【ドラマ】2024年10月期+2024年大河
こんにちは。
たくあんこです。
またまた大変遅いですが、自分にとっては書く事自体に意味のあるのだと信じて10月期ドラマの感想を書いていきたいと思います。
秋期に見ていたのは、以下の2本です(少ない)。
・海に眠るダイヤモンド
・マイダイアリー
また、大河ドラマも完結を迎えたので、合わせて書きたいと思います。
・光る君へ
海に眠るダイヤモンド
野木亜紀子は健在だった。
海に眠るダイヤモンドを見ていて、1番に感じたのはこの感想でした。というのも、個人的に、野木さんの作品はアンナチュラルを境により社会性・メッセージ性の強いものへと移行していった印象がありました。時として、そうした作品は世の中に鮮烈な足跡を残して去っていくことがありますが、それはストーリーとメッセージを抜群の比率で調合させることができて初めて生まれるものです。物語はフィクションですが、ある程度の現実味や親近感がなければ受け手に共感を引き起こすことはできません。メッセージのためのストーリーになってしまうと、キャラクター1人ひとりの行動や心の動きに自然さが失われ、ある種のご都合主義や強引な展開と受け取られてしまいます。一方、ストーリーとメッセージの距離が遠すぎて説得力を持たせられない場合には、メッセージのもつ現実的な吸引力によって途端に物語世界から引き戻され、作品に没入することが難しくなってしまいます。
これはもう個人的な意見なので賛否あるかと思いますが、数年前の年始に放送された逃げ恥のスペシャルドラマは、正直なところそうした印象を受けざるを得ませんでした。2人が織りなすちょっと不器用でおかしな日常の物語を味わいたいのに、2人を通して書き手のメッセージを受け取る時間になっている…。もちろん大事なテーマではあるのですが、もう少し上手くやってくれというもどかしさを感じてしまい、少し寂しくなったのを覚えています。
なので、今回はどうなんだろうと少し不安を抱えながら見始めた本作でしたが、あまりに杞憂。文字通り杞憂。杞憂というのはこうしたことを指すんだなと身に染みて実感させられました。大傑作だったと思います。
メッセージの観点から語るのであれば、反戦を描いた第4話。混沌とした、いつ何時どのような時代が起きてもおかしくない今の時代だからこそ伝えるべき、戦争の残酷さや愚かさ、また同じ過ちを犯さないために必要な強さとささやかな祈り、その1つひとつのメッセージは重たく、力強く私たちの胸へと届けられました。それらは、戦後の軍艦島に生きるキリシタンの青年女性である百合子が、長崎の原爆によって背負わされた一生の重荷と向き合う過程を描くことで、真摯に表現されるに至りました。
彼女はキリシタンでありながら、他のキリシタンがこぼす「浦上の信徒は苦難を乗り越えるために選ばれた」という言葉を「そんなのおかしい」と否定しています。そして同時に、あの爆弾を落とした敵兵もまた、自分と同じキリシタンであったことに激しい矛盾を抱えます。隣人を愛すること、己に正直に生きることを共有している同志であるはずの彼らが、隣人である私たちをなぜ傷つけるに至ったのか。そしてまた、信徒であるなしに関わらず、多くの命が奪われることそれ自体の不条理さを私たちは理解・納得できるのか。する必要があるのか。こんな思いを、どこかの誰かにまた抱えさせてしまうようなことがあっていいのか。
百合子の物語には、朝子への秘密も隠されています。彼女が放射線を浴びたのは、朝子のせい?そんなことはないのだけれども、そう思わずにはいられない。そんな醜い気持ちを生じさしてしまう原爆という存在が、とにかく憎い。しかしその感情にはやりどころがなく、無闇に朝子を傷つけることで昇華することしかできない。不安と後悔で今にも崩れ落ちそうな自分をどうにか保ち、気丈に振る舞う百合子の姿が、鋭い痛みとして私たちへと届けられました。
百合子は、戦争によって、生きることを何度もやめたくなるような苦しみを負わされた1人でありますが、彼女だけが特別つらい思いをしたわけではありません。亡くなってしまった人もいれば、家族を亡くしてしまった人もいる。身体や心を蝕まれてしまった人もいる。百合子という存在は、そんな想像を絶するような苦しみの1つに過ぎないからこそ、戦争というものの不要さがなおさら強調されるのでした。4話の最後に流れる「私たちは祈る。今度こそ間違えないように。悲しみを繰り返さないように。強く、いられるように。願いを込めて、祈る」という鉄平の言葉を、多くの視聴者が、切実な、実感の込められた言葉として受け取っていたのではないでしょうか。
その他にも、実際の鉄平は神木隆之介とは似ても似つかない人物で、私たちの見ていたのはあくまで朝子の記憶だったということ、彼女が鉄平の真実に触れたときに見えたような気がしたさまざまな世界にも、朝子が見ることのできなかったガラス細工はついに登場することがなかったこと、二つの時間軸、そして現実と記憶という複数の構造が折り重なる物語世界を、矛盾なく描き切った手腕にも脱帽せざるを得ません。
もちろん物語自体も圧巻でした。序盤の青春群像劇が放つ青さや淡さ、リナの周囲に渦巻く不穏に巻き起こる事件と彼らの覚悟、そして、「軍艦島が終わる」重さと別れ、悲嘆。10話があっという間で、それでも短いとは感じない、毎話毎話本当に見応えのあるドラマでした。とにかく、野木亜紀子は健在だったと、平謝りするしかない素晴らしいドラマでした。
「語らない」ことの強さ
この物語を通じて、個人的に深く突き刺さったのは、「語らないこと」の強さです。百合子は朝子に、鉄平も朝子に、賢将は百合子に、1人では到底抱えきれないはずの秘密を抱えています。そして彼らは、相手を傷つけないため、巻き込まないため、自分と同じ苦しみを抱えさせないために、その秘密を抱えたまま死んでいくのでした。
私はついいらない一言を言ってしまうたちだからこそ、彼らの「語らない」強さがとにかく胸に響きました。自分はなぜいらないことを言ってしまうのかを考えてみると、ほとんどの場合、それはただ自分が言いたいからに過ぎなかったのです。自分が楽になるために、少し気持ち良くなるために、その瞬間だけ抱えきれなく感じる感情を漏らしてしまう自分の弱さをとにかく痛感したのでした。
言わないこと、自分だけで抱えること、そうしてあまりある感情と向き合い続けること、その繰り返しを通じてようやく「やさしや」や「愛」といった類の強さが育まれるのかもしれないと感じました。
いくつも散りばめられていた大切なメッセージたちを抱え、ずっと大事にしていきたいと感じるようなドラマでした。
マイダイアリー
若手実力派たちによる会話劇
本作は、無数な「思考」たちが、独特の視点から心地よいテンポ感で提示され織りなされる、坂本裕二みを感じる会話劇でした。清原果耶が良いのは重々承知でしたが、見上愛と吉川愛のうまさも堪能できる作品でした。
物語の舞台となる大学3〜4年生は、それぞれが自身のキャリアと真剣に向き合い、選択をする時期。同じ道を歩むと思っていた仲間が思いがけず別の道に進むこともある。いつしか互いの思いがすれ違い、人生の大事な事柄だからこそ思いをうまく表現できず、わだかまりを抱えてしまうこともある。そんな微妙な時期を、等身大に生きていた彼らの姿が素敵でした。
また、そんなときにふと弱音をこぼせる相手、自分の情けない一面を見せられる仲間がいることがどれほど心強いか。でも、そうした関係性は一長一短で生まれるものではなく、1人で抱え込む方が楽だったとしても、自分がどう見られるかという不安に打ち勝ちあえて表に出すこと、勇気を持って踏み出すことで、少しずつ信頼が生まれるのだと感じました。
優希のお母さんへの思いと家族の葛藤。広海だから抱える特別であることの苦しみと挫折、そこからの立ち直り、愛莉の優希への言葉にしがたい感情、まひると虎之介の愛らしい関係。終盤は佐野勇斗と清原果耶の関係のお話。普通に泣きました。素敵な恋愛、素敵な縁、素直な人たち、真っ直ぐな友情と愛情、そんな一部になりたいなと思いながら、自分は自分を生きていくしかないなと思い直した、そんな作品でした。
光る君へ
戦のない時代が舞台となった今回の大河ドラマ。特に、平安時代が舞台となるのはかなり珍しく、紫式部自体もその半生の多くが謎に包まれており、脚本家の腕が問われる作品となったと思います。
率直な感想としては、めっちゃくちゃ面白かったです。物語は、大きく3つの軸のもとに展開されていきました。1つが、宮中を舞台とする皇族・貴族たちの野望陰謀渦巻く権力闘争。2つが、女性の主体が蔑ろにされていた時代に、1人の人間としての生き方を確立していくまひろの物語。そして3つが、宮中に生きる道長と下級貴族として暮らすまひろの2人の人生がときに交差し、ときにはすれ違いながら織りなす大河ロマンス。どの軸も見応えがあり、本当におもしろい大河ドラマでした。
野望・陰謀・怨念のうずまく宮中の政治劇
まず、権力闘争について。この時代ならではだと感じたのは、安倍晴明が多大な影響力を持っていたように、「呪詛」や「怨念」の持つ力が信じられていた時代だったこと。それゆえ不吉なことや不運な出来事が、政治的にも大きな意味を持つという点。この要素をさらに面白くしたのは、道長の父・兼家が特にそうだったように、そんな人々の信仰を巧みに利用し横行する陰謀とそこで暗躍する貴族たちの存在だったと思います。特に、兼家の死んだふり作戦には驚かされた視聴者も多いのではないでしょうか。また、兼家のそうしたなりふり構わぬ手段を選ばないやり方に対し、当初は距離を置いていた道長や詮子も、大きな役割を担うにつれて次第にその戦い方を踏襲するようになる、その過程も醍醐味の一つでした。
強く生きる「女性」の姿を描く
2点目、まひろの「女性」としての物語について。この物語のまひろは、上級貴族の男性陣から見れば物分かりの悪い、賢いだけで可愛げのない女として描かれていました。しかし、彼らにとってそう映るのは、まひろが誰のものになることも望まず、自分の人生の舵を自分でとり続けたから。これは、この時代において当たり前のことではありませんでした。当時の上流貴族の娘の使命は、入内し「家」の繁栄に資すること。また、「どれだけいい家の娘の婿になれるか」という公任のセリフにもあったように、その他の男性にとっても、女性は自身の立身出世の手段に過ぎなかった。しかしその中でも、道長の告白を2度も断ったことにも表れているように、男性社会の道具として扱われてきた女性の立場に疑問を呈し、自身の知恵や才覚によって人生を選び取り続けたまひろの姿こそ、この大河を通じて視聴者に最も届けたかったメッセージだと個人的には感じています。
さらには、まひろは自身の姿や言葉を通じて、彰子や娘の賢子にも影響を与えていきます。うまくいかないこともありますが、それでも意思を持って選び取り、男性社会にぶつかっていく彼女たちの姿を見ていると、まひろが蒔いた種たちは紛れもなく美しい花を咲かせたのだなと思います。
まさに「大河」とも言うべき2人のロマンス
最後は、2人のラブロマンスについて。なるほどまさに大河と言うべき2人の物語は、うなる時代の波にときに流され、ときにそれを巧みに操りながら、近づいては遠ざかる、そして出会い、別れ、死へと連なる壮大なスケールで描かれていました。彼らの関係は、2人だけのものでありながら、その背景には平安時代のしきたりがもたらす障壁や己の身かわいさに立ち塞がる政敵の数々、そして、それぞれが時代から託された使命があり、2人の密やかな、ごくごく個人的な愛は、あくまでそうした大きな文脈の中に位置付けられ描かれる、それがとにかく面白くてたまらなかったです。
例えば、まひろを北の方に選べない道長の立場と妾の立場を受け入れないまひろの矜持。例えば、上流貴族の座にあぐらを描き横暴を働き、ついにはまひろの母に手をかけることとなった道長の兄・道兼の存在。例えば、まひろとの約束をただ追い求め続け、気づけば宮中の世界へとのめり込み、ときにはまひろへの愛を貫くがゆえにまひろの才覚を利用することも厭わない道長と、結局はそれに応えることができてしまうまひろの関係。2人の間には、本当に色んなことがありました。
2人が見据えているものは、同じのように見えて実は違ったと思っています。まひろは、 まひろの望む世を見ていましたが、道長はあくまで、まひろの望む世を通してまひろ自身を見続けていたのです。実資にもたびたび指摘された道長の政治的な薄っぺらさは、それが本人の語るもの・芯より望むものではないという点から来るのだと感じます。そして、まひろは道長を思い続けながらも、道長のつくる世を見つめていたけれど、当の道長本人は、世をつくることすらまひろへと至る手段と考えていた。このズレは、ついにはまひろが道長に別れを告げるに至った大きな要因の一つなのだと思います。
特に、まひろに振られた道長が全てを捨てて呆気なく出家した場面に、この物語の道長らしさが現れていたのではないでしょうか。自身の周囲の多くの者たちがこれだけ道長のために、藤原家のために尽くしてきたというのに、道長自身はそれらを「まひろを手に入れる」という願いが叶わなかっただけで蔑ろにしてしまう、そのどうしようもない軽さがこの物語の道長の根幹にあったのです。
この場面を見て私は道長にブチギレてしまいましたが、一方で、全てを手にしているはずの道長がここで出家するという「史実」を、「光る君へ」を通じて作り上げてきた一貫した人物像にうまく織り込んで物語を紡いでいった、その手腕に名脚本家たる所以を感じずにはいられませんでした。めちゃくちゃいいやつに見えるし実際がんばってるんだけど、でもなんかピントがズレてるんだよな、どこかいまいち信用しきれないんだよな、そんな人物こそがまさにこの物語における道長だったと思っています。
2人が惹かれ合う所以もこの時代であればこそだったし、そして結ばれなかった所以もこの時代の彼らの立場と成してきたことがゆえであり、それは2人のラブロマンスであり、同時に大きな時代の流れそのものでもある、まさに「大河」ともいうべき物語でした。
長く語ってしまいましたが、とにかくおもしろい、本当に楽しませてもらった1年間でした。それもこれも、大石静氏の情熱的かつ巧妙な脚本と、吉高由里子と柄本佑をはじめとする名優たちの熱演があってこそでした。光る君へ、ありがとうございました。
