メルボルンのカフェで教わった、純粋な「好き」と勇気
メルボルンの朝は、一杯のコーヒーと共に始まります。
バリスタとして働く私の日常には、時折、忘れかけていた大切なことを思い出させてくれる出会いがあります。
よくお店に来てくれる、ある常連さんの話です。
60歳、定年退職と同時に叶えた「一生の夢」
その常連さんは、日本が心から大好きな方です。
長年勤めた仕事をリタイアした去年の10月、彼は長年の夢だった日本旅行へと旅立ちました。
6週間かけて本州を縦断した彼は、帰国後、以前にも増して日本に夢中になっていました。
驚いたのは、彼が60歳を過ぎてから、メルボルンの日本語学校に通い始めたことです。
カフェで交わす、朝の「日本語レッスン」
最近の彼は、朝カフェに来ては、学校で習った日本語や日本文化について私に質問をしてくれます。
「これはこういう意味?」「日本にはこういう文化があるんだよね?」
年齢を言い訳にすることなく、自分のお金と時間を使い、純粋に「好き」を原動力にして勉強を楽しむ姿。
そのひたむきさに、私は心から感激しました。
それと同時に、自分自身の「学び」に対する姿勢を振り返らずにはいられませんでした。
「手段」としての学び、「目的」としての学び
日本では、何かを学び始める際、「キャリアのため」「将来に役立つから」といった実利的な理由が先行しがちです。
英語などの語学も、あくまで「いい会社に入るため」「海外と関わる仕事をするため」「外国の人ととコミュニケーションを取りたいため」という、目的を達成するための「手段」として捉える人が多いのではないでしょうか。
もちろん、それは間違いではありません。私自身、英語が特別好きなわけではありません。
海外生活で生きていくための「道具」として、必要に迫られて少しずつ覚えてきたのが正直なところです。
でも、もしそこに純粋な「好き」という感情があったなら。
もっと夢中で打ち込めたはずだし、上達のスピードもきっと違っていただろうなと感じるのです。
年齢という「見えない壁」を壊すもの
今の時代、SNSを開けば簡単に知識が手に入り、何かを「知った気」になるのは簡単です。しかし、年齢を理由に新しい挑戦を諦めてしまう人も少なくありません。
「もう年齢的に落ち着かないと」
「今更始めたところで」
こう考えてしまう人が、どれだけいるでしょうか。
実を言うと、私自身も「今から日本で新しいキャリアを築くのはもう難しいのではないか」と、年齢や将来への不安に駆られることがあります。
けれど、目の前の彼は教えてくれました。
彼には、私たち日本人がつい抱いてしまう「年齢という壁」そのものが存在しないようでした。
夢中で駆け抜けた「コーヒー」という純粋な好奇心
けれど、常連さんの姿を見ていて、ふと気づいたことがありました。
オーストラリアに来てから、私は必死にコーヒーと向き合ってきました。
ラテアートを美しく描きたい、美味しい一杯を届けたい。その一心でレッスンを予約し、仕事中もひたすら練習を繰り返しました。
2年が経った今、ようやく安定したコーヒーが作れるようになったと実感し始めています。
始めた時は意識していませんでしたが、今振り返ると、私がここまでコーヒーに打ち込めたのは、将来のためでもキャリアのためでもなく、ただ純粋に「コーヒーを淹れることが好きだ」という気持ちがあったから。
「好き」という動機だけで、私はこれほどまでに学び、練習を積み重ねてこれたのです。
始める動機は「好きだから」だけでいい
いくつになっても、何かを学び始めることは素晴らしい。頭では理解していても、それを体現するのは簡単ではありません。
それでも、ただ「好きだから」という純粋な好奇心を信じて、新しい世界に飛び込む。それだけで、一歩を踏み出す理由としては十分すぎるほどではないでしょうか。
「もう遅い」なんてことはない。
朝のカフェで日本語を一生懸命に話す彼の姿は、迷いの中にいた私の背中を、優しく、でも力強く押してくれた気がします

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