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連載小説【百鬼監獄録】第六話

こんにちは、猫丸にゃん仔です。
連載小説【百鬼監獄録】第六話をお届けいたします。

猫丸・原案、ChatGPTとGeminiの共同制作です。

登場人物

被害者ファイル⑥

     百鬼監獄録

第六話「世界一強い鬼の子」

【第一幕:紙芝居と小さな決意】

夕焼けに染まる下町。
茜色の光が落とす長い影の中を、ランドセルを背負った小学生の男の子が必死に走っていた。

豆腐小僧の半妖──豆谷 優斗(まめたに ゆうと)。

「うぅ……っ……ヒック……」
逃げ込んだのは、誰もいない公園の裏手。
膝をついた優斗の制服は砂だらけで、小さな両膝には痛々しい擦り傷ができていた。大切に背負っていたランドセルにも、無惨な泥がべったりとこびりついている。
先ほどまで、数人の同級生たちに囲まれていたのだ。
『泣き虫ー!』
『また逃げたぞ、あいつ!』
『豆腐小僧の癖に、豆腐みたいに弱くて脆い奴だな!』
心無い言葉と冷たい嘲笑。
言い返すことすらできず、優斗にできたのは、ただ頭を低くしてその場から逃げ出すことだけだった。

(なんで僕は……)
公園の隅で泥だらけの膝を抱え込み、優斗はポロポロと涙をこぼした。
(いつも……逃げてばかりなんだろう……)
(もっと……もっと強かったら……)
(みんなを見え返せるのに……っ)
涙を拭っても溢れ出る悔しさと情けなさは止まらない。
弱くて、臆病で、何もできない自分自身が、嫌で嫌でたまらなかった。
──人気のない神社の裏手。
夕闇が忍び寄り、鳥居の影が伸びる場所で、優斗が一人小さくなっていたその時だった。

どこからともなく、カラ〜ン……カラ〜ン……と、哀愁を帯びた木の拍子木を鳴らす音が聞こえてきた。
「……?」
優斗は涙で濡れた目を擦り、ゆっくりと顔を上げた。
夕日に赤く染まった一本道。
そこをゆっくりと歩いてきたのは、昔話の絵本でしか見たことがないような、古びた自転車を押した紙芝居屋だった。
荷台には、年月の刻まれた大きな木箱。
そこに収められた、どこか色あせた紙芝居。
自転車を押すのは、白髪交じりの細身の老人だった。
老人は優斗の前で自転車を止めると、シワの刻まれた目元を和ませ、柔らかな笑顔を向けた。
「……坊や。」
「え……?」
「紙芝居は、好きかい?」
優斗は鼻をすすりながら、小さくコクリと頷いた。
老人は満足そうに深く微笑むと、境内の木かげに自転車を止め、静かに紙芝居の準備を始めた。
「よし……では、とっておきの話をお見せしよう」
カチ、カチと拍子木が鳴り、老人の朗々とした声が境内に響き渡る。

演目の題名は──『世界一弱虫だった鬼の子』。
物語の主人公は、誰よりも体が小さく、誰よりも泣き虫で臆病な鬼の少年。
いつも周りの鬼たちにバカにされ、悔し涙を流してばかりいた。
けれど──物語の最後、少年は『本当の強さ』を目覚めさせ、大切な仲間を守るために恐ろしい妖怪へと立ち向かい、見事に勝利を収めるのだった。

優斗は膝を抱えるのも忘れ、食い入るようにその紙芝居を見つめていた。
主人公の鬼の子が、自分と重なって見えて仕方なかったのだ。
やがて、物語が終わる。
パチパチという拍手はない。観客は、優斗一人だけなのだから。
老人は静かに、愛おしそうに木箱の蓋を閉じた。
そして、自転車の脇に付けられた木箱から、カチャンと音を立てて一本の古びたガラス瓶の飲み物を取り出した。
「よく最後まで見てくれたね。これは最後まで観てくれた、お利口な坊やへの景品だよ」
差し出されたのは、昭和の面影を残す、どこか怪しげなラベルが貼られた瓶ジュースだった。
「あ……ありがとう、おじさん……」
泣き疲れて喉がカラカラだった優斗は、受け取った瓶の王冠を抜いてもらい、一気にそれを口へと流し込んだ。
冷たくて、ほんのり甘く、胸の奥まですーっと染み渡る不思議な味。飲み干すと、なんだか全身の力がみなぎってくるような、妙な感覚が広がっていった。
飲み干した瓶を渡すと、老人は満足そうに深くうなずき、今度はポケットから一枚の古びたメンコを取り出した。
それは、優斗がこれまで見たこともない不思議な絵柄が描かれたメンコだった。
黒と深紅の色彩がドロリと混ざり合い、夕日を受けて妖しく鈍い光を放っている。
「……これは……?」
優斗の問いに、老人はどこまでも優しく、慈愛に満ちた声で答えた。
「君は……『強くなりたい』のだろう?」
優斗の胸が、どきりと跳ねた。
「このメンコはね。持つ者の心を……誰よりも強くしてくれる特別な宝物なんだよ」
「ほ……本当に……? 僕でも……強くなれるの……?」
「もちろんさ」
老人は優斗と同じ目線までかがみ込み、その瞳をじっと見つめながら、甘く心地よい声で囁いた。

「怖くなくなる。」
「泣かなくなる。」
「誰にも負けなくなる。」
「──君を笑う者は、もう誰もいなくなるよ」

その一つ一つ言葉が、飲み物を通して温まった優斗の身体と、弱さに打ちひしがれていた心の奥深くへ、冷たく甘い毒のように静かに染み込んでいく。
優斗は震える両手を伸ばし、吸い寄せられるようにそのメンコを受け取った。

「……ありがとう、おじさん……っ」

老人は満足そうに頷くと、穏やかな笑みを浮かべたまま告げた。

「さあ……新しい君になりなさい」

ヒュッと、冷たい夕暮れの風が二人の間を吹き抜けた。

ハッと我に返り、優斗が視線を上げた時には──もう、紙芝居屋の老人の姿も、古びた自転車も、どこにもなかった。
まるで最初から誰もいなかったかのように、静まり返った境内に一人取り残されている。
残されたのは、優斗の手の中で、不気味に、妖しく黒く光り輝く一枚のメンコだけだった。

──その瞬間。
誰にも聞こえないほど小さく、けれど脳裏に直接ひびくような甘い囁きが、優斗の耳元で鳴り響いた。
『……今度は君が、誰かを泣かせる番だ』
「……あ……」
優斗の瞳から涙が消え、底知れぬ暗い光が宿る。
少年は無意識のうちに、その黒と深紅のメンコを、指が白くなるほど強く、強く握りしめていたのだった。

【第二幕:診療所の警告と不吉な影】

昭和の雰囲気を残す賑やかな商店街。
両手に紙袋を抱えた鈴が、二本の猫尾をパパッとご機嫌に揺らしながら歩いていた。

「らんらら〜ん♪ 今日の焼き芋は当たりだねぇ! お肉屋さんのコロッケもホクホクだし、巡回って最高〜!」
「おい鈴、買い食いに夢中になりすぎるな。僕たちは任務中なんだぞ」
隣で呆れたように注意する蓮だったが、当の本人はどこ吹く風。ルンルン気分でステップを踏んでいた──その時だった。

「ひゃっ!?」

足元の濡れた葉っぱに脚をとられ、派手にツルッとすべった鈴。
ぐしゃぁっ!
「あだっ!!」
派手な音を立てて倒れ込み、そのまま道路の縁石に勢いよく頭をぶつけてしまった。

「鈴っ!? 大丈夫か!?」
慌てて駆け寄る蓮。鈴は頭を抱えて涙目になりながら「うぅ〜……目がまわるぅ……」とへたり込んでしまった。

急いで向かったのは、商店街の裏手にある小さくて温かみのある町の診療所。
「はいはい、動かないでね〜。……うん、大きなたんこぶができているけど、骨には異常なさそうね」
そう言って優しく鈴の頭に湿布を貼り、手際よく包帯を巻いてくれたのは、この診療所の医師であり、座敷童子(ざしきわらし)の半妖──真理子(まりこ)だった。
「うぅ……真理子さん、ありがと……」
頭に包帯を巻いた鈴が、しょんぼりと耳を寝かせる。
「もう、気をつけてよ? しばらくは静かにして、あまり過激な運動はしないでね。釘を刺しておくわよ」
真理子の言葉に、蓮は深く頭を下げた。
「すみません真理子さん、ご迷惑をおかけしました。……それにしても、今日はなんだか待合室が混んでいますね?」
蓮が周囲を見渡すと、診察待ちの椅子には包帯を巻いた小学生くらいの子供たちが何人も座っていた。
真理子はふぅと小さく息をつき、困惑したように眉をひそめた。
「そうなのよ……。実はここ二、三日、近所の子供たちのケガが急増していて本当に困っているの」
「子供たちのケガ……? ケンカですか?」
「ええ。それがね……怪我をした子たちの話を聞くと、みんな『同じ男の子』にやられたって言うのよ」
真理子は声をひそめ、神妙な面持ちで語り始めた。
「その子は、普段はすごく大人しくて泣き虫な……いわゆる『いじめられっこ』の男の子でね。なのに、一昨日の夕方あたりからまるで『人が変わったよう』に攻撃的になって……自分をからかった子や、たまたま通りかかった子にまで襲いかかって、毎日誰かにケガをさせているらしいの」
「!!」
鈴と蓮の顔色が変わる。
(大人しくて泣き虫だった子が、急激に人が変わったように暴虐化……!?)
大吾の時の黒電話、凛の絵画──。
人の心の隙間に入り込み、その性質を正反対へと歪めて暴走させる「あの黒幕」のやり口と完全に一致していた。

「……真理子さん。その男の子の名前は分かりますか?」
蓮の真剣な眼差しに、真理子は頷いた。
「ええ。この近くに住む、豆腐小僧の半妖……豆谷優斗(まめたに ゆうと)くんよ」
「豆谷……優斗……」
鈴が呟く。
二人は目配せを交わした。間違いなく、ただの子供のケンカではない。事件の匂いが強烈に漂っている。
「真理子さん、貴重な情報をありがとうございます! あたしたち、ちょっと調べてきます!」
立ち上がって勢いよく飛び出そうとする鈴。

すると真理子は、ふふっと悪戯っぽく微笑みながら、鈴の頭の包帯をちょんと突いた。
「調査に行くのはいいけれど……鈴ちゃん?」

「は、はいっ!?」
「買い食いも、ほどほどにしなさいね? 集中力が散漫になって転ぶんだから」
「うぐっ……! か、買い食いは……その……巡回のエネルギー補給で……っ」
真理子にバッチリお見通しだった買い食い癖を指摘され、鈴は耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに下を向くのだった。

「……ほら行くぞ、鈴。優斗くんを探すんだ!」
「う、う〜! 蓮、待ってよ〜!」
真っ赤な顔の鈴と、気を引き締めた蓮は、暴虐化してしまった少年・豆谷優斗の足取りを追うべく、夕暮れの街へと飛び出していった。

【第三幕:夕空の公園と子供たちの噂】

優斗の行方を追って街を駆け回る鈴と蓮は、以前優斗が逃げ込んだという街外れの公園へと差し掛かっていた。

「……いたぞ、子供たちだ!」
蓮が指さした先では、公園の広場で数人の小学生たちが集まっていた。

だが──その中心にいたのは、見覚えのある白銀のお団子髪の女性だった。

「はいはーい! じゃあ次は『かくれんぼ』ね〜! 私が鬼やるから、みんな上手に隠れるんだよ〜♪」

丸眼鏡を輝かせ、無邪気に子供たちと缶蹴りやかくれんぼに興じているのは、所長補佐官の帝(みかど)だった。

「み、帝さん!? なんでこんなところで子供たちと遊んでるの!?」
鈴が目を丸くして駆け寄る。

帝は「やぁやぁ、二人とも〜」とおちゃめに手を振ると、持っていた急須をベンチに置き、ふふっと胸を張った。
「失礼な言い草だねぇ、鈴ちゃん。これはただの遊びじゃないよ? 『地元住民との親睦を深める、立派な情報収集(調査)』さ♪」
「情報収集……?」
蓮が眉をひそめると、遊んでいた子供の一人が不機嫌そうに口を開いた。

「お姉ちゃんたち、優斗の知り合い? あいつ、最近マジでヤバいんだよ!」
「そうそう! 一昨日なんか、急にすっげー怖い顔してさ、メンコ勝負で負けた途端にドカンって殴ってきたんだ!」
「今日も……『近くの廃工場』の方へ、黒いメンコを握りしめて歩いていくのを見たよ」
「廃工場……!」
鈴と蓮は顔を見合わせた。優斗の居場所がつかめたのだ。
「ありがとうございます! 行こう、蓮!」
二人がすぐさま廃工場へ向かおうと脚を踏み出した──その時。

「──待ちなさい。」
いつもの呑気な声とは一線を画す、低く落ち着いた声が二人の足を止めさせた。
振り返ると、帝は子供たちに「みんな、そろそろおうちに帰りなさいね〜」と優しく声をかけて立ち去らせた後、ゆっくりと二人へ歩み寄ってきた。
丸眼鏡の奥の瞳には、いつになく真剣な光が宿っている。
「帝さん……?」
「……今回の事件はね、これまでの大吾くんや白雪さんの時以上に『厄介』だよ」
帝は静かに腕を組み、廃工場のある方向を見つめた。
「相手は……まだ自分の感情を上手にコントロールできない『子供』だ。そして何より、彼は『強くなりたい』という純粋でひたむきな願いを歪められてしまっている」
「……強くなりたい、という願い……」
蓮が言葉を反芻する。
「そう。大人なら力で押さえつけることもできるだろう。だが相手は子供だ。下手に追い詰めれば、メンコの呪いに呑まれて身体も心もボロボロになりかねない。……慎重に、優斗くんの『本当の心』と向き合いなさい」
帝のアドバイスは、重く二人の胸に響いた。
「慎重に……ですね。わかりました。白雪さんの時のように、ただ力で止めるだけじゃダメなんだ……!」
鈴が二本の尾をギュッと握りしめ、力強く頷く。
「……助言、感謝します。行きましょう、鈴」
「うんっ!」
帝の警告を胸に深く刻み込み、鈴と蓮の二人は、影が伸びきる夕暮れの廃工場へと向かって駆け出していった。

【第四幕:廃工場の冷酷な影】

夕暮れの茜色が深まり、影が大きく伸びる下町の街外れ。
使われなくなって久しい巨大な廃工場の敷地内に、鈴と蓮の二人は足を踏み入っていた。
「冷気……いや、重苦しい妖気が満ちているな。気をつけろ、鈴」
退魔棍を握りしめる蓮の横で、鈴もまた緊張の面持ちで耳をピンと立てていた。
「うん……あそこだ!」

割れたガラス窓から差し込む斜光の中、広い敷地の中央に、ポツンと立つ一人の少年の姿があった。
豆腐小僧の半妖──豆谷 優斗(まめたに ゆうと)。
砂だらけの制服、泥のついたランドセル。見た目は同級生に泣かされていた小さな男の子そのものだ。
しかし──その立ち姿には、怯えも、震えも、一切なかった。
「……悠斗くん!」

鈴が駆け寄ろうとすると、少年はゆっくりと振り返った。
その顔を見た瞬間、鈴と蓮は息を呑んだ。
瞳に宿る、底知れぬ冷酷な輝き。
ポロポロと涙を流していた弱虫な少年の面影は微塵もなく、そこにあるのは圧倒的な自信と、ゾッとするほどの冷血さだった。

「……何の用? 百鬼監獄の人たち」

優斗の口から発せられたのは、低く静かな、大人びた声だった。
「悠斗くん……だよね? ケガをさせられた子たちがたくさんいるんだ。みんなに謝って、一緒に行こう……!」
「謝る……? 僕が?」
優斗はくすりと冷ややかに笑い、ポケットから一枚のメンコを取り出した。
黒と深紅がドロリと混ざり合った、妖しく光る『影メンコ』だ。
「どうして僕が謝らなくちゃいけないの? 僕をバカにして、笑って、泣かせたのはあいつらだ。……だから、今度は僕が殴り返してやったんだ」

「なっ……!?」
次の瞬間、優斗の足元から爆発的な衝撃波が吹き荒れた!

──ドォォォンッ!!!!

「きゃああっ!?」
「くっ……なんだこの威力は!?」
ただの小学生の放つ妖気ではない。
『強くなりたい』という欲望がメンコによって増幅され、狂暴なまでの怪力となって周囲の鉄骨を激しく歪ませる。
優斗(影)は冷酷な笑みを浮かべ、容赦なく二人へ襲いかかってきた。
「もう僕は泣かない。誰にも負けない。僕を笑う奴は……全員倒す」
「待って、悠斗くん! やめるんだ!」
鈴が必死に叫びながら攻撃をかわすが、相手は一切話を聞き入れない。
鋭い蹴りが鈴の目と鼻の先をかすめ、廃工場のコンクリートの床を木端微塵に砕く。
(嘘でしょ……!? こんなの、本当にあの泣き虫だった悠斗くんなの……!?)
言葉が全く届かない。説得の余地すらない圧倒的な冷酷さ。
白雪凛の時と同じだ。またしても力ずくで倒し、封印するしかないのだろうか──。

「ダメだ……! 鈴、焦るな!」
「でも、蓮! 悠斗くんの様子が、あまりにも──」
「……話を聞く状態じゃない! 完全に精神が侵食されている……大吾さんの時以上だ。本人の意識は、もうほとんど残っていない……!」
蓮が退魔棍に強い呪力を込め、一気に踏み込もうとする。
「倒して……本人の妖気を強制封印するしかない!!」
「そんな……! 力づくで封印したら、悠斗くんの心はどうなっちゃうの……!?」
自分の無力さと、またしても繰り返されようとしている「悲しい結末」への焦りで、鈴の胸は破裂しそうだった。

(どうすればいいの……!? どうしたら、悠斗くんを救えるの……っ!?)

パニックになりそうな頭を必死に抑え、鈴が視線を彷徨わせた──その時だった。
激しい攻防の衝撃で、優斗の背負っていたランドセルから、ポロリと一冊のノートが地面へ落ちた。
そのノートを庇うように、優斗(影)が一瞬だけ不快そうに顔を歪め、手のひらの『影メンコ』を強く握りしめた。
その一瞬の隙──。
『影メンコ』から、ほんのわずか、人知れずか細い「波紋」のような妖気が漏れ出た。

(……ひっ……ぐすっ……!)

「……えっ……?」
鈴の二本の猫耳が、ぴんと直立して激しく揺れた。
蓮には聞こえない。
だが、焦りで研ぎ澄まされていた猫又の鋭い聴覚を持つ鈴だけに、そのメンコの「内側」から響く、今にも消えそうな小さな泣き声がはっきりと届いた。

(……鈴お姉ちゃん……! 助けて……っ!!)
「!!」
鈴の瞳が大きく見開かれる。
(悠斗くんの声……!? 目の前で笑っている悠斗くんじゃなくて……あのメンコの中から……! 『助けて』って……本物の悠斗くんが泣いている……!!)
鈴の脳裏に、帝の言葉が稲妻のように駆け巡った。

『彼の“本当の心”と向き合いなさい』

そうだ。目の前で冷酷に暴れているのは、本物の悠斗じゃない!
「強くなりたい」と願った悠斗の憧れと歪んだ理想が作り出した「影(シャドウ)」が身体を乗っ取り、本物の悠斗の魂は、あの影メンコの中に閉じ込められて泣いているんだ!
「蓮! 待って、攻撃をやめて!!」

「なっ……鈴!? 何を言っている、今隙を突かないと──」
「この子は……目の前の悠斗くんは、悠斗くんじゃない!」
「なんだって……!?」
「本物の悠斗くんは、あのメンコの中に閉じ込められているの! 『助けて』って……メンコの中で泣いてるの!!」

優斗(影)は、鈴の言葉を聞くと不快そうに眉をひそめ、黒と深紅の妖気を手のひらに集めた。
「……うっとうしいな。僕の邪魔をする奴は、誰であろうと叩き潰す!」
「鈴、下がれ!」
「ううん、絶対に下がらない!」
鈴は焦りと恐怖を吹き飛ばし、二本の尾をギュッと握りしめて前に踏み出した。

(これまでの事件は、力ずくで本人ごと氷漬けにしたり、封印したりしてきた……。でも、今回は違う!)
(倒さなきゃいけないのは悠斗くんじゃない! あの身体に憑りついた『影』を引き剥がして、メンコの中から……本当の悠斗くんを助け出すんだ!!)

「悠斗くん……聞こえる!? 待っててね……! あたしが絶対に、あなたを助け出すからっ!!」
夕闇深まる廃工場の中に、鈴の覚悟に満ちた叫びが響き渡るのだった!

【第五幕:影メンコとの死闘と舞い散る雪】

「悠斗くん! 待っててね……! あたしが絶対に、あなたを助け出すからっ!!」

鈴の叫びとともに、戦いは激しさを増した。
身体を乗っ取った「影(理想の悠斗)」は、冷酷な笑みを浮かべながら狂暴な怪力を振るう。

「ハハッ! 助けるだって? 弱くて泣いてばかりだった“昔の僕”なんて、もうどこにもいない! 今の僕が、完璧で最強の僕なんだ!!」

破砕する廃工場のコンクリート。
悠斗(影)の振り下ろす拳が一撃ごとに建物を揺らし、黒と深紅の禍々しい妖気が渦を巻いていく。
「くっ……! 鈴、攻撃を集中させるぞ! 身体を傷つけずに、手元の『影メンコ』だけを叩き割るんだ!」
「うんっ! 蓮、合図に合わせて!」
蓮が退魔棍を激しく振るい、青い雷撃の檻で悠斗(影)の動きを抑え込む。
「そこだ、鈴──ッ!!」
「いけぇぇぇっ!!」
鈴は風のように躍動し、隙を突いて悠斗の右手へ肉薄! 鋭い爪で『影メンコ』を弾き飛ばそうと手を伸ばした──その時だった。

──ガァァァンッ!!!!

「なっ……!?」
影メンコから溢れ出た呪いが、ついに完全暴走を起こした。
「強くなりたい」という歪んだ欲望が限界突破し、膨れ上がった漆黒の妖気が廃工場の屋根を突き破って空へと噴出する!

(しまっ……! 妖気が街へ流出する……!!)
蓮が顔を青くする。
この密度の妖気が下町の住宅街へ及べば、一般の人々に甚大な被害が出る。だが、目の前の影を抑えることで手一杯の二人には、外へ広がる妖気を防ぐ術がない!
「ダメ……外へ漏れちゃう……っ!!」
鈴が悲痛な声を上げた、まさにその瞬間だった。

──世界が、しんと静まり返った。

──ギィィィィン……ッ!!!!


廃工場の周囲、さらには下町の住宅街全体を包み込むように、空から地へと巨大な白銀の「氷の結晶」が舞い降りた。
地を奔り、天へと立ち昇る、圧倒的かつ繊細な氷の障壁。
最上級結界術──『氷牢結界(ひょうろうけっかい)』。
膨れ上がりかけた暴走妖力は、一滴たりとも外へ漏れることなく、美しく静かな氷の壁によって完全に遮断された。建物にも、住人にも、何一つ傷をつけることなく。
「え……? 氷の……結界……!?」
鈴と蓮が息を呑んで見上げると、割れた廃工場の屋根の上、月光を浴びて静かに佇む一人の女性の姿があった。

透き通るような白い肌。感情を削ぎ落とした無表情な顔立ち。

百鬼監獄のどの部隊の制服でもない。謎の女性。

「あの人は……誰……?」

蓮が呆然と呟く。
屋根の上の女性は二人を見下ろすこともなく、ただ静かに、眼下の惨状と優斗の手に握られた影メンコを見つめていた。

「あの……! 助けてくれて、ありがとうございます!!」
屋根の上へ向かって、鈴が全力で手を振って叫んだ。
女性は一瞬だけ、鈴の二本の猫耳とまっすぐな瞳へ視線を落とした。
言葉を発する様子はない。ただ、静寂の中で氷のように澄んだ瞳が、一言だけ──短く、静かに言葉を紡ぐ。

「……戦って。」
それだけを告げると、彼女の身体は一陣の夜風とともに、サラサラと舞い散る雪の結晶となって夜空へ消えてしまった。

「消え……た……?」
「……あんな結界術、見たことがない。一体、何者なんだ……?」

「ハ……ハハハ! 結界だろうが何だろうが関係ない! 僕が一番強いんだぁぁぁっ!!」
結界によって退路を塞がれ、いよいよ追い詰められた影メンコの暴走妖気が、優斗の身体を中心に渦を巻く。
鈴は深く息を吐き、強く拳を握りしめた。
名前も分からないあの人が張ってくれた結界のおかげで、もう周囲への被害を気にする必要はない。全力で目の前の「影」と戦い、悠斗を救い出す集中ができる!
「……ありがとう、お姉さん! 蓮、行くよっ!!」
「ああ! 悠斗くんの心を取り戻すぞ!!」
二人は意を一つにし、狂暴な影が荒れ狂う最終決戦へと飛び込んでいった!

【第六幕:断ち切る光と取り戻した魂】

──ドゴォォォンッ!!!!

影メンコの暴走妖気は最高潮に達していた。
「強くなりたい」という悠斗の憧れを喰らって巨大化した影は、黒と深紅の触手のように荒れ狂い、鈴(りん)と蓮を容赦なく打ち据える。

「ハハハッ! 無駄だ無駄だ! 誰も僕には勝てない! 僕が一番強いんだ!!」

冷酷な高笑いを上げる影。
蓮が雷撃で牽制するが、影の勢いは留まることを知らず、二人はじりじりと壁際まで追い詰められていく。
「くっ……! 影が強すぎて……メンコに近づくことすらできない……!」
膝をつき、荒い息をつく蓮。
鈴もまた擦り傷だらけになりながら、必死に前を見つめていた。
(悠斗くんの心は……今もあの暗いメンコの中で泣いているのに……!)
『鈴お姉ちゃん……! 助けて……っ!!』
脳裏にリフレインする、小さな悠斗の助けを求める声。
力が欲しいんじゃない。誰かを傷つけたいわけでもない。ただ、怖くて、悔しくて、誰かに助けてほしかっただけなのだ。

(助けたい……! 力づくで封印するんじゃない……悠斗くんの『心』を、闇から助け出したいっ……!!)

「悠斗くんを……助けるんだぁぁぁぁっ────!!!!」

鈴の胸の底から、溢れんばかりの強い願いが爆発した。
その瞬間──。

──ズバァァァァンッ!!!!

鈴(りん)の身体から、これまでに見たこともない眩い純白の光が解き放たれた。

それは、遥か昔に途絶えたとされていた幻の力──『闇を断つ力』

対象の命や身体を傷つけることなく、憑依した邪気や呪い、心の闇だけを鋭く切り離す伝説の霊力。
「大切な人を救いたい」という鈴のどこまでもまっすぐで純粋な強い心に共鳴し、奇跡のように覚醒を果たしたのだ。

「なっ……!? 鈴の妖気が……光に……!?」
蓮が驚愕の目を見開く。

鈴の手元で、純白の光が鋭い刃となって輝きを増す。

「我が解き放つは、闇を断つ光──ッ!!」

鈴は疾風となって地を蹴った。
影が放つ黒と深紅の爪が襲いかかるが、鈴の纏う光の刃は、その禍々しい妖気を氷が溶けるように次々と断ち切っていく!

「なっ……何だこの光はあぁぁぁっ!?」

うろたえる影の懐へ、鈴が一瞬で飛び込む。

「悠斗くんの心を……返してっ!!!!」

──一閃ッ!!!!

純白の光の刃が、悠斗の身体と影メンコを繋いでいた黒い妖気の糸を、綺麗に一刀両断した!

「ギャアァァァァァァッ──!!!?」

影の金切り声が廃工場に響き渡り、悠斗の身体から漆黒の影が引き剥がされ、ドロリと霧散していく。

「蓮っ、今!!」

「任せろ!!」

影を引き剥がされ、そのまま崩れ落ちる悠斗の身体を、蓮が滑り込むように抱きとめた。

知識と準備を結集し、地面に転がった『影メンコ』へ、すぐさま特製の「魂還の護符」を力強く叩きつける!
「魂魄還流──『還り給え(かえりたまえ)』っ!!」

──シュゥゥゥゥ……ッ!!

護符が青い光を放ち、メンコの中に閉じ込められていた光の粒子──悠斗の魂が溢れ出した。

光の粒子は優しく吸い込まれるように、蓮の腕の中にいる悠斗の身体へと還っていく。

やがて、メンコは「パキン」と音を立てて砕け散り、不気味な妖気は完全に消滅した。
「……う……ん……」
小さく息を吐き、悠斗の瞼がゆっくりと開く。
その瞳から冷酷な光は消え去り、そこにあったのは、見慣れた少し泣き虫な少年の瞳だった。

「……りん……おねえちゃん……?」

「悠斗くん……っ!!」
鈴は膝から崩れ落ち、悠斗をギュッと抱きしめた。

「よかった……! よかったよぉ……っ! おかえり、悠斗くん……!」
「……うあぁぁん! 怖かったよぉ、鈴お姉ちゃん……っ!」

鈴の胸の中で、ぽろぽろと大粒の涙をこぼして泣き出す悠斗。
力で抑え込むのではない。本当の心を取り戻した少年の泣き声が、夜の静けさを取り戻した廃工場にあたたかく響き渡っていた。

【第七幕:断ち切る光と深き縁】

夜風が静かに吹き抜ける、廃工場を見下ろす丘の上の高台。

いつも通り呑気に急須から湯呑みへとお茶を注ぎ、いつもの調子で静観していた所長補佐官・帝。

しかし、その手はピタリと止まっていた。

廃工場の闇を貫き、夜空を眩しく照らした純白の光──鈴が解き放った『闇を断つ力』

「……あ……」

──パリンッ……!!

静寂の中に、乾いた音が響いた。
帝の手から滑り落ちた湯呑みが、足元のコンクリートに当たって儚く割れる。
手元を気にする様子もなく、帝は丸眼鏡を僅かにずらし、琥珀色の瞳を大きく見開いてその光景を見つめていた。

その胸の奥底を駆け巡るのは──
怒涛のように押し寄せる、遥かなる「懐かしさ」。
胸を締め付けるような「悲しさ」。
そして、溢れんばかりの切なく温かい「愛おしさ」。

「まさか……あの子が……『あの力』を……」

か細く漏れ出た呟きは、夜風にさらさらと溶けていく。

震える唇から、誰にも聞こえないほど小さく、愛おしいその名前が零れ落ちた。
「……うた……」

800年前、一族の未来を守るために命を捧げ、その力を封印してしまったあの子。

自らの真名を持たず、彼女への贖罪と免罪符として「月島 詩」の名を紡ぎ続けてきた帝の脳裏に、かつての記憶が残酷なまでに鮮明に蘇る。

──その時。
帝の背後で、冷気とともに静かな足音がひとつ、響いた。

振り返ると、そこに立っていたのは先ほど圧倒的な『氷牢結界』を張り、鈴と蓮を手助けしたあの無表情な女性──氷室雪乃(ひむろゆきの)だった。

舞い散る風花(かざはな)の中に佇む雪乃を振り返り、帝は割れた湯呑みを踏むこともなく、どこか深く愛おしそうな……けれど酷く切ない笑みを浮かべた。
「……あぁ。……久しぶりじゃなぁ、雪乃」

雪乃は感情の読めない氷のような澄んだ瞳で、光が収まりつつある廃工場を見つめ、静かに口を開いた。

「……あの子。そっくりね」

その短くも重い言葉に、帝はゆっくりと、ひとつ頷いた。

「……そうじゃな……」

雪乃は帝の顔を見ることなく、ただ夜風にその白い髪をなびかせながら、最後に静かな警告と願いを込めて告げた。
「……今度は、間違えないでね」

「……」
その一言を残すと、雪乃の姿は夜風と雪の結晶の中に溶け込むように、静かに消えていった。
静まり返った高台に、帝は一人取り残される。
月明かりの下、鈴たちが悠斗を抱きしめている温かな光景を遠くから見つめながら、帝は誰もいない夜空に向かって、ぽつりと呟いた。
「……分かっておるよ」
その声には、二度とあの過ちを繰り返さぬという深い覚悟と、途絶えた絆が再び繋がり始めたことへの小さな希望が、静かに宿っていたのだった。

(第六話「世界一強い鬼の子」 完)


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