ただそのままを、肯定してくれる人が欲しかった

家族という空間の中で、私は祖父が1番好きだった。
祖父からは「ただ生きているだけでいい」と言ってもらえているような雰囲気を感じた。
優秀でなくていい。
誰かの理想に応えようとしなくていい。
ただ、私として生きていればいいと。

祖父は私に優しかった。
幼少期、与えられた菓子を食べ、夕飯が食べられなくなったことに激しい叱責を受け泣く私を「俺が菓子やったんが悪いんやから怒らんだってくれ」と守ってくれたことを覚えている。
なにか厳しく叱られた、否定されたという覚えが全くなく、いつでも暖かかったように思う。

対して、母、祖母からは
「自慢できる子であって欲しい」
「思い通りになる子であって欲しい」
「普通の子であって欲しい」
「外に出して恥ずかしくない子であって欲しい」
といった期待をされている雰囲気を感じていた。
祖母は特にそうであったし、祖父と比べて非常に苛烈で激情的な性格をしていた。

幼少期菓子を与えられ、「これ食べたらご飯食べれんなって怒られるから今は食べんとく」そう言った私に祖母は瞬時に激昂し、怒り狂った。
「なんでこんなもんぐらい食えへんのや!!
お前は親に死ね言われたら死ぬんか!!
やったら今死ね!!」と包丁を投げつけられたことを覚えている。

かなり世間体を気にする性格であったため、外面は良かった様子だが、家庭内での祖母は何か自分の意に沿わない事があればすぐに激昂して怒鳴り声をあげ、「死ね」「お前みたいなん嫌やわ、どっかおらんなったらいい」というような言葉を私に向けて頻繁に言った。
父の言い分を信じるならば、父に対しても否定的で攻撃的な言葉を頻繁に吐き捨てていたのだろう。

父からは「自分の味方でいて欲しい」「理解者でいて欲しい」「自分を1番大切に思って欲しい」「家庭内で1番地位の高い優秀な人間と認めて欲しい」
といったような期待を感じていた。

そして、父、母、祖母3人から共通して感じていたものがある。
それは「自分が何を言っても何をしても、それに傷付かず、怒らず、泣かず、責めず。翌日には忘れ、普通に振る舞い、嫌わない子供であって欲しい」
といった期待だった。

私にはそれら全てが重苦しかった。
特に最後のものは重すぎた。

内向的な性格で傷つきやすい性質を持った私は、何か少しのことですぐに泣いた。
そういった私の性質を祖母は特に毛嫌いしていた。
「こんな弱い子いらんわ。鬱陶しい」
といったことをよく言われた。
その言葉に更に傷つき、泣いた覚えがある。
時折父が私を庇っていたように思うが、あまりよくは覚えていない。

そうした全ての期待に対し、応えなければならないように思っていた。
そうしなければ愛されないのだと思っていた。
そうしなければ、存在していてはいけないのだと思っていた。
そうでなければ自分には価値がないのだと。
生きていることすら認められず、疎ましく、迷惑な存在として扱われるのだと。

大人となった私でも背負い切れない期待に、子供の私は応えようとしていた。
嫌だ、苦しい。ともうまく言えないまま。
当然、うまく応えられるわけもなく、誰かしらから否定や叱責、失望といった態度を受ける。

この記憶には幼少期、幼稚園児時代のものだけでなく、小学生時代のものも混じっているが、小学校に通う頃には既に、私は精神に異常をきたしはじめていた様に思う。

祖父がまだ生きていてくれたら。
そうでなくとも、私が中学生になる頃まで生きていてくれたらと思わざるを得ない。
祖父の死因は病死だ。
当然、彼を責める意図は全くない。
けれど、思うのだ。
祖父が私を変えてくれる人だったからではなく、ただ、「そのままでいい」と感じさせてくれる大人が家庭の中に一人でもいれば。
それだけで、私の人生は違っていたのかもしれないと。

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