、ひとすじこぼれ落ちる。


「どうして、私を呼んだの?」


震える声で問いかけると、

月は、静かに応えた。


「きみは、もともとこちら側の存在だったから」


それは、忘れていた記憶。



遥か昔、

少女は“月の欠片”としてこの世界に落ちた。



人として生きるために、

すべてを忘れて。


「帰る?」


やさしい問いかけ。



帰れば、もう迷うことも、傷つくこともない。

ずっと、満ちたままでいられる。



けれど——

少女の脳裏に浮かんだのは、

あたたかい日々の記憶だった。



笑ったこと。

泣いたこと。

誰かの手のぬくもり。


「……帰らない」


小さく、けれどはっきりとした声で、少女は言った。


「ここで生きていく。不完全でも、欠けていても、それでも——」


月は、少しだけ寂しそうに、

そしてどこか誇らしげに輝いた。


「そうか」


やがて光は、ゆっくりとほどけていく。

少女の体には、ひとひらの光が残った。

それは小さな、月のしるし。



それからというもの、少女は

満月の夜になると、空を見上げる。

呼び声は、もう聞こえない。



けれど——

胸の奥には、確かに光が残っている。



欠けることを選んだからこそ、

満ちることの意味を知った。



月に呼ばれた娘は今日も、

この世界で静かに息をしている。



月の光を、ほんの少しだけ宿しながら。




片桐みかんさんのお題に参加させて頂きました👇️✨️


いいなと思ったら応援しよう!