ここが地獄でありますように
わたしの大好きな方々は、お名前が言えない。
言語聴覚士というニッチな職業に就いて5回目の春が来た。ご存じない方が多いであろう我が職種。簡単に言えば、「コミュニケーションとお食事のリハビリの人」である。
一般的にリハビリと聞いて誰しもが想像するのは、平行棒にしがみつくようにして歩く姿だろう。
我々が関わるのは、老若男女問わず何らかのご病気やお身体の衰えによりコミュニケーションもしくはお食事に不自由が生じた方だ。わたしは平行棒の中で人を支えることはできないし、その方にとって生活がしやすいための作業は見出せない。
そのかわり、一緒に言葉を探している。
特にわたしが多く関わるのは、脳梗塞や脳出血などのご病気をなさった方である。専門用語で「失語症」と呼ばれるこの症状は、読んで字の如く、言葉を失った方々だ。
想像する。
ある日、目覚めたら言葉を失っていることを。
名前が言えない。( 人によっては ) 声が出せない。
話しているつもりなのに、相手からは困った顔で首を傾げられるだけ。声は聴こえるけれど、相手が何を言っているのかもよく分からない。それでも生きていて、( 人によっては ) お身体にほとんど不自由はなく、一人で歩くことすらできるのに、ただ、言葉だけがそこに無い。
*
「この先、どうなるのかなって思ってました。やばいなって」と、出会った当初のことを話してくださった田中さん( 仮名 )という方がいらっしゃる。まだお若かったからもあるのだろうか、今まで担当させていただいたなかで、おそらく最もご回復の幅が大きかった方だ。ご自分の名前が言えないところからご一緒し始めて、まだ伸びしろこそあれど、日常的な会話であればほぼ滞りなくできるようになった。
「につ、日常、会話?すら出来ないし、俺こっからどうなるのかなって。浮かばないんですよね。何も。言葉が。」
言葉が浮かばない。
学生時代の頃、「ある日突然外国に放り出されたようなもの」なのだと習ったことがある。ご家族に説明するときも、同じたとえをよく使う。
音は聴こえる。人の声も。けれど、何を言っているのか分からない。話したいことはあれど、それを言い表す語が浮かばない。語が浮かばないのだから書くこともできない。読むこともできない。文字盤で指を差すことも。だってそれは、語として認識ができないのだから。
田中さんと初めてお会いしたときのことは、わたしもよく覚えている。言葉が出てこないので会話が成り立たない。まだ書くほうが言葉になる方だったので、あれやこれや書いてくださるけれど、それも書き誤りが多く、「まだかろうじて手がかりになる」程度だった。話題を確認しながら、「○○のことですか?」と推測しながら話が進んだ。
聴力検査には何の問題も無いが、「パン」「時計」「鉛筆」も言えず、文字で書いても読めず、言って示しても繰り返せない。「それ、さっき見ました」と、覚えてくださっているのに物の名前が出てこない。「ダメです、すみません」と謝るその人を、何度止めたことか。謝らないでください、何も悪くないです、と。大丈夫、一緒にゆっくりやりましょう。
「宿題」と書いたその文字をなぞりながら、田中さんは言った。「これ、いただけますか。暇になると、いろいろ駄目だから」
うかんむりの抜けたその文字は、切実さが存分に伝わる筆跡だった。
それから毎日、山のように宿題をお渡しした。周りのスタッフが「ちょっと渡しすぎなんじゃない」と声をかけてくるほどに。プリントがどこからか湧いてくるわけではないので、準備に追われた。終わりましたと見せてくださるそれの確認作業にも。そのままポンとお渡ししてもできないものはヒントを書き込んでお渡しした。あまりにも終わらないのでこっそり自宅に持ち帰って作業をしていた日すらある。それでも、応えてくださることが嬉しかったから頑張れた。なにより、少しずつ良くなっていく姿がありありと見えることが嬉しかった。
忘れもしない。「少し難しいかもしれないですが」と、ある課題プリントを出した。「痛い」「薬」という、2つの単語を使って文章を作るというものである。「歯が痛いので薬を飲んだ」「痛いところに薬を塗る」など、文章として正しければなんでもいい。きっとご病気になる前であれば、容易い課題だっただろう。けれど、田中さんはそこから1文字も書き進められなかった。
2週間前、「ちょっとまた後日にしましょうか」と中断した課題である。どうヒントを出したらいいものか、どのくらい待っておくべきか、そんなことを考えているうちに、スラスラと田中さんの手が動く。
「えっ」
「えっ、やば、俺、間違ってました?」
「いえ、違うんです。……びっくりしてしまって。これ、2週間前にもやっていただいたんです。そのとき、上手くいかなくて。それで、今回改めて」
スラスラと並んだ綺麗な日本語にたじろいだ。
そして折り返していた部分を開く。2週間前の日付と、ああでもないこうでもないとヒントを書き込んでも答えに至れなかった、その格闘の跡が赤と青のボールペンで飛び交っている。
「えっ、まじですか。……え、すげー。今これ分かります、これも書けます、どうですか」
そうして、スルスルとまた手が動く。2週間前は10分かけても辿り着けなかった答えが、すんなりと出た。
「わ!すげー!嬉しい!えー!」
田中さんが、えー!と繰り返す。少し震えているその声に、泣きそうになっている表情に、わたしも泣きそうになりながら、田中さん、と名前を呼んだ。
「バッチリです!」
言葉が、戻ってきた。
失語症を患った方と過ごす日々は、苦しい。
もちろんあのときの田中さんのように、少しずつ言葉が戻ってきたとしても、病気がすべて無かったことになるわけではない。未だに言葉が出てこず詰まることはあるだろうし、それはご本人が1番よくお分かりだ。
けれど、この瞬間があるからずっと続けられているのだといつも思う。ふとした時、はっきりとその方が言葉を取り戻していくところに立ち会えること。失った言葉を少しずつ一緒に取り戻せること。
そして、たとえ言葉が浮かばなくても、わたしのことをいつも気にかけてくださる方ばかりなこと。
名前どころか「うん」「いいえ」すら紡げないような方が、何かを一生懸命伝えてくださっていたことがあった。「わたしのことですか?」「良いこと?」そんなふうに話を絞り、推測し、一生懸命考えた結果、「あなたの今日の睫毛、きれいね」だったことがある。後から鏡で見たら、たしかに普段より綺麗に睫毛が上を向いていた。他の方もそうだ。わたしが離席するときに布団を整えることを、毎回身振り手振りと僅かな声で褒めてくださる方がいらっしゃった。リハビリが終わって離れようとすると、ギュッと手を握って真っ直ぐ見つめてくださる方も。
患者さんは、いつも優しい。
言葉を失ってもその方の優しさは、間違いなくそこにある。だからこそ向き合いたいと思うのだ。話がしたいと思うのだ。
同じだけの苦しみを、なんて偉そうなことは言えない。彼らの痛みは、彼らだけのものだ。けれど、できるだけそこに添わせてほしいとは思う。
「あのリハビリやってた頃に比べたら楽、って。そう思っていただけたらいいのにと思いながら日々内容を組ませていただいてます」と話すと、田中さんは「だからしんどいのかー!」と笑っていた。
きっとこの先は明るいから。人生で1番苦しいのは、一緒にいる時間であってほしい。ご退院して手を離してしまった後は、幸福だけが待っていてほしい。
だから、どうか。
ここが地獄でありますように。
※登場する方のお名前及び情報は、エッセイの内容に支障がない範囲でのフィクションです。
※ご症状および予後には個人差があります。
担当医にご相談ください。
