ピアノが繋ぐ午後
日曜日の午後のショッピングモールは人で溢れていた。仲睦まじいカップルやいかにも幸せに見える家族連れをよそに小倉伊織は今日もエントランスのソファに座ってスマートフォンをいじりながら視線を外に向けている。彼女の視線の先は設置されたストリートピアノを捉えており、そのピアノ未だ来ない演奏者を待っているようだった。伊織はスマートフォンのフリック入力をしつつ視線はストリートピアノから外すことはない。
しばらくすると一人の男がストリートピアノに近き、演奏を始めた。伊織はスマートフォンを男に向けると、男の演奏姿を動画で撮影する。どこかで聞いたことがあるクラシック曲だが曲名は分からない。だが、伊織にとってはそれは些細な問題でしかなかった。
演奏を終えた男が、伊織に近づいてきた。
「いつも聴いているよね。俺の演奏。」
男はそう言いながら伊織の隣に座る。
「ええ。今日はいつもより遅かったから来ないのかと思った。」
「俺の演奏聴くために座り込むなんて、あんた変わってるよね。」
「そう?私は好きだよ。君の演奏。3か月前くらい前からずっと。」
伊織は男の顔を覗き込む。
「自分じゃどこがいいのかさっぱり分からない。」
男は天井を見上げると少し悲しそうな顔をしていた。
「私にとってはピアノ演奏できるだけ凄いことだと思うよ。それに、君の演奏は生きてるって感じがするの。」
「でも天才様には構わないよ。あいつらの演奏を聞いたことないから俺の演奏が好きなんて言えるんだ。そんな演奏ばかり聞いてたら自信なんて無くしちゃう。」
男の視線は近くを通り過ぎた家族連れに向いていた。
「私からしたら君も天才だよ。確かに君が言う天才様の演奏がどんなものか知らないし、仮に君が天才じゃなかったとしても、私は君の演奏が好き。それでいいじゃない。」
男の表情はまだ曇りをみせている。
「だから、次もその次も君の演奏を聴きに来るよ。そうだ。演奏聴かせてくれたお礼に何か奢ろうか?」
伊織はショッピングモールに並ぶ店を指さす。
「いらない。」
伊織には男の口角が上がっているように見えた。
