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吉野山でのふしぎな話

お久しぶりです。
春に家族で吉野山に行ったのですが、
そのときに起こったちょっと不思議な体験を書こうと思います。

吉野のことは週末書こう書こうとしていたのですが、
ズルズルとこうして夏になり…今に至るというわけです。

日本人観光客多かったですね。しっぽり観光したい人にはかなりおすすめです

今年は吉野山の金剛峯寺蔵王堂で、秘仏が公開されていたので
平年より行き甲斐があったと思います。

金剛峯寺の境内

拝観料を払い中に入ると、牛の首を持つとされ
直接顔を見てしまうと災いが降りかかるという邪神がベール越しに
見られるようになっていました。

写真撮影が仮にできたとしても
怖くてカメラロールに残せなかったと思いますが
ちょっと残念でもあります。

お堂の中を一周すると、大仏さんの前に
一畳ほどの空間を障子で仕切ったブースが設けられていて
個人個人がゆっくり手を合わせることができるようになっていました。

神仏には信心深い方なので、この計らいは有り難かったです。

で、先に並んでる人たちも一人か連れと二人で入って拝んだり
していたのですが、僕たちは母と妹との三人で来ていて
別々に参拝しようかって感じになりました。

ここから、かなり主観的な話になるのですが
家族全員で一緒のところで手を合わせないと
運命が別れ別れになってしまう強迫観念のような感覚に襲われました。

当然、母と妹はそんなこと言われてもよく分からないし
「狭いし別々にお祈りしたら良くない?」ってなったんですが
僕がどうしてもと粘ったことで、
結局妹と一緒のブースに入って参拝しました。

母なら親子だから、まあ大丈夫だろうというのもあったし
妹はそれより縁が薄いのとちょっと体が弱いところがあるので、
もし何らかの不運が舞い込んできたときに
あのときこうしておけばよかった、なんてことになったら
嫌だなと思ったのです。

まるで空気中に見えない運命の乗り物が発車するのを迫っていた感じ。

今になってみると、変な思い込みに囚われていたと自覚もあるのですが
こういう理屈で説明できない違和感に耳を傾けることも
大事ではあると、ちょっと思ったりもするわけです。

大事な瞬間には走馬灯が走ったり、時間がスローになったりすると
よく言われますし運命の分岐点が知覚できるかたちで
姿を現すことは、個人的に面白い体験だったので
シェアしたいと思いました。

まあ、生きてたら色々あるってことで…

春のベンチでくつろぐ観光客
金剛峯寺のお堂
洞に坐する仏像


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