011.2025年、抱負ではなく、あなたの作戦を話してみよう
2025年になりました。今年も1年よろしくお願いいたします。
今年は地元に帰省するでもなく、同級生や知人、お取引先との飲み会三昧でもなく、家族との時間を過ごせたので、社会人人生で一番ゆったりとした年末年始だった気がします。家族との時間を蔑ろにしてきた身としては、今更ながら、こういう時間の有り難さを痛感し、噛み締め始めているところです。
おみくじに見る、人のクリエイティブさ
今年は珍しく三が日に神社に参拝するも、ものすごい人の量に疲れて帰ってきました。正月恒例のイベントとして、おみくじをしましたが、今年は『中吉』。この数年、大吉も凶も引いてなくて、末吉とか中吉とか中途半端な感じが続いています。
そういえば、以前、神道学者の記事を見て面白かったのは、昔は、穏やか・安らかを意味する「平」というおみくじが出ることを、みなは願い期待していたのだそうです。でも、少しずつ、平凡な暮らしに満足できなくなり、刺激を求めた結果、新しく作り出されたのが大吉とか大凶のようなくじなんだとか。神の御心を尋ねる「御神籤」が、いつの間にか、貪欲な人の欲望にまみれたものになり、その種類も増えていったという皮肉。そして、記事が書かれた当時ですら、30分類以上に細分化されたくじもあったそうなので、今ならさらに増えているかもしれませんね。
そんなおみくじの結果に対する解釈も人それぞれで、おもしろい。
例えば、中吉や末吉などは、吉より上なのか下なのか、ご存知ですか?これは神社や地方によっても違うらしいんだけど、にも関わらず、その順番の定義も確認・理解しないまま、結果に一喜一憂してる。
例えば、大吉が出たら、凹んだり、気を引き締めたりする人がいる。
例えば、大凶が出たら、これ以上落ちることはないと喜ぶ人がいる。
人によって、くじの結果への捉え方が違うというのも興味深い。要は、リフレーミング(モノの見方の枠組を変えて、新しい視点を取り入れること)し、自分に都合の良い解釈を交えて、おみくじの結果をコントロールしようとする、ある種の悪あがきというか、知恵なんですよね。なんか、こういうところに、人のクリエイティブさと狡猾さと逞しさが垣間見えて、僕は人間というものが愛おしくなります。
最後に、強いて不満を言うならば、セレンディピティをスピ呼ばわりする癖に、おみくじの結果はすんなり受け入れるのは滑稽だよなっていうね。どっちがスピだよっていう話ね。
今年の抱負はもう立てましたか?
さてさて、話は本題に。
新年ならではの慣習みたいなものがたくさんありますよね。
10年以上前、年始といえば習い事系のCMが常に流れていましたが、今ではさっぱり見かけなくなりました。その分、金融投資のCMを見かける機会が増えた印象があります。実際のところはわかりませんが、やはり年始は新しいことに挑戦する、新しい一歩を踏み出す・・・そんな目標を立てることが多いので、習い事のCMが多かったのも頷けるし、新NISAの兼ね合いで、今まで投資はやってこなかったけど、今年こそ始めてみようかな!と、思わせるにはとても良いタイミングなのかもしれません。
要は、新年といえば、書初めや所信表明のように、何かの目標を立てる慣習があるし、それに適しているということなのでしょう。
皆さんは、今年の抱負、考えましたか?
そういう僕は2025年の抱負をまだ立てていませんが、早いものでCatalyskiという会社を設立して今年で3年目で、今となっては「Catalyski=三上浩紀」と同一人格ですから、会社としてこの2025年をどう過ごすかについては、じっくり考えるつもりでいます。
昨年は『Catalyski Vision2024』として『外』という漢字を掲げて取り組んできましたので、今年も同様に漢字で表現しようと考えていますが、それはまた次回以降ご紹介できたらと思います。

ところで、抱負ってなぜ立てるのでしょう?
もう少し正しく伝えるなら、
抱負ってその場限りのものになってないですか?
もしくは
その通りいかないことが多くないですか?
決して、抱負を立てて語ることを悪く言うつもりはないのですが、自らを納得させ、行動に移すきっかけになったり、他者に理解してもらえるような、そんな「ワクワクしたもの」にできないものかなと思うんです。
そんな時、たまたま正月深夜に放送されていた『ひっかかりニーチェ』というバラエティ番組の中で、「抱負なんて聴いたところで実現するかなんてわからないから、今年の作戦や展望を聴きたい」という冒頭から番組が始まったのを観て、個人的に最高だな!って思って。ちょうど自分が思っていたことと重なったので、2025年一発目のNOTEはこれをテーマに投稿することに決めました。
抱負よりも、作戦の方が少しワクワクする
抱負って言葉は日常でも使うけど、抱負って何ですか?
と訊かれると少し説明しづらい。調べてみると、
【抱負】
心の中に持っている決意や計画をさす言葉。
抱負は目標とは異なり、目標はめざすゴールであり、そこに至るプロセスは問われない。一方、抱負は、目標を達成するためのプロセスも含まれるので、目標や願望を達成するために具体的に何をするかを考えることを意味する。
つまり、抱負は具体的なプロセスということ。僕のNOTEを読んでくれている人は想像がつくと思うのですが、この「具体的」というのが一長一短あるよね、というのが、僕のお決まりの語り口です。
一年先の目標が変わらず明確で、ブレずにプロセスの設定ができる人は素晴らしいと思うのですが、誰もがそうではないと思うし、状況によってプロセスは変わるものだという認識をした上で、抱負やら、目標に向き合ってみるのも悪くないのではないかと思っていまして。小手先の話に聞こえるかもですが、抱負という言葉を、『作戦』に置き換えてみることのメリットについて考えてみます。
なお、『作戦』という言葉を使う上で、触れておきたいことが一つあります。それは、『戦略』と『戦術』という似たような言葉が存在し、これらには明確に区別があるということです。経営論やマネジメント論、軍事論・・・などいろいろなところで語られているので、詳しくは語りませんが、戦略→作戦→戦術の順にマクロからミクロへとブレイクダウンされます。
それを踏まえた上で、かいつまんで解説すると、中長期的な目標を戦略と呼び、それを達成するための幾多のプロジェクト達が作戦となり、そしてその作戦を支え、実行するための細かい無数のアクションプランが戦術となり、言わば、この戦術に当たるものが抱負だと思われます。
僕の場合、2〜3年の目標とそれを達成するためのストーリーを「戦略」、戦略を実現するために、この1年間取り組むプロジェクトを「作戦」として、この作戦を一言で表すための言葉を漢字1文字で表現しています。作戦の実行に向けた「戦術」は勿論無数にあるし、状況によって変わるから、考える上での時間軸としての距離感と、その行動としての解像度との塩梅がちょうど良いのが『作戦』という言葉だったりします。
作戦に名前をつけてみる
『「言葉にできる」は武器になる』などでお馴染み、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授の梅田悟司さんの言葉に対する執着というか、こだわりには共感する部分が多く、彼の著書をよく参考にさせてもらうのですが、彼の著書に『きみの人生に作戦名を。』という本があります。
これに倣って、立てた作戦に対して、もう一歩踏み込んで『作戦名』にまで仕上げられたらなお良いなと思うんです。この著書の中でも、作戦名をつけてみるメリットについて、このように書いています。
(作戦に)名前をつけることの本質は、その対象に愛着を持ち、共に生きる約束をすることにある。自分というプロジェクトに作戦名をつけることは、人生のオーナーシップをその手に取り戻すことでもある。
みなさんはどうか分からないけど、僕の場合、抱負を聞かれた時にその刹那で吐き出した言葉には、正直そこまでの愛着も無いことが多くて、口から飛び出したその数分後には、もう忘れてしまっていることが多いです。
それを思うと、抱負よりも、もう少ししっかりと自分と向き合って言葉を生み出す必要があるとなんとなく感じていて、思い切って『作戦』という言葉に置き換えることで、捉え直すことできる気がしました。加えて、先述の通りで、その作戦に愛着を持つ意味でも、正面から自分と向き合う意味でも、自分が納得できる言葉に仕上げることを大事にしたいと思います。
自分に向き合うために重要になるのは、
「やりたいことや得意なことを答えられないこと」と、「やりたいことや得意なことが無いこと」を分けて考えるということ。
「やらなければいけないこと」は、他者やチームとの関係性において自然発生的に生まれることが多いと思いますが、同時に、「自分がやりたいこと」が何かについてしっかりと掘り起こし、自分の本心と向き合うと、結果的に、自分を活かすことで誰かの役に立つ生き方についても思いを馳せることができるし、やりたいことと、やらなければいけないこととがオーバーラップする部分を見出すことで、適切な言葉が浮かんでくる可能性があります。言語化の試行錯誤によって、言葉の解像度が上がると、同時に行動の解像度も上がっていくはずです。
ちなみに適切な言葉が浮かび上がってきた後は、作戦名に整えて仕上げることになりますが、作戦名の整え方のアプローチを3つ紹介します。
単語型:単語を中心とした作戦名
台詞型:単語の意味するものを口語化した作戦名
書名型:書籍のタイトルのような作戦名
どの整え方があなたに適しているかはわかりませんが、ぜひいろいろ試してみて、しっくりくるものを採用してもらえたらと思います。
作戦とは、やること?それとも、やらないこと?
ちなみに、僕の今年の作戦の方向性は、以下を踏まえた内容にする予定。
「一貫性のなさ」を追求し続ける
「やることの一貫性」ではなく、「信念の一貫性」を言語化する
これまでの積み重ねと“現在地“から自分の軸を意識する
他者の評価を気にせず、自分のやるべきことをやる
言語化できないことを楽しむ
これは僕がセレンディピティを語る上でも大切にしていることなので、これを自ら律することが重要だと思っており、また、起業3年目を迎えるにあたり、僕と会社の軸足をしっかりさせるためにも、続けることと、手放すこととを整理する年にしなくてはいけないと考えています。
そこで今年意識することは、やはり手放すこと。
作戦は戦略と連続性があり地続きなので、経営戦略における僕の好きな言葉を紹介して終わりにしたいと思います。
戦略の本質は、何をやらないかを選択することだ。
最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。
戦略論を、どちらに進むかを決めることだと思っている人がいますが、実は逆で、どちらに行かないかを決めることが大事だと言われています。それは、360度どちらにも進める状況を、90度に限定するだけでも4倍の労力を割けるという単純な理屈ではあるものの、それを実際に行うのは容易ではないんですよね。だからこそ、どちらに行かないかを決める癖をつけなければいけない。
話を最初に戻すと、抱負とは何をするかという具体的なアクションだったわけですが、戦略(目標達成のためにどちらに行かないか)を定め、作戦(達成する上で重要なプロジェクト)を打ち立て、宣言することで、2025年のいわゆる抱負である戦術(適切なアクション)を適切に選択できるようになるかもしれません。
ご覧のみなさんもまだ今年の1年の抱負を決めていない方は、一緒に『作戦(名)』に置き換えて考えてみましょう。あなたの考えた『作戦名』もぜひ聞かせてください。
最後に
セレンディピティ(偶然と才気によって、探していないものを発見すること)をただ降りかかってくる運として捉えるのではなくて、普段の過ごし方や考え方を少し変えることで、その頻度を増やすことができる後天的な能力なのではないかと僕は考えていて、個人的な趣味として研究しています。
今後も、色々な経営者との対話から得た知見や、ビジネス書、論文などの文献を織り交ぜながら、生煮えの考察を言語化、発信しているNOTEです。
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