神様トリップ#2 福岡・英彦山神宮
英彦山神宮を選んだ理由は覚えていない。
誰かに勧められたような気もする。もしくは、いつものようにグールルマップで偶然見つけたのかもしれない。
英彦は「ひこ」と読む。英は読まないのか、英彦の二字で「ひこ」と読ませるのか。なんの前情報もなく英彦山神宮を選んだのだが、それはいつものことだった。
47都道府県全てを巡るワークショップツアーの副産物として、それぞれの訪問先で聖地巡りをしようと決めたが、わざわざそういうフォーマットがなくても同じことをしていたと思う。




ひとまず宇佐神宮には行った。
大分のパワースポットといえば、まずはここを挙げる人は多い。朝鮮との縁深いこの神宮へは15年前くらいに訪れてはいたが、記憶が薄れていたので上書きすることに躊躇はなかった。
雑誌スイッチでかつて連載していた「神様トリップ」と題された聖地紀行で初めて訪れて以来の宇佐神宮だったが、本殿まわりはさすがに覚えていたものの、そこへと続く参道はほとんど記憶の外だった。
ちなみに本連載タイトルは、このスイッチでのタイトルと同じで、命名者は私本人なのでリバイバルも許されるだろう。さらに宗教人類学者の植島啓司先生にも、このタイトルを誉めていただいたことがある。「トリップ」は紀行だけを意味するわけでなく、内なるものなど様々な旅を含有しているのは勘のいい読者なら察していただけるのではないか。植島啓司先生の軽みにはリスペクトしかない。


宇佐は凛として美しかった。
前回は改修中で見れなかった本殿も、今は目の前でその朱が実に鮮やかだった。風通しが良く、軽やかなよい気に満ちていた。やはり高台にある聖地は沈みがなく、立地からも心地良さが保障されている、そう思った。
宇佐平野を見下ろすその高台地は、地形からも軍事的にも要衝であったことが伺えるし、また国東半島の根元にあることから朝鮮半島と畿内を結ぶ航路の中継地として栄えたことが肌で感じられた。
宇佐はある時期には国際的な町でもあり、複数の文化が混じり合う淡いの地でもあった。
そんなことをぼんやり心に思い浮かべながら、宇佐神宮を歩いていると、二ヶ所気になるところがあった。
一つは、祓所(ハラエド)であり、二つ目は弥勒寺跡である。
祓所は、文字通り参拝する前に穢れを祓う場所である。大鳥居をくぐってずんずん進んでいくと岐路の右手正面に現れるのだが、少し手前から何かしらのエネルギーが感じられて吸い寄せられた。
そこには小さな池があって、儀式でも使われる大切な場所なのだという。水面に臨むようにして四角い壇もあった。参拝前に穢れを落とす場所、つまりは前提にしては、ここそのものがすでに核心部のような力があった。
池の奥には広葉樹の森が上へと登り広がり、池に影を落としていた。水は濃い色に沈みながら人々の穢れを預かってくれる清らかな深さを示し、少しばかりの畏れを対峙する者に感じさせる風格と共に在る。
行きしな、帰りしなと寄った2度とも、なんとも言えない漠とした力を受け取った。私は漠なるものを漠として受け取り、そのまま有難いと合掌して去った。

二つ目のの弥勒寺跡は、かつてこの地に大寺があったことを知らせていただけでなく、そこに集散した者たちの念が、爽やかに漂っているような気がした。それには念という字ほどの重さはなく、微笑みがエネルギーとして今もなお風に吹かれているような優しさがあった。
いわゆる聖地、パワースポットと呼ばれる場所での私の楽しみ方は、まず通過する鳥居や、門、川、などを通るたびに自分を段々と心地よくリラックスさせ、そうなった状態でチューニングが合う地点や自然物・像を見つけ、そこに佇み、交感し、健やかさを取り戻すことだ。
それは自分のためのお祓いであるだけでなく、私からもささやかなれど、良きエネルギーをその地に置いて去ることまでをひと組みとしている。



宇佐神宮を後にして、次に向かったのは英彦山神宮だった。
同行のKさんは、少し時間を気にしていた。すでに14時半、宇佐神宮から英彦山神宮までは1時間だという。暗くなっちゃうかもしれませんね、と国東に住むKさんは十分に楽しめない可能性を示した。
社務所は17時までだから大丈夫、という私の返事の意味は本人すら分かっていない。とにかく行こうという意思だけは伝わったらしく、私たちは北西へと向かった。
英彦山神宮は、福岡との県境に位置し、住所だと実は大分ではない。大分のご当地内での聖地巡りからははみ出てしまうのだが、構わずに行くことにした。豊前という古い国名を持ち出せば、宇佐も英彦山も同じ括りになることを脳裏に浮かべたが、それはどうでもいいことだった。国境は人が作った線に過ぎない。
Kさんは自然美しき豊前の道を淡々と走り続け、やがて英彦山のかなり近くまで来たようだった。私は掌の中のグーグルマップを見つめつつ、神社の横からアクセスするショートカットを見つけ停車してもらった。ぐるっと回って正面の大鳥居から入るよりも10分ほど時間を節約できそうなので、横入りすることに決めた。
正面からしっかりご挨拶して参拝を始めるのが本筋なのは理解していたが、横から入る道があることだし、これはこれだろうとした。
それは結果的に正解だった。軽トラック一台が通れるほどの道を入るとすぐに橿原神社の小さな社があり、その隣り奥に池がひっそりと現れた。
周囲をぐるりと樹々に囲まれたその池は、悲恋の民話か、神の降臨地としての伝承がありそうな雰囲気で、まさにひっそりと土地の民に秘められているかのようだった。
せいぜい百メートルの周囲しか持たないその池は、人口のものが自然のものかは判然としなかった。小さな池の対岸には、いくつかの祠が並び、その様子から今でも信仰が絶えていないことが伺えた。



まるで水面から神様が金と銀との刀を持って今にも浮上してきそうなその池は、三日月池と名があった。
私たちは、しばらくそこでじんわりと過ごし、写真を結構撮った。この池に出くわすために、横道から入ることになったのだろう。私はその池に合掌してからさらに上へと再び歩き出した。
ほどなく修験館という資料館に行き着いたが、まもなく閉園の16時になると入り口に居合わせた年配の女性に告げられ素通りした。なんとなく展示物は想像はつくが、時間があったらゆっくり見物したい館だった。
英彦山神宮は、やはり裏から入ることになった。本殿の巨大といっていい背姿に一礼してから、表側へと廻った。

寒さが最も厳しい11月の英彦山神宮の境内には、人がほとんどいなかった。それこそ貸切といっていいほどだった。人がいないことによって、いかにも深山中の神宮といった雰囲気が増幅されているようで、その凍ついた境内にしばし呆然とたたずみながら、いい時に訪れられたと心中が熱くなった。こういうのを招かれたと多くの人は口にするのだろう。
まずは本殿に向かって参拝する。
その後に一旦社務所で御朱印をいただいた。17時までというのが脳裏に浮かんだのだ。
私は旅先で短い世間話をするのが好きで、お守りなどを扱う授与所の方と、この時も二、三交わした。
彼女によると、英彦山は元は日子と記した。その理由は、太陽神である天照大神様の御子天忍穂耳命様を御祭神としているからだという。太陽の子というわけである。なるほど!と妙に感心した。
さらに、中世以降は神仏習合となり、修験道の道場としてこの国で指折りの栄を見せたという。羽黒山、大峰山と並び三代修験道場なのだとか。私は再びなるほど!と感心した。





山を愛する私は、日本の名だたる山の多くが信仰の対象とされていることを経験的に知っている。つまり、山に入れば修験道という信仰や、その元となる山の霊性に接することになる。
そして、信仰の対象である山の全てが自分にとって聖なるものかといえば、そうとは限らないことも学んできた。つまりは相性の話だ。心から癒しを感じるような山もあれば、ちょっと怖いなと思わせる山もある。相性やその時の心身のコンディションによって印象は変わるのだが、そういう流動性は山が生きていることを実感させてもくれる。どっしりと構えているイメージが強い山だが、実は胎動のようなウネリと共にあると私は常に感じている。
英彦山は私には素敵な場所に感じられた。修験の大道場があったくらいだから、厳しさもあるのだが概ね優しいと思えた。大きな父のような存在に近い。


境内をぶらりと歩けば、凛と冷えた佇まいが心地よかった。小さな池には、鯉ではなく虹鱒が泳いでいる。その魚の姿も神のように思えた。
かつて多くの修験者が集まった大きな広間を持つ奉幣殿は、まるで英彦山の写しであるようにどしりと構え、そして美しかった。
そのまま右手を見れば、石造りの鳥居があり、その中央に真円の紋が刻まれていた。ああ、これかと思った。受領所での世間話の中で、下津宮に昇る階段の下にある鳥居に太陽を表した紋が見れるだろうと聞いていた。円とは美しいものだと今更感心した。
太陽への感謝や信仰は、古くから人類共通のものだと思う。経典や教祖などを必要としない素朴な敬いの姿は、細胞から発する根源的な憧れから来ていて、その鳥居に刻まれた真円に私は自ずから合掌し頭を垂れていた。
本来なら英彦山にも登り、その頂近くにある上宮にも行ってみたかったが、そこに至る階段などが崩落していてしばらくの間は通行止めだと聞いた。もともと時間的に難しかっただろうが、修験者よろしく日没後でもその気になれば登れただろう。だが実際には、翌日にワークショップを控えていたので無理に敢行することはなかっただろう。

太陽の姿が彫られた鳥居をくぐり、すこしばかりの階段を登ったところに下津宮があり、参拝した。
もともと山頂まで上がれない人たちへの参拝場所なのだが、その場所からは奉幣殿の大屋根が見下ろせ、その先には豊前の遠景が望めた。
小さな社殿には、羽をあしらった神紋の旗が翻っていて、私はそれが気になった。もとからマークの類が好きで、それは自分の中にある何かであって、前世とも関係があるようにいつも感じている。
折よく小さな受領所があったので、そこの方に訊ねてみた。私は伊勢の八咫烏を思い浮かべながら、あの羽はカラスのものですか?などと問うた。二十代と思われる若い修験者姿の方は、「あれは鷹ですね」と爽やかに答えてくれた。
鷹か!私は嬉しさをそのまま隠さずに声にした。その修験者は私の声につられたかのように、「 抱き鷹の羽に二つ引き」ですね、と張りのある声でそう添えた。
鷹というのは、強さと賢さの象徴だ。私はその紋の美しさにしばし見惚れた。二つ引きの二には大した意味はないはずだ。学級の一組、二組のような区分けに過ぎない。私は、鳥居の太陽の紋と、下津宮の鷹の紋に強い印象を与えられ、それらの象徴が刺激する自分の中の何かと対峙しつつ、その場でしばし呆然とした。
若き修験者が座る受領所の奥の壁には鹿の毛皮でできた腰当てが下がっていて、この山域が今もなお修験道場であることを伝えていた。




下津宮から下り、さきほど御朱印をいただいた受領所に戻り、彦山がらがらという土鈴を買った。郷土玩具のような素朴さが気に入ったのだが、そもそもは参拝者が道中の魔除けとして腰に下げたものらしい。土色に素焼きした鈴に、水を表す青と太陽を表す赤を塗って稲藁を紐として通してある。ちょうど玄関に下げたら可愛らしい魔除けになるなと土産にした。
支払いのやり取りをしつつ、英彦山がらがらのことをさきほどの女性から教えてもらった。鳥居の太陽紋を教えていただいたお礼なども挟みつつ、次回は山頂の上宮も訪れたい云々を伝えつつ、英彦山神宮を後にした。
良い場所に巡り合うと、またいづれ、という思いが湧き上がり、再訪への小さな望みを持つのだが、その一方で、これが最後だなとも感じる。そこには私自身に染み込んだ一期一会があって、生きることは終わりなき往路なのだという思い込みがある。それは単純に新たな先へと私を馳せてしまう好奇心のことであり、水の流れの理に従っているに過ぎないのかもしれない。
次回#3へ続く

