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M&C通信Vol.93 なぜ“置き去りの感情”が人生のピースになるのか?~感情のピースとゲシュタルト心理学の話~

こんにちは。メルト&クリエイトです。


?:思い出したくない過去ほど、なぜよみがえるのでしょう?

たとえば、
古いアルバムをめくっていたら……
ページのすみから、
あの写真がひょっこり出てきて……


「うっ…」って胸がズキンと痛くなる。
そんな瞬間って、ありませんか?


もう忘れたと思っていたのに、
たった一枚の写真だけで、
空気や匂い、


当時の自分の心までが一気に戻ってくる。

思い出したくないのに、ふいに蘇ってくる。



あれ、不思議ですよね。


人って、都合よく“忘れる”ことは
できないのかもしれません。

むしろ、忘れようとすればするほど
そこに何か” 大事なピース ”が
あったんじゃないかって、


心がうっすら気づいているの
かもしれないんです。


↔:「あの子の全部が知りたい」って思った夜のこと

大好きなアイドルがいたんです。

ステージの上では、
どんなときでも笑顔で、
ファンにはいつも「ありがとう😊」って言ってくれて


ほんと、完璧でした。


でも、ある日ラジオでこんなことを話したんです。


「……実は、一度だけ、本気で辞めようかと
  思ったことがあるんだ」って


えっ⁉ ちょ、ちょっと、待って。
なにそれ。聞いてない。知らない。
いつ? なんで? 

頭の中がグルングルンに回って、
その一言だけで、
彼女がまるで別人に見えてきたんです。


気づいたら、過去のツイートや
裏話、インタビューやうわさ話まで、
スマホ片手に検索しまくってました(笑)


たった一言に、「心」を持っていかれた。


でも、その“知らなかった彼女”を知ったとき、
もっと彼女のことを好きになってたんです。


人って、心から好きな存在ほど、
すべて”を知りたくなってしまうものなんですよね。


そんな、経験はありませんか?


∽:なぜ、人は「全部を知りたい」と思うのか?

なぜ、あの一言が忘れられないのか?
その理由を“ある心理学”に見つけました。


これは、「ゲシュタルト心理学」という分野でも
言われていることなのですが、


人は、「全体で理解したい」という本能を持っています。


つまり、
一部の情報だけだと“足りない”と感じて、
どうしても続きが気になってしまう。


たとえば、
映画のエンドロールの途中で帰らされたら、
なんかモヤモヤしませんか?


途中まで観たのに、オチが見れなかった…って。


それと同じで、
自分自身についても、他人についても、
”断片だけ”知っても、落ち着かなくなるんです。


人は、自分の中の「全体像」を
つかみたがっている。


でも、多くの人は、
その“自分のピース”を置き去りにしたまま
生きてるかもしれません。


そして、そのピースは単なる
情報”だけじゃなくて、
”感情”というピースが必要かもしれません。


NW:“感情のピース”が、心の地図を描きはじめる

人は、断片的な情報だけでは満足できないんです。


全体を理解したくて、
モヤモヤして、つい続きを知りたくなる。


でもその“全体像”って、何でできているんでしょう?


出来事の記憶?言葉?理屈?


そうじゃなくて、

本当に私たちを引き止めるのは、
まだ、処理できていない
「感情」なんだと思うんです。


人は「事実」と「感情」の両方が腑に落ちて、
初めて本当の意味で“納得”できる
じゃないかと思うんです。

怒り、寂しさ、悲しみ、虚しさ……
当時、感じきれなかった思いが、
今もどこかで疼いている。


でもそれって、
ただの未練でも、執着でもなくて、

「まだそこに、ちゃんと存在してる
 自分の一部」なんですよね。


それを、「感情のピース」と呼んでいます。


モヤモヤの正体がわかった瞬間に、
あいまいだった自分の形がはっきりしていく。

感情を思い出すことは、
自分自身のゲシュタルト(全体像)を完成させる、
大事な“一片”かもしれません。


≒:感情のピースは、“霧の中の灯台”みたいなもの

人生って、
たまに何も見えなくなるほどの
「霧」に包まれることがあります。


方向もわからない。
何が正解かもわからない。
とにかく立ち止まるしかないような、あの感じ。

でも、

あるとき、
ぽつんと浮かぶ灯りを見つけるんです。


「これだ…!」って、なぜかわかる。

理由も説明もできないけど、
その灯りを見た瞬間、涙がこぼれそうになる。


それが、感情のピースなんです。


忘れたと思っていた感情が、
思いがけないタイミングで「ぽんっ」と出てくるとき、

心のどこかでずっと光っていた“灯台”が、
ようやく見えるようになった
瞬間があるハズなんです。


そして、その灯りを頼りに、
“自分という存在”の全体像へと
向かっているのかもしれません。


◉:全体像が見えたとき

人生って、ただ起こる出来事の連続ではないと思うんです。


どんなにバラバラに見えたとしても、
ちゃんと意味があって、つながっていて、

そこには“全体像”の設計図というものが、
最初からあったのかもしれません。


だけど、その“全体像”は、
最初から見えているわけじゃない。

私たちは、自分の中のピースを
ひとつひとつ拾い集めながら、

少しずつその「形」を
浮かび上がらせていくんです。


そして、“感情のピース”
自分のゲシュタルト(全体像)
完成させるカギなんですね。


置き去りにされた感情たち。
意味がわからずただモヤモヤしていた記憶たち。


それらが一つずつ、カチッとハマっていくと

「私はこういう人だったんだ」
「この人生でよかったんだ」

そんな風に、過去が過去じゃなくなって、
今という瞬間に“統合”されていく
感覚があるかもしれません。


→:「感情」は、全体像をつなぐ“最後のピース”

情報だけ集めても、
知識だけ集めても、
どれだけ思い出しても、

やっぱり、
何かが足りない

何かが引っかかるんです


たとえば、

あの時、泣きたいのに泣けなかった理由。

怒ったのに、どこかスッキリしなかった感覚。

平気って言ったけど、本当は心の奥にあったざわめき。


その“引っかかり”の正体が、
ずっと分からないまま、
心の片隅に”しこり”として残り続けている


もしかしたら、まだ、
感じきれていない「感情」が、
置き去りになっているから
なのかもしれません。


あのとき、自分はどんな気持ちだったのか?
本当は何を言いたかったのか?
何に期待していて、何に失望したのか?


それを思い出せたとき、
ようやく「腑に落ちる」という
感覚がやってくるかもしれません。


どれだけ事実を振り返っても、
人の心って“感情”がつながらなければ
納得できないんですよね。


だからこそ、
「感情」は、自分という
人間の"全体像"をつなぎ直す
“最後のピース”かもしれません。


◎:今日のメッセージ

人って、どうしてこんなにも
「全体像を知りたい」と願うんでしょうか?


あのときの出来事が、
なぜ、今も心に残っているのか。

もう終わったはずのことが、
なぜ、ふと思い出されてしまうのか。


それはきっと、自分の中に
「腑に落ちないままの気持ち」
残っているから。


言い換えれば、
“感情のピース”が、まだ見つかっていないから


どんなに理屈で整理しても、
心のどこかで
「わからない」
「納得できない」と感じている。


それが、ずっとモヤモヤを生み続ける。


人は、納得して前に進みたい生き物だからこそ、
“断片”ではなく、
“全体像”を求めるかもしれません。


ただ、記憶や出来事だけを集めても、
その全体像は、完成しない。


本当に必要なのは、
そのときの自分が、何を感じていたのか。


怒り? 寂しさ? 悔しさ?
期待?嬉しさ?悲しさ?


言葉にならなかった” 感情 ”を見つけたとき、


「ああ、これがわたしだったんだ」と、
自分をまるごと受け止められるようになるハズ。


それが、あなたという人間の
「全体像」を完成させる、
最後の”感情のピース”かもしれません。


最後まで、読んでいただきありがとうございます。


📘:あなたのnoteが“伝わる一歩”を踏み出すために

まだ、伝えきれていない想い。
なんとなく、言葉にならないモヤモヤ。

それって、「感情のピース」が、
タイトルにうまくのっていないからかもしれません。


『タイトルで9割が決まる~note本気攻略編~』

想いが、ちゃんと届くために。
その感情、「タイトル」から伝えていきましょう。

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メルト&クリエイト【M&C通信】🔵 今日の記事はいかがでしたか? チップは、単なるお金ではなく 感動を形にするエネルギー。 「この言葉、もっと広まってほしい!」とそんな想いを託しませんか? チップを贈ることは、小さな想いが大きな流れになるきっかけ。 小さな円が大きなご縁となり、巡り巡って返ってきます。