055.もし人生を最初まで巻き戻し、再生ボタンを押したら同じ展開になるのか?
前回、前々回と有料配信にしてみましたが、色々と試行錯誤しながら配信をしています。今回は、一旦、無料配信に戻してみました。
またここ数回、AIによる自動読み上げのオーディブルも配信してみたものの、かえって聴きづらいという声も😢結構アレを作るのも大変で、手間かけてる割に、そこまでニーズがなさそうなので、じゃあ辞めようかなと。
無理なく続けることの方が大事なので、疲れないように、頑張ります。
手探り感満載ですが、これからも応援よろしくお願いします🙇♂️
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それでは本編スタートですっ!
先日、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン国際政治学の准教授:ブライアン・クラース氏の本を読了。
人生は自分次第だなんて大嘘である
なんて、帯にも書いちゃってますが、ここまで「偶然礼賛」に偏った本は、僕ですらあまり読んだことがなくて、とても興味深く読み終えたところです。
340ページくらいありますが、後半に行くにしたがって、どんどん哲学的で抽象度の高い表現になる典型的な本。もう途中、理解するのを諦めたというか、そういってしまうと、投げ出したっぽくなるんだけど。
最近の僕の良い読書傾向は、"わかるのを焦らない"ようにしています。前はわかるまで、同じページを往復していたけど、それはもう諦めた。わからないものはわからないまま、次のページにどんどん行く。
結果として後からわかることもあるし、そのままわからないままのこともある。それで良いってこと。これは、このNOTEでも何度か取り上げている、ジョン・キーツの『negative capability』的な読書の仕方とも言えるかもしれません。
なので今日は、この本を読み終えたばかりの自分の頭の中を整理する意味合いで書いています。このNOTEを読んで、本を読んだ気になってもいいし、興味持って自分で本を手に取ってみてもいいと思います。
本を読んで考えさせられるテーマが何個かあったんだけど、その中から今回は1つ取り上げてみました!
⏬あのとき、別の道を選んでいたら
誰にでも、「もし、あのとき別の選択をしていたら」と思う瞬間ってありますよね。大学の進路、転職、大事な人との出会い──毎回毎回、たった一つの判断が積み重なって、今の自分を作っている。
"タイムリープ(タイムトラベル)もの"なんてジャンルもあるくらいですから、今とは違う、別の選択をした世界線を辿るというのは、ロマン溢れる設定なわけです。
ブライアン・クラースの著書の中でも、この問いを真正面から扱っているんだけど、彼は僕らにこう問いかけます。
「もし人生を最初まで巻き戻し、再生ボタンを押したら、同じ展開になるのか?」
一見シンプルな質問なのだけど、【偶然・自由意志・運命】という、人間の根源的なテーマをすべて内包しているように思えたのです。
なるのか、ならないのか。皆さんはどう思う?
少し考えてみてから、読み進めてみてください。
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⏬世界をどう見るかで、人生観は変わる
🔻想定される"6つの答え"
クラースはこの問いに対し、たいていの人の答えは、6つに落ち着くのではと述べている。簡単に整理するとこんな感じ。
①ならない。あらゆることが異なる展開になる。人間の選択はみな特異なものだから。言わば、「別の道の選択」という答え。
②ならない。ときに神が介入して、物事を変えるから。言わば、「神の介入」という答え。
③ならない。世界は多少なりとも変わるだろう。なぜなら、何はともあれ、原子や亜原子粒子といった最小レベルでは、一部の事柄が真にランダムだと量子力学が証明しているから。言わば、「量子による偶然の巡り合わせ」という答え。
④なる。超自然的な存在が全てを決めているので、神の台本に従って展開するから。言わば、「すべては神の意思」という答え。
⑤なる。たとえ小さな変化があったとしても、些細なことは帳消しになるので、たいして重要ではないから。言わば、「万事は理由があって起こる」という答え。
⑥なる。この世界は物理の自然法則に従っていて、起こることはすべて、その前に起こったことが原因になっているから。原因と結果の連鎖は途切れない。言わば、「決定論的宇宙」という答え。
一つ一つを丁寧に解説はしないけど、クラースはこの6つのうち、神の介入を前提とした②と④は、そうした存在を信じる人にとって、これは信仰の問題なので、合理的で科学的な議論によって打ち負かすことができないから除きましょうと。
そして、⑤については、著者のクラースが本書の中で、1章まるまる割いて反論をしまくっていて、除外しましょうと。
※ちなみに知能や技能、勤勉さを含めて、人間の特性のほとんどは正規分布するらしい。それとは対照的に「富」は正規分布しないそうです。パレート分布を見せるのだそうです。つまりほんの一握りの人が世界の富の大部分を支配しているということになる。ピケティの理論( r > g )もそうですよね。
とあるシミュレーションの研究では、最も豊かになった人は、断じて最も才能のある人ではないこともわかったらしい。むしろ平均に近い人だったという。過去にこのNOTEでも紹介した、いわゆる「億万長者は才能があるに違いない」といった『後知恵バイアス』のような誤謬があるということだね。つまりは「運」の要因もかなり大きいと言えるわけ。
🔻残された3つの答え
すると、6つのうち残されたのは、①「別の道の選択」、③「量子的偶然」、⑥「決定論的宇宙」の3つになる。
言い換えるなら、再生した私たちの人生は変えることができるし、どんな違いも、"束縛のない自由意志"か"量子の奇妙さ"のどちらかに由来するか、もしくは、"人生は何度再生されようと変えることはできない"という、大きく2つの見方になる。
そして、考える上でポイントになるのは、この世界は「決定論的」なのか、「非決定論的」なのか。
①は「すべてが違う展開になる」という立場。人間の選択は特異で、同じ条件を再現しても結果は変わる。③は「世界には偶然が内在している」という立場。量子力学が証明しているように、ミクロの世界では完全な再現性は存在しない。⑥は「すべては原因と結果の連鎖で決まっている」という立場。ラプラスの悪魔的な決定論の世界観である。
※「ラプラスの悪魔」とは、フランスの数学者ラプラスが提唱した仮説上の存在です。この悪魔は、ある瞬間の宇宙にあるすべての原子の位置と運動量を完全に把握し、物理法則に従って未来のすべての出来事を正確に予測できるとされます。現代物理学の観点では、量子力学における不確定性原理などにより、このような完全な予測は不可能と考えられています。
🔻クラースの立場
クラースが面白いのは、このどれにも完全には寄らないことだ。
彼は言う。
「決定論」は、私たちが未来を予測できると言っているわけではない。
つまり、僕たちの人生は"決定論的でありながら、全く予測不可能"だということらしいんだ。(この辺を解釈するのに、僕の頭はすごい時間がかかりました💦)
⏬偶然が形づくる、個人と世界の物語
本の中で紹介されている事例を何個か取り上げてみます。
🔻著者の祖父母の話
例えば、本書の冒頭に描かれたクラースの祖父母の話は衝撃的です。
祖父の前妻が子どもを殺して自殺し、その悲劇がきっかけで祖父は再婚した。その結果、生まれた孫がクラースということになる。彼曰く「自分の存在は、誰かの悲劇的な偶然の上に成り立っている」と。
そしてその悲劇があったから、この本が執筆され、僕はこの本を手に取ったとも言えるわけだ。
🔻イヴァンという観光客の悲劇
例えば、2022年の夏、ギリシアの沿岸で起きた悲劇。
北マケドニア共和国から来たイヴァンという名の観光客が沖に流され、行方不明に。亡くなったとされたが、18時間後、彼は奇跡的に無事発見される。溺れる寸前に、彼方に浮かぶ小さなサッカーボールが目に止まり、それにすがりつくことで、救助され、命を救われたという話だ。
おもしろいのはここから。
この報道を見たある2歳児の母がハッとした。そのボールに見覚えがあったのだそうだ。10日前、2人の息子がボールを海に蹴り込んでしまい、そのボールは130kmほど波間を漂い、溺れかけていたイヴァンの近くに絶好のタイミングで流れ着いたことになる。親子からしたら大した話ではなく、また次の日には新しいボールを買っていた。でも、それが無ければ、イヴァンは今頃この世にいなかったことになる。
要は、僕たちの人生は、ほんの些細な点が大切で、今後も決して会うことのないような人々の取るに足らない選択でさえ、僕たちの人生を決めうるかもしれないということを示したエピソードだ。ほとんどの場合、イヴァンのようにそれをはっきりと見て取ることはできないが、【イヴァンの話は例外だけど、特殊ではない】。むしろ彼はただ、もつれ合った人生の中で、絶えず身の回りで起こっていることを、たまたま目にしてしまったに過ぎないとも言える。
🔻三上も知る「偶然」のエピソード
このイヴァンの話を読んだ時、僕も似たエピソードを思い出した。
20代の時に出逢った社会起業家:ジャクリーン・ノヴォグラッツ(アキュメン・ファンド)の『ブルーセーター』だ。彼女もこのエピソードを振り返り、「啓示だ」と話していたことがとても印象的だった。
同じ土俵で語るのは畏れ多いけど、僕の半生も少し特殊で、自分の意志とは関係のないところで、僕の人生の歯車は大きく揺れ動いていた。興味ある方はこちらも読んでみてください。
※なお、第二次世界大戦時の、アメリカ陸軍長官ヘンリー・スティムソンによる原爆投下に関するエピソードも本の中で紹介されているが、最終的にこのNOTEで取り上げることは止めた。それぐらい我々日本人にはセンシティブな話だからだ。ちなみに僕の誕生日は8月6日です。
⏬因果の鎖と、予測不能な人生
クラースはこうも指摘する。
因果関係があるということと、世界が静的であるということは違う。
物事には原因がある。しかし、それは人の性質や行動が固定されているという意味ではない。私たちは因果の連鎖の中にいながらも、その一部を少しずつ変えていく存在だ。
【未来は"決まっているように見える"けれど、私たちがそれを完全に知ることはできない。だから、世界は"決定論的"でありながら"偶発的"なのだ。】
⏬偶然をどう扱うか、それが生き方になる
クラースは、自由意志を否定しているわけではない。
クラース曰く、自由意志とは「何もないところから意志が湧くこと」ではなく、「これまでの偶然にどう反応するか」という人間特有の行為だ、と考えている。
もし人生を巻き戻すことはできないとしても、"いま"という瞬間に何を選ぶかで、これからの世界のかたちは変わっていく。
偶然を拒むか、受け止めるか。
意味を見出すか、見過ごすか。
その反応の仕方こそが、僕たちの「自由意志」ということだ。
僕のセレンディピティ思考で言えば、自由意志とは、何かをコントロールする力ではなく、【世界の揺らぎに"意味を与える力"】と言えるかもしれません。
⏬最後に
今回のタイトル画像は、以下のエピソードを参考にしました。
私たちが特段何をしているわけでもなさそうな時にさえ、直近の環境の外側では様々な出来事が起こっており、あなたはまだ気づいていないものの、それが将来、あなたの人生を変えることになると。それを古代ギリシアの哲学者:ヘラクレイトスはこのように指摘した。
同じ川に2度足を踏み入れるものはいない。なぜなら、それは同じ川ではなく、その人も同じ人ではないのだから
そして、ヘラクレイトスの弟子:クラテュロスは、これに「僕たちはただの傍観者ではない」、と付け加えた。川に足を踏み入れた時、"あなたは川を変える"。
変わらぬものなどない。
微細な変化でさえ、時を経るうちに積み重なるのだから。
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