064. "惑う"勇気:人生の折り返し地点で、なぜ僕はあえて「区切らない」生き方を選んだのか
2026年、新年明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします。さて、今年一発目の投稿です。
「不惑」の真意〜迷わないことではなく、可能性に線を引かないこと
Catalyskiは毎年年初に"今年の漢字"を決めています。カタリスキー ≒ 三上ですから、僕の漢字とも言えます。

例年以上に迷いつつも、Catalyskiの2026年の漢字は『惑』にしました。今年で43歳になりますが、40歳で独立した僕は、いわゆる厄年の三年間を終え、1月23日に4年目を迎えます。
40代と言えば、孔子が2500年前くらいに諭した『不惑』という言葉を思い出します。
子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩
孔先生がおっしゃった。私は15歳で国に仕えるためのより専門的な学問を志した。30歳で専門の学問を確立した。40歳でものの道理が分かって迷わなくなった。50歳にして天が自分に使命を与え、何をするべきか理解するようになった。60歳で人の言葉を素直に聞きすらすらと理解できるようになり、70歳に至っては、心の思うがままに行動しても、決して道理を外すことがなくなった
『不惑』とは、迷わない確固とした自分を確立する歳の頃合いです。でも、一般的な「四十にして迷わない」という意味ではなく、「迷いを理由に自分の可能性に境界線を引いて区切りたくなる瞬間に、線を引かない」、そんな意思表明として、この漢字を選びました。本来の『不惑』とは意味が違うので、ピンとこないですよね。
40代は人生の頂点で、そこからピークアウトしていくという説がある。だからこそ、今の僕(Catalyski)には、この一文字が必要に思えたのです。その理由を、キャリアに準えてみていきましょう。
20代の追憶〜無力だった僕が無意識に引いていた「限界」という境界線
20代の頃、僕は日本の社会起業家ムーブメントの中にいました。とても熱量の高いコミュニティで、あの時のご縁と経験は、今でも僕の財産と言えます。
そこで"くらった"言葉が 「気づいてしまった人の責任」。その社会課題の明確な名称だけでなく、そんな課題が存在していることすら認識されていないかった中で、偶然向き合うことになってしまった人(起業家)たちに対して、僕は憧れを抱くと同時に、そんな世界を知ってしまった僕にとっても、結果として逃げられない呼び声になった、あの時代の出来事。
でも当時の僕はデッキが薄かった。だから飛び込む勇気も覚悟もなかった。そもそも、社会課題を課題として認識することすらできなかった。当時の僕は、それが"自分の超えることのできない壁"なのだと、無意識に"境界線"を引いてしまっていたのかもしれない。
「力量不足だ」、「まだ早い」、「経験を積んでから」、「そんな着眼点、思いもつかない」・・・こんな感情を抱きながら、見逃したり、保留をしたり、当時の僕にはそんな選択しか取ることができなかった。都合の良い"やらない言い訳"はいくらでもあるのだから。
でも、その瞬間は無力でも、当時、棚に置いたものは未来の伏線になる可能性がある。今の僕は、そう理解している。
30代の落とし穴〜「無敵感」は完成ではない。あえて戦いの"カタ"を固めない勇気
それなりに手を抜かずに20代を過ごすと、30代で多くの人は戦いの"カタ"が見つかるようになります。この時期に感じられる「できる理由」ってすごく多面的です。経験則、裁量、信頼、責任範囲、意思決定の権限、広がる人との接点・・・それらを通じて自分の戦うべきフィールドの輪郭を掴み始めます。
凍てつく極地を旅する探検家・ノンフィクション作家で、先日、新刊『43歳頂点論』を出版した角幡唯介さんは、30代を「身体の力と経験の力が並走する時期」と評している。
体力は十分ある。でも経験はまだ育成途中、だから描ける冒険のスケールはまだ小さい。自然とチャンスに気づく機会は増えるけど、「掴むには早すぎる」と自分でわかったりする。それでも「今の自分なら負けない」と思えたりもする。このアンバランスが、ジレンマを生む。
これってある意味で、近視眼的な話。自身の成長によって、世界が小さく思えてくるけど、自分の解釈がまだ小さいだけで、世界のサイズに想像が至っていないだけだったりする。
僕自身のキャリアはその一例です。
30代前半から中盤にかけて、マネージャー → GM → 執行役員と、毎年役割が増えていった。大役を任されたのも、信頼を預けられたのも、意思決定の射程が伸びたのも、すべて30代でした。根拠の無い無敵感と、客観的な有用感もあった。本当に色々な経験をさせてもらい、当時在籍した会社には感謝をしています。
しかし、僕には、与えられた権限や責任に対して、自分の実力が伴っていなかったから、有用感以上に、少しずつ摩耗感が強くなった時期でもあり、徐々にすり減っていった僕にとって、この10年は黒歴史になっています。
あの時の無敵感こそ、最も心地よくて、最も危険な、自分を輝かしく囲む"境界線"だったのかもしれません。その安全な内側で少しずつ新鮮さを失い、摩耗していることに、当時は気づくことさえできなかった。そしてこの挫折が、40歳を手前に自分を変える大きなきっかけになったと僕は思っています。
ここで重要なのは、この無敵感に酔わないこと。この無敵感は"完成"じゃない。これからの下降を"ゆるやか"にするための助走の途中でしかない。だから30代で覚えておくべき結論はこれだけ。
フィールドと"カタ"を見つける。だが固めない。
まだ助走の途中だと自覚しておく。
『四十/不惑』の真意〜「迷わない」ことではなく、自分の可能性を「区切らない」こと
40代は、積み上げた経験が自信をくれる一方、その経験が自分を囲い込み、古い"カタ"で自らを固定化しようとする甘い引力に引き込まれやすい時期でもある。
これに、気づきを与えてくれたのは、能楽師である安田登さんの解釈でした。論語の有名な一節「四十にして惑わず」の『惑』は、孔子が生きた春秋時代には存在が確認されていない文字だと言うのだ。そこで安田さんは偏の『心』を外し、古代に実在した文字『或(=境界を引く)』と読み直した。
『或』に土をつければ『域』、□で囲めば『國』。どれもボーダーラインで世界を区切る文字。"区切ること"こそが『惑』の原義だったのです。すると、『惑わない=迷わない』ではなく、『惑わない=区切らない』という意味が浮かび上がってくる。
安田さんはこうして、『不惑』を『不或』と考え、「分けない心」「限定しない心」、あるいは(心に限る必要はないから心を外して)「限りない身体」というように捉えた。つまり、自分はこういう人間だと限定しがちな四十歳の人たちに向かって、「自分を限定してはいけない」と言っているのだということになる。
40代で、僕らは、迷わなくなるわけではない。むしろ迷うんだ。迷う中で、「もう自分には無理」だと線を引いて区切ったり、自分の過去の経験則で、自分のフィールドを固定化したり、限定してはいけない。
迷う自分への違和感こそが、次の軌道の起点になる。
自分への戒めを込めて、40代と向き合いたいと僕は考えています。
僕が『惑』を今年の漢字に選んだ理由
ミドルエイジクライシスの正体〜自分を固定化しようとする「引力」との闘い
40代は「ミドルエイジクライシス」とも重なります。僕はその正体を、迷いそのものではなく、迷いを"限界"に変換し、自分の領域を固定化しようとする引力が一因だと捉えている。
『ミドルエイジクライシス』
人生の折り返し地点で「このままでいいのか」という不安や焦燥感に襲われ、心理的に不安定になる状態を指す。原因はキャリアの停滞、体力の低下、子育ての終了、親の介護問題など多岐にわたり、自己の存在意義を見つめ直す時期に多くの人が直面する自然な心の変化。
自分の型やフィールドが見えてくるほど、人は「これが自分の役割」「自分はこういう人間だ」と、無意識に可能性を限定してしまう。迷いそのものが危機なのではない。迷いを"限界"に変換し、自分を固定化しようとする誘惑こそが危機の正体だと思うのです。
そんな中で僕は、「四十にして惑わず」を"迷わない"ではなく、『或(=境界線)を持たない意思』として読み直すことにした。その結果、"自分で区切って閉じない"という宣言と、迷いを理由に人生の境界線を固めてしまう四十歳の私たちへの警句として、『惑』を選びました。
「惑星」としての生き方〜不規則に見えても、『Doing with』という重力に従う
『惑』には、誘惑・疑惑・困惑・迷惑・・・のように、心が何かにとらわれて正しい判断ができなくなることを意味するだけでなく、『惑星』のような使われ方もします。
『惑星 ( planet ) 』の語源は、ギリシャ語で「さまよう者 ( planetes ) 」。
惑星は地球から見ると、逆行したり、止まったり、折り返したり、確かに不規則な動きをしているように見える。でも宇宙では、重力に従いながら緻密な軌道を描いている。「さまよう」はブレではなく、観測者が勝手に貼ったラベルだったわけです。
僕のムーブも同じかもしれません。誰かから見たら、界隈を横断し、役割を変え、土地を移動し、人と出会う。それは、迂回し、寄り道し、逆行し、折り返し・・・そんな動きは、外側から見れば不規則にさまよう惑星のように映るかもしれない。だが僕の内側には、自分なりの判断の基準がある。
その基準は、『誰とするか ( Doing with ) 』です。これは単なる人脈の話じゃない。自分が責任を引き受けられる相手と進むかどうかという、軌道を決める重力の選び方です。
例えば、以前、大きなプロジェクトの打診をいただいた。しかし、その人たちと、喧々諤々意見を交わし、切磋琢磨し、後悔しないような仕事にできるという腹の底からの確信がどうしても持てなかった。自らの惑星の軌道が、その巨大な重力によって歪んでしまうかもしれないと、悩んだ末に断った経験があります。失ったものは大きかったかもしれないが、その決断が結果的に今の僕を形作っている。
例えば、成功の保証など何もないし、僕には経験のない領域の無謀とも言える打診をいただいた。でも、声をかけてくれた方の僕への熱い信頼と期待に僕なりに応えてみたいと飛び込んだ結果、予想もしなかった扉を開くことになった。(今年1月から、この新しい取り組みが始まります。これについてはまた近日ご報告します。)
これが『Doing with』が持つ計り知れない力なのだ。
30代で掴んだ"負けない戦い方"は、僕に権限や役割、視点と視座を増やした。でも40代では、その"カタに居座らない"ことが大事になる。迷いを拒絶の理由にしない。迷いを境界の強化の理由にしない。
だから僕のマイルールはこう言い切れる。
Doing with を、僕という『惑星』の軌道の基準にする。
限界の線は引かない。一緒にする相手は自分で選ぶ。
そして選んだ事態に対して、自ら責任を取る。
このルールは、僕の『どうありたいか( Being )』とも、言えるかもしれません。
偶然への責任〜定まった地図を持たず、自分だけの軌道を描き続けるために
最後に、僕がこれまで大切にしてきたことと接続したて終わりたいと思います。
昨年からはじめた『セレンディピティ』の発信でも伝えてきましたが、自分に起きた『偶然』にどう向き合うかを、今年も追求していきたい。それは『自分を主語に自己表現できる人を増やす』というCatalyskiの根幹でもあると感じているからです。
角幡さんは、『偶然』を「世界でその人のみの固有の出来事」と、興味深い定義をしていて、強く共感しました。僕は、この自分だけに起きた偶然と、自分だけに起きたにも関わらず気づけなかった(見逃した)偶然に対して、責任を取るべきだと考えています。
たまたまのチャンスも、失敗も、出会いも、損失も、評価も、これまで僕らが歩んできた道と化学反応を起こして、偶然僕らの前に現れる。その偶然をどう選択するか次第で、また新しい道が開かれ、僕らはまたそれを歩み始める。その繰り返しだ。
つまり、僕は、なぜ境界を引かない道を歩むのか、なぜあえて「惑う」ことにしたのか?・・・それは進むべき道があらかじめ存在するのではなく、自分だけに投げ込まれる「偶然」によって、その瞬間ごとに道が示されると信じているからだ。決まった海路図を持たず、大海原に飛び出すようなこの世の中で、唯一の羅針盤となるのは、目の前に現れた自分だけの偶然を、どう読み解き、どう引き受けるかという主体的意思なんだ。そして、それが今後の人生のスケールを決めていくように思うのです。
だからこそ、僕はこの『偶然』とこれからも向き合って、自分なりに責任を取りたいと考えているのです。これが、今年の一文字に『惑』を僕が選んだ理由です。
僕という"惑星"は、あらかじめ定められた軌道をなぞるのではない。一つ一つの偶然という新たな引力に導かれ、その都度次の軌道を描いていく。その予測不能な軌跡こそが、僕が40代で選んだ「惑う」という生き方そのものなのです。
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さらに理解を深めたい人へ
このnote記事についてパーソナリティーが解説する音声配信も、セットで提供しています。
記事をただ読み上げるのではなく、あらすじや、評論、時に記事に書いていないことを補足しながら解説してくれていますので、この投稿を読むだけでなく、音声配信の視聴の両方をしていただくと、さらに理解が深まる・・・そんな構成になっています。
是非こちらも併せてお楽しみください。(所々日本語がおかしいのもご愛嬌)
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