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神様でもないくせによ

丸亀製麺で、毎年欠かさず食べるメニューがある。トマたまカレーうどんだ。これが並んでいるのをみると、引き寄せられるように店へ入ってしまう。美味しいのはさることながら、特別な思い入れがあるからだ。かつて仕事で担当していた患者さんが、退院したら食べると話していたものだから。

その方は、ご病気で口から食事ができなくなった方だった。
言語聴覚士という仕事は、あまり世の中に知られていない。この方も「自分が関わるようになってから初めて知った」と話していた。そうだと思う。マイナーな仕事だし、できれば知らないほうが良い人生だと思う。仕事内容は多々あれど、「お食事、飲み込みと、コミュニケーション、あと脳トレの担当」と患者さんに対して説明することが多い。後半はさておき、ご病気を理由に飲み込み( 嚥下 )の機能が落ちてしまった方に対して、現状の評価および訓練、そして今後のお食事について検討するのが仕事だ。それゆえにいつも、患者さんの食べたいという気持ちと、医療従事者として確実に安全が保証できるラインをせめぎ合うことになる。

この方もそう。担当し始めた当初は唾液が飲み込めないので、ティッシュに吐き出すことしかできなかった。口から栄養が摂れないので、鼻から胃に通したチューブから栄養剤を流すことが食事代わりだ。身体は多少の不自由さこそあれど、明らかな動きづらさはないので、杖があれば歩くこともできる。だが、体が動くからいい、とは決してならない。患者さんがたにはそれぞれの苦しみがある。体が動かせない苦しみと、動くのに別のところに不自由がある苦しみは、どちらが良い悪いではない。人の数だけ痛みがあり、悲しみや苛立ち、もどかしさがある。

早くアツアツの白い米が食べたい、パンが食べたい、と聞くたびに胸が痛んだ。医療は、リハビリは、魔法ではない。3倍頑張れば3倍早く良くなる訳ではないし、毎日頑張れば必ず元通りになるという保証もない。どれだけリハビリをしても、水すら飲めずに退院した方を沢山知っている。ご家族が毎日来て手を握っても、一度も目が合わなかった方も。奇跡なんてそう起きない。毎日良くなることを信じてコツコツリハビリをして、定期的に食事は食べられそうか、何なら安全に食べられるのかを確認する、ただそれだけ。少し何かが飲み込めるようになればすぐに元通りすべてのモノが食べられるというわけではない。ペースト食なら。みじん切りにしたおかずなら。ここまでなら大丈夫、これ以上のものはまだ、そんなふうに線引きをする日々。

たまたまこの方は、段階を経て元通りの食事が召し上がれるようになって退院していった。うどんだって食べられるし、ビールだって以前と同じように飲める。こんなに良い思い出として残っている方のほうが稀有だ。だからこそ今関わっている患者さんがたがこの方と同じようにお元気になりますように、という祈るような気持ちと、あのときの喜びを忘れてはならないという身を引き締める気持ちでいつもトマたまカレーうどんを食べる。あの方もきっと、あの夏同じように食べていたと思うから。


でも、ふとした時にいつも悩む。
誰かの今後一生食べるものを、もしくは食べられないということを決める権限が、わたしなんかにあるのか、と。神様でもないくせによ。

わたしができることは、見立てを検討することと、リハビリをして並走することだけだ。程度に差こそあれど、ムセるようなら、肺炎になってしまうようなら気安くGOサインは出せない。もちろん主観だけで判断しているわけではないし、最終的に決めるのは医師であり家族であり本人だ。それは分かっているが、わたしが伝えるそれが誰かにとって人生における大きな決断を左右していることは間違いない。それがわたしは、何年経っても怖い。

でも少なくとも「食べたいだろうから」で安易な判断をしてはならないということだけは分かる。大学の頃「我々は自分の判断で他人が殺せるということを忘れてはいけない」と先生が話していたことを鮮明に覚えている。だからといってリスクばかりに目を向けていては進まない。誰かの「食べたい」を叶えるためにできるのは、冷静な頭と熱い心で向き合い続けること。そのためにきちんと研鑽を積むこと。これは、大学時代に実習の先生から教えてもらったこと。そんなふうに、誰かの言葉を道標にして走り続けているつもり。

出会う患者さんは全員等しく、わたしと出会わない人生のほうが幸福だった。もしもタイムマシンがあってその先の人生を選べるなら、全員病気にならないほうを選ぶだろう。だからこそ、今やれることはすべてやって諦めたい。それがわたしに唯一できることだと思うから。


今ごはんが食べられることは、当たり前なんかじゃない。「人間は食べられなくなったら終わり」という言葉をよく耳にするが、食べられなくなってからも生き続けねばならない人たちを数多知っている。生きるのは辛い。
生きていると、色々なことがある。嫌なことも、大事な誰かを傷つけてしまうことも、歯がゆいことも。それと同じくらい、今のわたしは何かを食べている。ごはんを食べながら泣いた日も、嫌な話をして美味しくないなと思いながら飲み込んだごはんもある。だからこそ、今目の前にいるその人の「食べたい」という気持ちには、誠実にいたい。

今日は休日だった。大事な人とごはんを食べた。そして明日は仕事に行く。そんなふうに毎日が続く。誰かにとって大事な患者さんたちが、わたしにとって大事な人たちが、それぞれ良い日でありますようにと願いながら。


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