「怒りの奥の一次感情を覗いたら、ビックリした話」
「なんでこんなにイライラするんやろ」と感じることはありませんか
人と関わっていると
些細なことでイラッとしたり
強く反応してしまったり
あとから考えると
「なんであんなに腹が立ったんやろ」
そう感じることがあります。
僕自身も
昔から
“怒り”という感情が
どこか苦手でした。
怒ってはいけないと思っていた
どちらかというと
怒るくらいなら我慢する。
空気を悪くしたくない。
なるべく穏やかでいたい。
そんな感覚の方が強かった。
だから
怒りが出てきたときも
「こんなことでイライラする自分はダメだ」
そんなふうに処理しようとしていました。
でも、ある時気づいた
ある人との関係の中で
自分の中に
強いイライラが出てきたことがありました。
相手の言い方。
態度。
距離感。
ずっとモヤモヤしていた。
でも
よく見ていくと
本当に苦しかったのは
“怒り”そのものではなかった。
怒りの奥にあったもの
少し静かに見ていったとき
その奥にあったのは
「分かってほしかった」
という感覚でした。
本当は
大切にされたかった。
ちゃんと見てほしかった。
否定されたくなかった。
でも
それが叶わない苦しさや寂しさを
直接感じる方が怖かった。
だから先に
怒りとして出ていた。
怒りは“二次感情”
心理の世界では
怒りは
一次感情を守るために出てくる
二次感情
と言われることがあります。
その奥には
悲しさ
寂しさ
怖さ
不安
傷つき
そういったものが隠れていることがある。
怒っている人が、本当に伝えたいこと
例えば
「なんで連絡くれへんの!」
という怒りの奥には
「大事にされてない気がして寂しかった」
があるかもしれない。
「もういい!」
という言葉の奥には
「本当は分かってほしかった」
があるかもしれない。
でも
その柔らかい感情は
見せるのが怖い。
だから
怒りの方が先に出る。
怒りを否定しなくてよかった
僕は昔
怒りをなくそうとしていました。
でも今は
怒りが悪いというより
「何を守ろうとしてるんやろ」
と見るようになった。
すると
怒りの見え方が変わっていきました。
一次感情に触れるのは、怖い
正直
怒りの奥を見るのは怖いです。
そこには
・ずっと我慢していたこと
・本当は寂しかったこと
・傷ついていたこと
そういうものがあるから。
でも
そこを見ないままだと
怒りだけが繰り返されていく。
自己理解が進むと変わること
自己理解が進むと
怒りが出たときに
「今、自分は何を感じてるんやろ」
と、少し立ち止まれるようになります。
すると
すぐに相手を責める前に
本当は寂しかったのかもしれない。
怖かったのかもしれない。
分かってほしかったのかもしれない。
そんなふうに
奥にある感情を見られるようになっていく。
怒りの奥には、大切にしたいものがある
怒りは
ただの攻撃性ではなく
「本当は大切にしたかったもの」
が隠れていることがあります。
だからこそ
怒りを否定するより
「この奥には何があるんやろ」
と見ていくこと。
そこから
自分との関係も
人との関係も
少しずつ変わっていくのだと思います。
最後に
怒りの奥を見たとき
僕が本当に驚いたのは
自分が思っていた以上に
寂しかったし
分かってほしかった
ということでした。
怒りは強く見えるけれど
その奥には
柔らかい感情が隠れていることがあります。
だからまずは
「怒ってる自分はダメ」
ではなく
「本当は何を感じてるんだろう」
と、少し見てあげること。
それが
自己理解の始まりなのかもしれません。
自分の感覚に触れ、選び直していく
正解を渡すのではなく、
自分で感じて選び直せるようになることを大切にしています。
この記事もそのきっかけになれば嬉しいです。
