M&C通信Vol.148 YESでもNOでもないあなたへ ~ 魔法のコトバ「ポポ」で、心にタンポポが舞う日《生成AIイラスト》
こんにちは、メルト&クリエイト🔵です。
心が不思議と溶けていくような時間を
ごゆっくりどうぞ。
?:YESでもNOでもないとき、どんな顔をすればいいの?

たとえば、
上司に「これお願いね」って言われて、
本当は無理なのに「はい」って答えしまう。
友達に「ここ行こうよ」って誘われて、
なんとなく「うん」って笑って返したあとに、
胸のあたりに、モヤッとした
違和感だけが残ってることってありませんか?
あの人を嫌ってるわけじゃない。
その提案が”全部イヤ”なわけでもない。
「それ、違うかも」って
心のどこかが静かに震えてる。
笑顔で「うん」と答えたあと、
胸の奥に残る違和感。
あれって、どこに行けばいいんでしょう。
はっきり「ノー」って
言えたら楽なんだけど、
それすらできない繊細な心を、
毎日の中で抱えてる気がするんです。
↔:イエスって言わなきゃ、いけない気がして
いつだったか、どこかで、
本当は「ノー」と言いたかったのに、
気づけば「イエス(うん)」と
笑って答えていました。
イエスと答えたあと、
胸の奥がきゅっと縮こまった感覚だけが、
なぜか、ずっと残っているのです。
「空気を壊したくない」
「ここで断るのは気まずい」
そんな理由で、大事な気持ちを、
置き去りにしてきたのかもしれません。
もし、イエスでもノーでもない、
その“あいだ”を「ポジティブ」に
受け止めてくれる言葉があったなら、
きっと、あの胸の痛みも
少しはやわらいでいたかもしれないんです。
∽:言葉にならない“間”にも、気持ちは宿っている
返事のほとんどが
「イエス」か「ノー」か、
どちらかに振り分けられてしまいます。
でも、本当は、
どちらとも言えない心の状態こそ、
一番デリケートで、
今の自分が一番表れている気がするんです。
そんなあいまいな気持ちを、
つい無視してしまいがちかもしれません。
「ちゃんと答えなきゃ」
「イエスって言えば場が丸く収まるし…」
心にちょっとずつ蓋をしていくと、
自分が何を感じていたか、
わからなくなるときがある。
あいまいって、
悪いことじゃないと思うんです。
むしろ、“まだ言葉になっていない”
その時間にこそ、本音のかけらが
宿っているのだと思います。
NW:「ポポ」 たんぽぽの綿毛のような、答えの“まえ”のことば
たとえば、たんぽぽの綿毛が、
まだ風に乗っている途中のような気持ち。
「イエス」でも「ノー」でもないけど、
「どうでもいい」わけでもなくて。
まだ着地していない。
だけど、ちゃんとここにいる。
そんな“言葉になる前の気持ち”を、
包み込めるような名前があったら…
ふと出てきた「ポポ」という
コトバが似合うなって。

あの、たんぽぽの綿毛みたいに、
まだ地面にも、空にも、
何にも着地していないけれど、
ちゃんとここにいるよ。
ただ、まだ飛び方が決まってないだけ。
そんな状態を包み込める言葉が、
「ポポ」
それは、“まだYESともNOとも言えない、
でもたしかに『ここにいる』感情”。
心のどこかでふるえてる、小さな本音。
もし、「ポポ」みたいな
言葉を自分の中に持てたら、
心が少し自由になれる気がするんです。
≒:たんぽぽの綿毛が舞い上がる、午後のひかり

春の午後、風も光もやわらかくて、
時間がゆっくりとほどけていくような日。
ひとつのたんぽぽの綿毛が、
ふわりと空へ舞い上がりました。
誰かが決めた道を歩くでもなく、
目的地を持つでもなく、
ただ、風にゆだねて漂っていく。
でもそこには、
不思議な意志があるように感じて。
「まだ決めなくていい」
そんな声を風がそっと
伝えてくるような、優しい一瞬。
たんぽぽの綿毛は、
まるで “イエス”でも“ノー”でもない
気持ちを、空に溶かすように
揺れていました。
曖昧だけど、豊か。
はっきりしていないけど、たしかに在る。
それが「ポポ」なのかもしれません。
◉:答えのなかに、問いが眠っている世界で
何かを選ばなきゃいけない気がして、
白か黒か、イエスかノーか
そんな二択の中に、
心を押し込めようとしてしまう。
でも、この世界って、そんなにシンプルに
割り切れるものじゃないんですよね。
たとえば、直線って
本当は存在しないんです。
まっすぐに見える直線も、
地球をぐるりとまわれば、やがて円になる。
2+2=4。そう教わってきたけれど、
まったく、同じ人はいなくて、
ときに「3」や「5」になることもあるんです。
世界で、
変わらなくて確実なものなんて、
おそらく一つもないかもしれません。
ある日に「あの人、苦手」と感じたのに、
翌週には「あの人の優しさ、なんか好きかも」と
コロコロと変わったりする。
それって、気まぐれなんかじゃなくて、
心がちゃんと流れている
証拠なのかもしれません。
「ポポ」は、心の揺らぎの真ん中にある言葉
イエスでもノーでもない、
でもたしかに“今のわたし”を
映してくれる、小さなひとこと。
だから、答えが出せなくて、
気持ちがぐらぐらしている日々も、
何も間違っていないと思うんです。
→:あいまいな光の中に、やさしい世界が見えてくる
「ポポ」
季節外れのたんぽぽが
風に揺れるような、あたたかくて、
やさしいイントネーションのその言葉。
誰にもジャッジされることなく、
誰かに理解されようとしなくても、
ふわっと、そこに居ていい。
「ポポ」
言葉にしなくても、
胸のあたりに、そっと感じてみる。
あいまいなままでいることに、
こんなにも安心できるなんて。
それは、まるで曖昧さが、
世界の一部として
許されているような気がするんです。
◎:たしかでないものの中に、灯るもの
「わからない自分」をそのままにしておくこと。
それって、もしかしたら
ほんとうに自分を大切にするって
ことなのかもしれません。
「ポポ」
イエスでもノーでもない。
たしかな言葉にならない、
けれどたしかにここにある感情。
揺らいでいる自分も、
定まらない気持ちも、
ぜんぶ、今のわたしの一部。
もしかしたら、
「確実な何かになろう」とすることが、
わたしたちの”苦しみ”の
一番の原因だったのかもしれません。
だとしたら、
曖昧でいることは、逃げじゃなくて、
やさしい選択肢のひとつ
だったのかもしれないですね。
今日がちょっと曖昧な日なら、
そのままで。
焦らなくていいし、
無理に決めなくても。

「 ポポ =曖昧な気持ちを肯定する、
魔法のクッション言葉」
曖昧を受け入れてくれる世界があれば、
静かに感じてみるだけで、
曖昧さが、やさしさに変わる瞬間が、
きっとくるハズ。
曖昧さが許される世界の入口が、
いつだって、自分の中にあるから。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。

PS:”ポポのまま”でギャラリー

曖昧も、きっと意味がある。

無理に決めなくてもいい。

そのままのあなたで、ここにいていい。

飛び立つチカラはある

PS②:「ポポ」は、“心の中のPo法”から
実は「ポポ」という言葉から
頭の片隅に浮かんだのが、
とある有名な心理学者の理論でした。
その人の名前は、エドワード・デ・ボノ博士。
「水平思考(ラテラル・シンキング)」の
提唱者として世界的に知られていて
「創造性とは、正解を探すことではなく、
“可能性に気づく力”だ」と語った人です。
博士が生み出した「Po(ポー)法」という概念は、
YESでもNOでもない、
新しい発想の“入り口”として使われます。
たとえば、こんなふうに
「Po – こんな視点もあるかも」
「Po – ちょっと突飛だけど、どうだろう?」
意味がまだ分からなくても、
「ナシ」と切り捨てずに
未来の突破口になるかもしれない
アイデアとして扱ってみる。
それが「Po」の本質なのです。
つまり、
「Po」は、曖昧さを否定しない“創造の種”。
この考えにインスピレーションを受けて、
わたしは「ポポ」という言葉に形を与えました。
YESでもNOでもない。
でも「どうでもいい」わけでもない。
そんな曖昧な、だけどたしかにここにある感情に
そっと“居場所”を与える言葉。
曖昧さを抱きしめながら
やさしく過ごしていきましょう。
「ポポ」という魔法の言葉と、一緒に。
今日も「ポポ」のままで。
今日も最高の1日をお過ごしください!
いいなと思ったら応援しよう!
今日の記事はいかがでしたか?
チップは、単なるお金ではなく 感動を形にするエネルギー。
「この言葉、もっと広まってほしい!」とそんな想いを託しませんか?
チップを贈ることは、小さな想いが大きな流れになるきっかけ。
小さな円が大きなご縁となり、巡り巡って返ってきます。