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【初投稿】メメント盛モリで生きている【長文エッセイ/ままならない人生】


はじめまして
メメント盛モリな人生を送る独身のアラサー女?です
自分をより愛し、そして見つめ直していく為に
この度エッセイを書いてみることにしました✍️

拙い文章が目立つと思われますが、どうぞご容赦ください。ここでの喋り方も模索中です。今回は気持ち語り部風に綴ってみたいと思います。このnoteを開いてくださった皆様には格別な感謝を。



⚠早速ですが、閲覧注意です


皆さんは家族から、性的な目で見られた事はございますか?
干支が一周以上離れた実の兄からです。

15以上離れた姉に鳩尾を殴られたり、頭皮で世界地図が出来るほど髪を引っ張られたりした事はありますか?

「お前が産まれなければ上手く行っていたのに」「お前さえ居なければ」と、きょうだい達 から存在を疎まれた事はありますか?

滝で溺れ死にそうになった事を笑われた事がありますか?

学校で容姿に関して虐められた時「お前がそんな見た目なら仕方がない」と、味方になってもらえなかった事はありますか?

17歳で不登校だった頃「私だって働きたくないのにお前だけズルい!」と、15以上離れた姉に部屋から引きずり出された事はありますか?

「言う事を聞け、さもないと」と、姉たちに脅されながら生活した事はありますか?

「お前は能が無くてバカで出来損ないだ」「この家の汚点になる」と言われた事はありますか?

それが最近になってみんな丸くなってしまって。
「当時の事がまるで無かったかのように振る舞われた事」は、ありますか?

私はあります。多分あります。


「多分」というのは、所々あまりよく覚えていないからです。



幼少期の記憶はほぼ有りませんが、それでも確かにこれらの出来事は私の記憶だと言えます。
これは数少ない「覚えている家族との記憶」なのです。すべて私が幼少期から10代の頃に浴びた、家族からの不器用な愛でした。
上記の内容はそのほんの一部。

最近思い出す記憶も増えて来ておりますが、正直暗い記憶がほとんどです。
楽しかった記憶でさえ、どんどん色褪せて行く。
それがより私の精神を蝕みました。

きっと当時の私へのあらゆる「暴力」は
「愛憎」「妬み」「疎み」「哀れみ」「怒り」
その他様々な感情が混じって起こった悲劇なのでしょう。


私たちは所謂「機能不全家族」でした。
私も、きょうだい達もみんな揃って「アダルトチルドレン」でした。


私はそんなお家が嫌でした。
一緒に居るのも嫌になりました。
家が全く安全地帯じゃなかったのです。
「回避型」な自分も「愛着障害」な自分も心底嫌でした。



高校3年生の頃。
幸いにも、献身的な先生と優しい友人たちに恵まれました。「そんなに辛いのに、生きててくれてありがとう」「私だったら辛くて死んじゃうかも」と

そんな事を言ってハグをしてくれた友達の存在が、私にとって本当に光で、救いで。
彼女のような友人たちからの「愛」や「好意」を、無下にしたくないと思いました。



「私は人から大切にされても良い存在なのだ」と、気づかせてもらえた。
この好意を無下にする方の方が今も尚、死ぬことよりも恐ろしい。


だから家から出て行きました。
今も家族たちとは距離を取っています。
それに関して、何の後悔も有りません。
幸いにも私は、自分ことは結構好きなのです。
友人たちの幸せを喜べる心も持ってます。



ただ、歳が上がるにつれて「当時の家族の心境や状況」が想像できるようになってしまったが故に。最近またとても苦しいのです。
ああなっても仕方がなかった理由も分かるような気がしてしまう自分も嫌で。

「家族を、今まで出会った加害者を許したい」
「でも許せない」

自分が所謂「いつ親になってもおかしくない年齢」になるにつれて「どうしてあんな幼な子に、妹に、娘に、あんな酷い事が出来たんだ」と。
私の家族のことながら酷くショックで嘆くことが増えました。

気持ちの乱れが波となって押し寄せて来ては引くのを繰り返していて、今はまた少し落ち着いている頃です。「家族と自分はイコールではない」と意識して、過去をなるべく客観視しています。
「許さなくてもいい」というルートの存在も、意識してはいます。


「そんなに悩むまで溜め込まずに、誰かに相談した方が良い」「一人で抱え込まない方が良い」と、昔から何度も言われました。


でも、自分の悩みがとても重い事は自覚していましたし、大抵の事は我慢出来てしまう分、相談する頃にはより話が重たくなっている場合がほとんどでした。なので正直、今でも話すと申し訳ないが勝ちます。


勿論、今でも私の過去を知ってくれている友達や先生は居ます。
私の重荷をたまに一緒に持ってくれる人は居る。
私はそんな友人たちが大好きです。
なので、そこはご安心ください。


ただ私は誰かに相談をする際
何よりも「寄り添ってもらえなかった」「味方になってもらえなかった」という事実の方が
時に実際の加害者からの暴力よりもむごく苦しめられる事を知ってしまっているのです


だから正直、闇雲に悩みを打ち明けるのは怖い。「noteでは良いのか?」と思った方も居るかもしれません。

ここは誰にも言ってない場所なので、私の知り合いたちが見ないのでしたら一向に構いません。
過干渉されないのでしたら、何でもいい。


ただただ見守って頂けるというの事が、この場においては何よりもありがたい事だと思っています。なのでそんな活動を目指したい。



人に弱音を吐露すると、こんな事を言われる事もございました。

「それでも、家は裕福なんでしょう?それならいいじゃない。恵まれてるじゃない」
「良いなぁ年の離れた姉兄、随分可愛がられたでしょう。わがまま言っちゃいけないよ」
「家族の人にも何か事情があったのかもしれないよ?そんなに怒らないで」
「家族が揃ってて、たくさん居て羨ましい」

そう言って、相手の不幸話に話が持って行かれた事もございました。
所謂不幸マウントを取られた事もございます。

私の悩みの本質には全く気づかず、私の苦労を「幸せな悩み」と捻じ曲げて解釈し、悲哀の気持ちを否定された事もございました。
おそらく「気づくつもりも無かった」のだと思います。


共感が出来ずとも、事実として私の話は受け止めて欲しかった、想像して欲しかった
「お互い大変だね」という話をしたかっただけなのに


「この人とは分かり合えない」と感じた人は、尽く私の人生から切り捨てて参りました。
人からただ弱みを握られるのは、もう懲り懲りでした。人に期待しすぎるのも辞めるよう意識しました。

「私の体験というのは、そんなに大した事ではないのでしょうか?」
「いいえ、そんな事はありません」
そう脳内会話を繰り返して、今日まで生きて来たのです

「運が無かった」「そういう星の元に産まれたんだよ」と言うには、私はまだこの世界に納得していないようなのです。
抗いたい。認められたい。
そう思うのです。


だから、周囲からの感情否定は何よりもキツかった。それは私への「存在否定」に近かったから。



本当なんです。
本当に苦しかったんです。
でももっと苦しいのは「今」なんです。

だって当時の幼い私は、それらの行為をまだ「家族愛」だと思っていました。構ってもらえるだけで、心の底から嬉しかったのです。
不適切な関わりも「そういうノリ」「そういう遊び」「じゃれ合い」だと思っていました。


違和感に気づいていない間の私は「自分って家族に愛されているんだ」と本気で思えていた。
夢を見ることが出来ていた。


でもその夢が、18歳で「アダルトチルドレン」の概念を知って以降。様々な知見や経験を得る度に。数年掛けてゆっくりと否定されていった。
「何かがおかしい」「あの家何かがおかしいよ」と、私の脳が言い始めたのです。


アルジャーノンとチャーリーに宜しく。
年齢も上がり、賢くなってしまったが故に。
その「幸せな思い込み」がみるみる瓦解していきました。
家族たちの醜い意図にも気づいてしまった。



それでも、愛情を注げられる相手がたった一人でも居れば、それで良かったのに



更に追い打ちを掛けるように、数年前に最愛の親戚が病気で亡くなりました。
家族や親族の中で唯一私なりの愛情を注げられていた、私の妹のような存在。
彼女は病気で苦しんで死んでしまった。

とてつもない虚脱感に襲われました。
何度あの子に「健康を分けてやりたい」と願ったか。

──────── 私が長生きしたって仕方が無いのにと当時は思っていた


後に私に襲って来たのはひどく心を縛る「悲しみ」「不安感」「後悔」「疎外感」「絶望」「空虚」そして「憎しみ」「怒り」「恨み」「辛み」
胸にマグマを宿らせる程に強烈な感情の数々



首に縄をエイとしたり、大量の飲酒をして全てを終わらせたくなる時もございました。
今でも喉に包丁を当てる妄想が過ぎる夜が何度もございます。家族へその矛先を向ける妄想も何度も行ってしました。



「妄想も犯罪」なら、私は何度も刑に処されている事でしょう
加害者たちは今ものうのうと生きているというのに



未だに時々過ぎる「人生の終わりが早く来て欲しい」という願望。ネガティブに聞こえるかもしれませんが、私にとっては「この苦しみは永遠ではない」という意味で、物凄く救われる概念です。


終わりに自ら向かう気は有りません。そんな勇気も必要無い。

「いつか終わりが来るから、今をちゃんと、なるべく幸せに生きよう」
そう思ってはいるのです。
なので今は、自分や周りを傷つけようなど一切思ってはおりません。そこはご安心ください。


でも、それでも。
私のトラウマたちは時に私の人生をままならせてくれない。
私の情緒を揺さぶって来るのです。



初詣で撮った綺麗な青空



18歳の頃。
「首に縄をエイしようとしたんだ」と母に告白した時のことです。
母は「え〜?何やってんの」と少々驚きつつ
それだけ言って少し笑ってから、溜息を一つ吐いて。その後は無言でした。

「二度とそんな馬鹿な事やらないで」とか「生きてて欲しい」なんて
そんなドラマチックな事を私は、今まで家族から一度も言われた事がありません
「娘や妹が未遂をした」と分かった上でもです

高望みだったのかもしれません。映画の見すぎだったのかもしれない。母は何て言えばいいか分からなかっただけなのかもしれない。

けれどその時の事をふと思い出す度
「嗚呼、自分が死んだところで、心から悲しんでくれる人は居ないのかもしれない」と、虚しくて。結果的に私は本当に死のうとは思わなくなりました。

もしこれが母の目論見通りなら、確かに効果のある「無言」だったのかもしれません。
でも「いっそそのまま決行してくれた方が良かったのに」という雰囲気があった事も、正直払拭出来ませんでした。



それでも後日。青空がとても綺麗だった日。
廃人のようになって窓の外を眺めてるだけの私に母が後ろから抱きついて来て、泣かれた事もありました。「貴方が頑張ってるのは分かってる、分かってる、ごめんね、ごめんねぇ」と、咽び泣いてました。

私はその時、嬉しさより悲しさが勝ちました。
「じゃあなんで、生きててとか死なないでとは言ってくれないの?」と、私も静かに泣きました。
母も情緒が不安なのです。過干渉なのに無関心。
この話を聞いたカウンセリングの先生は絶句していました。


私は天気のいい日になる度に、その時の事を思い出してしまいます。
私にとって、家族より友人たちの存在が大切になった瞬間でもございました。
私はまだ納骨先が実家になるであろう今の状況からも脱却したい。





私は幸せを求めて、今も生きています。
ありがたいことに、友達にも恵まれてます。
それでも私は、欲深い人間なのです。

「もっと私の事を色んな人に知って欲しい」
「エッセイを通して、私の人生を垣間見て心が揺さぶられて欲しい」
「私という存在を忘れないでいて欲しい」

そう思うのです。
そうする事によって、昔の自分を救いたい。
少しでも報われたいのです、私は。

そして友人たちにも「貴方はすごい人を大切にしてくれたんだよ、ありがとう」という事を示したい。私を誇りに思って欲しい。誇りに思われたい。自慢の人間になりたい。
それにはある程度の「自己表現」「自己発信」が必要だと考えたのです。



⚠ただ一つ、注意点がございます

このエッセイは、私の人生に関して一切のアドバイスを求めておりません。
自己啓発はとうの昔に間に合っております。



私の精神状態をご心配された方はご安心ください、今も専門家の先生にはお世話になっております。

カウンセリングの先生でさえ、私の生い立ちには髪をぐしゃぐしゃにしながら聞いてくださっています。それほどに、やはり私が家族から向けられていた感情はかなり歪んでいたようです。
「専門家でさえこんな反応になってしまうのか」と、驚きと少しの報われを感じています。

私は所謂「サバイバー」の側面も持ってると、色んな方から言われました。


20歳の頃、念の為一人でこっそり発達障害の検査も受けたことがあるのですが、結果は違うらしく「貴方の生きづらさの原因は環境要因だろう」と言われました。それもまた、私を理解していく為の大きな一歩にはなりました。

「昔よりも自分の事が好きになった、受け入れられるようになった」

ただ、それだけではこのモヤモヤが晴れていないのは確かなのです。まだ報われきれていない。



ここでのエッセイは「如何に私が被害者で、如何に清い存在か」というのを、ただ主張したい訳でもございません。あくまで「脳内整理」「感情整理」が主軸なのです。
私は綺麗な人間でも無ければ、勿論聖人でもございません。

「主観的に体験した事実とそれに対する考察」を述べていきたい

そんなエッセイを書いてみたいのです。
それを読んだ世間の皆様の反応も見てみたい。
暗い話ばかりをしたい訳ではございませんが、どうしても仄暗い話ばかりになると思います。

筆が乗れば楽しかった時の話や、好きな映画・小説について語る回を作るのも良い刺激になりそうだと妄想はしております。
これからの人生には一応、ワクワクもたくさんあるのです。夢もあります。

私はいつか自分の本を出して、平屋で犬と一緒に暮らしたいのです


ちなみに現在の私は適応障害の身で、基本的には療養と静養に専念しています。
今回の発信に数ヶ月悩みましたが、寛解も目指して行く上でやはりこのエッセイは息抜きになるのではと思い立ちました。

話を聞いて頂けるだけでも良い。むしろそれだけで良いのです。話を聞いてくださる人、読んでくださる人は、多ければ多いほど嬉しいのです。
私はとてもお喋りなので。



長々と書いてしまいました。
本日は初投稿ですし、この辺りでお終いとさせて頂こうと思います。ここまで読んでくださった方はありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。

これからも吐き出したくなった事を吐き出したくなった時に、好きなように綴りたいと思います。
主に取り扱うテーマは「家族や人間関係での苦悩、その吐露と整理」になるかなと思います。
人間関係には大いに悩まされました。現実でも、インターネットでも。

ただ先述した通り、他にも気が向いたら「個人的に好きだった映画や小説、漫画の感想」など、好きなものについても綴ってみたい所存です。


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
いつか私の簡単なプロフィールなんかもまとめたいと考えております。
もっと皆さんに私の人生を知って欲しい。
せっかくのメメント盛モリな人生ですから。

「人はいつか死ぬ」
「故意でも事故でも、いつか終わりが来る」

だから今の内にたくさんお話をしなくっちゃ。
たくさん楽しい事もしなくちゃ。

好きなものを買って好きなものを食べる。
ゆっくり休む為の第一歩。
身体の緊張を取り除く為の前向きな活動。






これはいつか来る「死」を忘れない為の
生き残る為のマジなエッセイなのです








いつか誰かの良い影響力となれますように


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