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「セレンディピティ 三上」で検索したら、僕じゃないもう一つの『三上』がいた

いいアイデアは、移動中やお風呂で浮かぶ。
このnoteでも何度か紹介してきた「4B」も、そんな発想法の話だ。

でも最近読んだ本に、「それは神話だ」と言われてしまった。じゃあ本当は、何が創造性の高いアイデアをあなたの元へ連れてくるんだろう。今日はそんな話をしたい。


noteを続けてきたことで、最近、嬉しい変化が起きている。

「セレンディピティ」で検索すると、wikipedia、グロービス、その次に僕のnoteが出る。これは既に過去の投稿でお伝え済みです。

最近起きた変化は、「セレンディピティ 三上」で検索すると、前まではただの検索結果の表示だったのが、AIによる概要が表示されるようになった。

「セレンディピティ 三上」は、カタリスキー(Catalyski)合同会社のCEOである三上浩紀(みかみ ひろき)氏を指している可能性が高いです。三上氏は自らを「セレンディピティオタク」や「バイソシエーター(点と点を繋ぐ人)」と称し、セレンディピティの計画的創出や個人の行動変容に関する研究・発信を行っています。 ※一部抜粋

これ、僕にとっては地味に大きい変化で、僕が書いてきたことが少しずつうっすらとはいえ、反映され始めている。権威になった・・・なんて話じゃない。むしろ逆で、僕は特別な才能があったわけじゃない。それでも、ひとつのことを長く書き続けていると、その言葉が、検索できる知識として扱われ始める瞬間がある。読む側だったはずの自分が、気づけば、ちょっとだけ読まれる側に回っていた。

ただ、面白いのはここから。この記事は、その「検索でヒットした話」がしたいわけじゃない。検索結果をぼんやり眺めていて、僕は、不思議な偶然に出逢ってしまった。今日はその話を書きたいのです。


「三上浩紀」では出てこない

先に、ひとつだけ但し書きを。
「セレンディピティ 三上」では僕が出てくるけれど、「三上浩紀」という名前だけで検索しても、AI概要は表示されない。つまり、評価されているのは僕という個人じゃなくて、「セレンディピティを語る三上」というふうに、概念とセットになったときの僕だけなんです。

これ、何度も色々とエゴサーチしたことで、妙に腑に落ちた。僕が何者かになれたわけじゃなくて、「セレンディピティ」という概念の側に、僕の言葉がじわじわ滲んでいっただけ。主役はあくまで概念で、僕はその周りにこびりついた付着物みたいなものだ。ちょっと蔑みすぎかwww?

まぁ、ここまでは前置き。
本題は、この検索結果の中に、もう一人の『三上』がいたことだ。


僕じゃない、もう一つの"三上"

「セレンディピティ 三上」で検索すると、僕(みかみ)以外に、もう一つの読みが出てくる。

それは、「三上(さんじょう)」
中国の故事(大昔にあった事柄や、昔から伝わっている由緒ある出来事のこと)らしい。同じ「三上」という表記に、まったく別の意味が同居していた。しかも、よりによってそれが、セレンディピティの話とぴったり噛み合う言葉だったんです。

自分の苗字を検索しただけなのに、千年前の中国の知恵が出てくる。これ自体が、なんというか、ちょっとした言葉遊びみたいで面白いんだけど、後から考えると、この「たまたま並んでいた」ことが、今日のnoteのきっかけになった。


さんじょうと、よんびぃ : 時代と海を隔てて、同じことを言っていた

「三上(さんじょう)」は、北宋の文人・欧陽脩の言葉だそうで、文章の構想が浮かびやすい三箇所を指す言葉らしい。

① 馬上(ばじょう) :馬の上、つまり移動しているとき
② 枕上(ちんじょう):枕の上、寝床に入っているとき
③ 厠上(しじょう) :トイレの中

要するに、アイデアは机の前で唸っているときじゃなく、意識がちょっと緩んだ場所でやってくる、という話だ。馬の上が、いまの電車やバスだとすれば、千年前の話が、そのまま現代でも通じてしまう。

で、これを読んだとき、ハッとした読者もいるかもしれない。このnoteでもお馴染みのアレです。そう、「4B」という考え方。

❶ Bus :移動中
❷ Bath:風呂
❸ Bed :寝床
❹ Bar :お酒の席

アイデアが生まれやすい四つの場所。もとはスウェーデンの発想本で紹介され、日本では樺沢紫苑さんの『アウトプット大全』あたりで広まった。僕もこの「4B」を気に入って、ワークショップや研修で紹介したこともある。

並べてみると、笑ってしまう。馬上=Bus、枕上=Bed、厠上はまあBathの近所みたいな感じかな。中国の文人が千年前に言っていたことと、スウェーデン発の発想法が、ほとんど重なる。「意識が緩んだ場所で、アイデアはやってくる」・・・時代も場所も違う人たちが、同じ結論にたどり着いていた。

念のため言っておくと、これは僕の発見でもなんでもない。僕はたまたまこのタイミングで知ったけど、4Bはよく「現代版の"三上"」として紹介されるらしい。両方を知っている人なら、誰でも「あ、似てる」と気づく話だ。実際、調べればいくらでも出てくる。

でも、僕がこの記事で書きたいのは、その先のことなんです。誰でも気づくこの一致をきっかけに、もう一段深く掘り下げてみたい。


真っ向から否定する人が現れた

場所を変えれば、アイデアは生まれる。東西の知恵がそれを裏付けている。めでたしめでたし。それで終わってもよかった。ところが・・・。

いま、とある企業の新規事業づくりの研修準備のために、シーナ・アイエンガーの『Think Bigger』を読みなおしている。コロンビア大学のあの「選択の科学」で有名な人です。彼女は、こう言うんです。

「風呂に入っていたらアイデアが浮かんだ、みたいな話は、神話だ」と。

……いやいや、ちょっまっ・・・、それ、僕がさっきまで気持ちよく語っていた4Bや"三上"のことじゃないか!!!

彼女はさらに踏み込む。リンゴが落ちるのを見てニュートンが重力を思いついた、というあの有名な話も神話だと言う。ニュートンは、リンゴを見た瞬間にひらめいたんじゃない。何十年も重力の問題に取り組み続け、ガリレオやケプラーといった先人の知恵の積上げの上に立って、ようやく答えにたどり着いた。リンゴは、きっかけだったかもしれない。でも、そのきっかけが落ちてくる前に、彼はもう十分すぎるほど準備をしていたのだと。

千年かけて東西で語り継がれてきたはずの知恵が、一冊の本の中であっさり否定される。なんだか、梯子を外された気分だよ、ホントに。


彼女は「全否定」したわけじゃなかった

でも、よくよく落ち着いて読むと、アイエンガーが言いたいのは、「風呂や散歩でアイデアが生まれることなんてない」ということではない。そうではなく、そこに至るまでの学習や、記憶や、問いの積み重ねがなければ、風呂に何時間浸かっても何も起きない、ということだった。

風呂がアイデアを生むんじゃない。
それまで溜め込んできた知識や経験が、風呂という緩んだ瞬間に、たまたま結び直される。順番が逆なんです。場所が手柄を持っていったように見えるけど、本当の仕事は、その前にぜんぶ終わっている。

アイエンガーは、こんな言い方をする。

私たちの頭の中には、記憶の本棚がある。新しいアイデアは、その棚に並んだ断片を組み合わせて生まれる。だから、課題の前で行き詰まるのは、たいてい、組み合わせるべきピースが棚に足りていないからだ、と。

風呂に何時間浸かったって、棚が空っぽなら、結ぶモノがない。これはとても共感する。これを読んで、僕は、ひとつ気づかされた。

僕自身は、これまで仕込みをずっとやってきた。やらないと不安で、学んで、覚えて、問いを持ち続けて。生存本能でもあったから、僕にとってそれは当たり前のことだった。だから、わざわざ言葉にしてこなかった。4Bや"三上"の「場所」の話ばかり面白がって紹介して、その手前にある地味な蓄積のことを、僕は語ってこなかったんです。

アイエンガーに、間違いを正されたというより、当たり前過ぎて、口に出していなかったことを語る必要があることを気付かされた。そういう感覚に近い。


僕は「本棚」とは違うイメージを持った

アイエンガーの「記憶の本棚」という言い方は、すごく腑に落ちる。でも、ひとつだけ、僕の感覚とずれるところがある。

本棚というと、知識が下から順に積み上がっていくイメージになる。新しく覚えたことが、棚の在庫として一冊また一冊と増えていく。量が増えれば、質も上がる。たしかに、そういう面はある。

でも、僕の頭の中では、少し違うことが起きていると思っている。新しく入ってきたことは、棚にそのまま積まれるんじゃない。既に棚にあった古いものが引っぱり出されて、新しいものと混ぜられて、組み直される
例えば、"三上"を知ったとき、僕の頭は"三上"という新しい一冊を棚に足したんじゃなくて、前からあった4Bを引っぱり出して、その隣に"三上"を並べて、「アイデアが生まれる場所」という一つカテゴリーとして編み直した

知識は、積み上がるんじゃなくて、入ってくるたびに編み直されるんだ。こういう考え方を「構成主義」と呼ぶ。知識は外から受け取って溜めるものじゃなくて、自分の中で組み立て直しながら作っていくものだ、という見方。

そして、ここが大事なところ
組み直すなら、「何と何をくっつけるか」を、毎回どこかで選んでいることになる。4Bと"三上"をくっつけた人もいれば、"三上"を古い言葉という括りにしたり、通り過ぎる人だっているわけ。

同じ断片を持っていても、何と何を繋ぐか、どこに興味を持つかが人によって違う。その繋ぎ方こそが、たぶん、その人の個性なんだ

なぜ、それとそれをくっつけたのか。その選び方に、その人の見方や、好みや、これまでの生き方が、ぜんぶ滲む。アイエンガーの言う「ピースの質と量」も、突き詰めれば、どう繋いできたかの積み重ねなのかもしれない。たくさん繋いだ人は、繋げる材料をたくさん持っているし、変わった繋ぎ方をしてきた人は、変わった発見をする。

クリエイティブさって、新しい部品を持っていることじゃない。みんなが持っている部品を、人と違うやり方でくっつけられること。そのことなんじゃないかな。


偶然は、常に起きていて、それでも取りこぼす

ここで、一歩引いて考えてみよう。

偶然って、特別な日に降ってくるものじゃない。今日も、あなたの周りで、いくつも偶然が起きていた。たまたま目に入った広告。電車で隣の人が読んでいた本。誰かが何気なく言った一言。検索結果にたまたま並んでいた、もう一つの"三上"だってそうだ。

偶然は、いつでも、大量に起きている。問題は、そのほとんどを、僕らが取りこぼしていることだ。

自分に関係なさそうだから素通りした偶然。関係はあるけど、拾わなかった偶然。気づいてはいたけど、忙しくてスルーした偶然。そもそも気づかなかった偶然。・・・数えだしたら、僕にも、心当たりは山ほどある。

偶然は無数にあるのに、「意味ある発見」に変えられるのは、そのうちのごくわずか。同じ一日を過ごして、同じ電車に乗って、同じ景色を見ても、何かを拾える人と、何も拾わず降りる人もいるんです。

その差は、きっと運の差なんかじゃないよね。


ずっと「偶然」ばかり、研究してきた

そもそも、セレンディピティという言葉の原義は、こうでした。

偶然と才気によって、探していなかったものを発見すること

偶然と才気。二つの要素が欠かせない。

それで、ハッとした。僕はこれまで、ずっと「偶然」のほうばかり研究してきたんじゃないか。アイデアが生まれる場所、移動の効用、偶然の拾い方、波紋の起こし方・・・、全部「いかに偶然と出会うか」の話だった。

でも、さっき確かめた通り、偶然は、もう、いつも起きている。

出会いの量は、たぶん、足りている。

だとするなら、足りていないのは、その無数の偶然から、ごくわずかを「意味ある発見」に変える側のほうだ。

セレンディピティを、僕はこう定義した。

偶然を“意味ある発見”へと変換する営み

この「変換」を担っているのが、原義の「才気」だった。僕がずっと脇に置いてきた、その言葉だったのです。


才気とは、「賢さ」のことじゃない

ただ、「才気」というと、誤解されやすい。才気=才能、センス、地頭の良さ、生まれつきの何か・・・そう聞こえてしまう。「結局、頭のいい人の話でしょ」と。

でも、そうじゃない。僕が言いたいのは、もっと地味で、もっと誰にでも届く話だ。ひとつ、身近な例を。
あなたの周りに、こういう人いませんか。一つの話を始めると、そこから次々に話が展開して、止まらなくなる人。本人の中ではぜんぶ繋がっているのに、聞いているこっちは「あれ、いつのまにか話が変わった?」となる。

ポジティブに言えば「頭の回転が速い人」、ネガティブに言えば「とりとめのない話をする人」といった感じかな。でも、その人は、普段から、いろんな話を「自分の知っていることと掛け合わせて」聞いている。だから、一つの話題が、記憶の中の別の何かと次々に繋がっていく。本人の中では、地続きの一本道を歩いているだけ。でも、聞き手にはその繋がりが見えないから、脈絡がないとか、話の飛躍に見える。

さっきの話に戻すと、その人は、人とは違う繋ぎ方をしているんです。だから、ほかの人には見えない一本道が、その人にだけは見えているのかもしれない。飛躍に見えるのは、繋ぎ方が、その人だけのユニークなものだから。

これは才能というより、繋ぎ方の癖かもしれない。


才気は、続けることで、後から宿る

そう考えると、才気の正体がだんだん見えてくる。才気って、たぶん、こういう営みのことだ。

好奇心を持って聴く:目の前のことに「なんだろう」と引っかかる。これが導入。

掛け合わせて、つなぎ直す:聞いたことを、自分が既に知っていることと結びつけて、自分なりに編み直す。これが接続。

それを、続ける:一回じゃなく、ずっと。これが継続。

降ってきたアイデアを受け取れる人は、頭が良いとは違う。この三つを、地味に、ずっと続けてきただけだ。だから、偶然が来たときに、それを受け取る引き出しが、すでに開いている。

才気は、一回の閃きじゃない。
続けた人のところに、あとから宿る。

だから僕は、セレンディピティを「営み」と呼ぶことにこだわっている。一瞬の出来事じゃなくて、続ける動詞だから。サイクルを回し続けた人の周りに、セレンディピティは、後から起きている。


気づけば、この記事自体が、そうだった

ここまで書いて、自分で笑ってしまった。
この記事、めちゃくちゃ話が飛んでませんか?

検索でヒットした話から、もう一つの"三上"、千年前の中国の故事、欧米の4B、コロンビア大学の本へ。傍から見たら、完全に「とりとめのない話をする人」ですよね。でも、僕の中では、「才気」という一語に向かって、全部が一本の線で繋がっていたんだ。

つまり、この記事の書き方そのものが、さっき話した「掛け合わせて聞く人」の実演とも言える。狙ったわけじゃなく、書きながら気づいた。

そして、検索結果に僕が滲んでいたのも、たぶん同じことなんだと思う。何者でもない僕が『セレンディピティ』とセットで出てくるのは、好奇心を持って聴いて、掛け合わせて、続けてきた堆積が、検索という形でたまたま見えただけ。才気なんて偉そうな言葉を使ったけど、やってきたのは、その地味な三つの繰り返しでしかない。


おわりに〜あなたが今日、素通りした偶然は?

「アイデアは、どこから来るのか」。
長い間、僕はこの問いも追いかけてきた。場所を変えた時、移動した時、など・・・。でも、本当に問うべきだったのは、こっちだった。

「アイデアが来たとき、それを受け取れる人は、何が違うのか」。

違いは才能じゃない好奇心を絶やさず、自分の知っていることと掛け合わせて、それを続けているかどうか

才気は、生まれつきのものじゃなくて、後から、誰にでも育てられる。少なくとも、ずば抜けた才能があったわけじゃない僕が、そう信じている

最後に、ひとつだけ。
偶然は、今日もあなたの周りで、いくつも起きていました。そのうち、あなたはいくつ拾って、いくつを素通りしましたか?

その素通りしてしまったうちの1つは、
もしかしたら・・・
"明日のあなた"が、ずっと探していたものだったかもしれませんよ


087.
「セレンディピティ 三上」で検索したら
僕じゃないもう一つの『三上』がいた
Fin.


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三上浩紀:Catalyski CEO | セレンディピティオタク| 点と点をつなぐ人 | 8枚の名刺 いただいたサポートは、私の知見を広げてくださる出会いとの交流に充てます。具体的には、お茶代、本代、もしくはここで繋がった方とのコミュニケーション代などです。それをnoteへの投稿で還元していきたいと思います。

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