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1995年のバックパッカー#49 スリランカ3 夜の訪問者はシャンプーの香りに包まれて

10月11日(水)
9時半発のバスでダンブッラから出る。
往きはキャンディ経由で6時間かかったが、ペッター、クルネガラ経由の復路は平坦な道を走り、道程は往路よりも長かったが、5時間ほどで到着した。タンブッラからペッターに向かう最初の1時間は混雑していて、座れなかったが、その後はゆったりとした心地よいバス旅だった。

スリランカは仏教国だ。隣の大国インドがヒンドゥー教国なのに対して、よくもこの小さな島国で信仰を守れたものだと、そんなことを考えたりしながら車窓からの風景を眺めていると、その穏やかさは仏教に由来してるような気がしてくるのだった。
むろん、僕の薄っぺらい歴史や宗教の知識ではそれを裏付けるものは一切ない。旅の途中の淡い妄想の類である。


コロンボに到着すると、バスターミナルからはオートリキシャーに乗って中心部まで行き、先日まで滞在していたex-mens clubへ投宿した。僕の知識ではこの名前をうまく解読できなかったが、普通に訳すと「元男たちのクラブ」となってしまうのだった。
その「元男たちのクラブ」のロビーで、またもや日本人の女性と鉢合わせた。名前はいづみさん。なぜ名字ではないのかといえば、彼女がいづみとだけ名乗ったからだ。おそらく旅慣れているのだろう。欧米人を含めた旅人たちは、ファーストネームで呼び合うことが多い。僕は受け取ったばかりの鍵の番号をそのまま彼女に教え、何かあったら呼んでねといつものように伝えた。こういうやりとりは他意はなく、それでしか連絡を取り合えないのだった。スマホのない時代のリアルである。

宿の受付では、タミル・タイガーのゲリラ組織が市中で何かをやらかしたという話をしていた。タミル・タイガーは元々スリランカに古くから住んでいてヒンドゥー教を主に信仰するタミル人が、後からやって来て多数派となった仏教を主に信仰するシンハラ人に対抗するために作られた少数派の組織だ。


小さな島にもこのような民族問題があることを思うと、つくづく日本は平和だなと感じた。九州と四国が連合国となるための独立運動開始し、それを政府軍が鎮圧するといった想像上のニュースは、現実感が乏しい。
僕はタンブッラからコロンボに戻る途中に感じた平穏無事な空気のどこかには、火種もあったのかと、仏教イコール平和でもないことを改めて知った。

インド大使館へビザの問い合わせをすると、すでに用意ができているという返事だったので、明日受け取りに行くことにした。僕は晴美さんが紹介しておいてくれた旅行代理店にへ行き、インドの南端トリバンドラム行きの飛行機の予約をした。それによって3、4日後にはスリランカを出る目処がついた。2450ルピー。


ひとまずその日のミッションを済ませてしまうと、僕の足はゴールフェイスのビーチへと向かった。このコロンボ滞在での象徴的な場所になりつつあったゴールフェイス。どうってこととない太平洋に面したビーチ。
その日も僕は、そこからの夕陽見物を目当てにしていた。僕はそこまで夕陽好きでもなかったが、安宿の部屋にただ横たわっているのも居心地が悪く、街でぶらぶらするには行く当ても面白みもなく、つまり暇つぶしの夕陽見物なのだった。
あいにく水平線のあたりは雲で覆われていて、太陽が海に接するのは見れなかったが、ぼんやりできたことに満足した。
思えば僕は夕陽を一人で見ていることが多い。誰かが横にいたら僕はその人を見ていることが多く、どっちかしかできない。

夕食は、ピザハットで済ませた。シーフードピザを3ピース、ライムクラッシュ入りのペプシ。100ルピー。安い。スリランカにいたらもっと美味しい地元料理があるじゃないかと自分でつっこみを入れたくもなるが、旅が日常化すると、こんな感じになる。日本にいたら、いつも日本料理ばかり食べないようにだ。
シーフードピザとはいえ、ひさしぶりに動物性タンパク質をとったことでの満足感はあった。この国では放っておくと豆と野菜、穀物ばかりの食事になってしまう。これは日本での暮らしと真逆で、東京にいた時は、野菜をとらねばと気をつけていた。

夜はインドへ向けての荷物整理を7号室のベッドでした。その夜は愛のステレオサウンドはなかった。僕はかさばるカセットテープの中から次のものを処分することにした。
・ボブディラン・グレイテスト・ヒッツ
・ニールヤング ・ボブマーリー ・キャットスティーブンス
だが次のものはとっておくことにした。
・ドアーズ

そして坂口安吾の本は日本へ送り返すことにした。処分はしても良かったのだが、なんとなく他の郵便物と一緒に送ることにした。僕はなぜ彼の文章が好きなのかを、手を動かしながら、少し考えた。雑で力強いからだという結論だった。


翌日の木曜日には、颯爽とインド大使館へ開館時間11時に合わせて行った。そこに掲示されていた内容によれば、受付は11時から12時。受け取りは16時半。
受付を済ませた僕は、インド大使館周辺を散策したり、ランチをしたりしながら時間を潰し、16時半に真新しいビザが添付されたパスポートを受け取った。これでいよいよインドへと旅立てる。

僕は返す刀で、旅行代理店へ行き、翌日のトリバンドラム行きのチケットを買った。買ったチケットはなんとファーストクラスである。3700ルピーという値段は、ノーマルの2450ルピーと大差がなかった。日本円で3000円くらい差なら、ファーストクラスというのを体験しておこうじゃないかと相なった。人生初のファーストである。それも含めて明日のフライトが待ち遠しくなった。スリランカも気に入ったが、長居の誘惑はなかった。ネクスト!である。

僕はスリランカの旅の締めくくりとして少し贅沢してもいいから美味しいスリランカ料理と堪能しようと決めた。

その前に前菜的にゴールフェイスへ夕陽を眺めにいった。その日もまずまずだったが、やはり水平線には沈まなかった。この季節は雲が途切れにくいのだろう。固執するなとスリランカの神様は伝えているのだろうか。


そして、最後の晩餐はといえば、美味しいスリランカ料理どころか異国料理店に入ってしまった。
その店名はピザハット。注文した料理名はシーフードピザである。つまり昨夜の繰り返しだった。思考停止である。言い訳としては、インドに行ったらカリーカリーの繰り返しになるので、その前にピザを食べておきたいということだった。まあ、それもわかる。

そして、夜は僕の7号室にいづみさんがやって来た。
今夜が最後の夜になることは、ロビーで見かけた時に伝えていて、ならば乾杯でもしようかという話になっていたのだ。

ドアを開けるとシャワーを済ませたばかりで髪も乾いていないいづみさんが微笑んでいた。シャンプーの香りがつんと鼻をついた。なんともいえない香りである。
部屋飲みとはいっても、狭小部屋なので、いづみさんにはベッドに座ってもらい、僕は床に直接座った。

乾杯と言って、地元の瓶ビールをこつんと合わせた。その音を耳にした時に、なんとなく僕の直感はこう感じた。
いづみさんはセックスをしてもいいかも、というつもりで来ているなと。ただそれは、なんとなく危険な感じも漂わせていた。場合によっては隠してある刃物で、いや文房具のカッターナイフで刺されるような影があった。

僕たちは、これまでの旅のこと、日本での暮らし、これからのこと、などなどを適当に交わしながら、本題のセックスするの?には踏み込めないでいた。
これは全くの勘違いかもしれないが、その確率はかなり低かった。ほぼ間違いなく、いづみさんは誘っているのだった。これは僕の本能的な勘である。

そしてその本能的な勘とやらが、ここは待てかもしれない、と躊躇しているのであった。
少しでもきっかけを与えたら、いづみさんは僕にすべてを預けるだろう。そしてその内容は一晩だけの関係として素晴らしいものになるのは間違いなかった。
いづみさんの体は洗い立てで、まだ髪も乾いていない。なぜ髪を乾かしてから来なかったのか。そこはよくわからないが、とにかく洗い立てでシャンプーの香りがぷんぷんしているのだった。

いつしか僕らの雑談は、気づけばいづみさんの離婚話へと突入し、なんと彼女は離婚ほやほやであり、いづみさんは32歳なのだった。つまり僕より4歳上の綺麗なお姉さんだったのだ。
いづみさんは、これから一ヶ月かけてスリランカをさらに旅するのだと言う。これまでも何度かスリランカに来ていて、この島が大好きなのだと言う。僕なら一ヶ月もあったらインドにも行くけどなと言いかけてやめた。誘ったら本当についてきそうな気がしたからだ。
そうなったら、おそらく明日にでもインド大使館に申請し、1週間後にはトリバンドラムの僕の部屋をノックする。それは問題ないのだが、なんとなく不吉な予感もしたのだった。これは僕が勝手に抱いた妄想であり、いづみさんには大変失礼なことだけど、仕方がない。
そしてベッドで少し酔った様子のいづみさんは、もともと綺麗な人なので、さらに色っぽかった。これは据え膳なだろうか。僕は、らしくないまま躊躇を続けていた。

彼女はコットンの薄いワンピースを着ていて、胸の形が綺麗なのがわかった。時々足を組み替えるのだが、その動きが大きくて目のやり場に困った。僕は本能の危険信号に従い、2時間の荒行を終えた。

僕たちの間には何も起こらなかったし、いづみさんは、そもそもその気なんて少しもなかったかもしれない。とにかく、シャワーを浴びたばかりでシャンプーの香りをぷんぷんさせた32歳で離婚直後の綺麗なお姉さんは、僕の部屋から出て行った。僕たちは日本の住所を交換して、またどこかで!とハグもせずに、ドアの前で小さくバイバイと手を振り合って別れた。

そのいづみさんとは後日談がある。

2年後に帰国した僕は、恵比寿のウェンディーズでいづみさんと再会した。彼女は相変わらず綺麗だった。近況報告を交わす中で、いづみさんはあの旅で妊娠してしまったのとしんみりとした表情で言った。相手はスリランカ人だという。そのスリランカ人とは今も関係が続いていて結婚するかもしれないとのことだった。だが、そこには幸福感はなく、いづみさんはため息さえついた。
国際結婚はいろいろ難しいこともあるらしいけど、素晴らしい経験にもなるよね、などと僕はつまらにことを言うだけだった。実際かけるべきうまい言葉がなかった。
それ以来、いづみさんとは不通であるが、現在60歳をこえている彼女とはまた会ってみたいと思う。それこそコロンボあたりで。でもばったり会ってもお互い気づかないのだろう。時はふわりと、しかし確実に流れ、32歳は62歳に移ろうのだ。

話をスリランカ最後の日に戻そう。

インドへと向かう朝は4時に起床し、ツアーエージェントが言った通りに4時半にはYMCA前のバス停で18番バスを待った。だが、一向に来ない。このままで間に合わなくなると、セントラル・バスステーションへとオートリクシャーで向かった。セントラル・バスステーションまで来ればどうにか空港行きのバスに乗れるだろうと見込んだ。

だが、僕を運んでくれたオートリキシャーのドライバーによれば、この時間はバスはないから、このままこのオートリキシャーで空港へ行くべきだとのことだった。便があるならそれに接続するバスもあるはずだとオートリキシャーのドライバーに僕が強く言うと、あっけなくあのバスだと指差して教えてくれた。彼も稼ぐために必死なのだ。だが空港までの1時間をバイクで移動するのは魅力的ではなかった。

空港ではファーストクラス専用ラウンンジで朝食をとった。とくに豪華なわけでもなかった。


そしていよいよ搭乗となった。ファーストクラスのシートは幅が広く、僕のサイズなら二人は座れるようなシートだった。だが、それは広いだけでやはり豪華ではなかった。僕の中のファーストクラスのイメージとは違い、ラウンジでシンプルな食事があり、シートが広いといった程度の違いしかなかった。せめてフライト中はそのゆったりシートを存分に味わおうと思ったが、飛行時間はわずか1時間なのだった。

早朝の眼下に見えて来たトリバンドラム空港は鳥の巣のように小さかった。大きな大きなインドの小さな入り口であった。






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