「緊張をなくせ」は逆効果…全英女子オープンを制した桑木志帆が、手が震えたまま勝てたたった1つの理由
― 62研究・7418人が示す「挑戦の状態」のつくり方と、キャディの一言がしたこと ―
手の震えは止まりませんでした。それでも勝てたのは、やることを1つに絞ったからです。62研究7418人が示す「挑戦の状態」のつくり方と、今日から使える90秒の型を解説します。働く人にも指導者にも使えます
はじめに:あの日、震えていたのは負けた側ではありませんでした
2026年8月2日、イングランドのロイヤルリザム&セントアンズゴルフクラブ。女子ゴルフのメジャー最終戦、AIG全英女子オープンの最終ラウンドは、18番ホールのプレーオフにもつれこみました。
制したのは、日本ツアーから参戦していた23才の桑木志帆プロでした。海外メジャー初優勝。日本勢では7人目の女子メジャー覇者です。
その優勝会見で、本人が最初に口にしたのは、こういう言葉でした。
「緊張して手が震えていたんですけど、自分の18番のパットをしてから、プレーオフになるなと心の準備はしていました」
プレーオフの1ホール目については、こう振り返っています。
「うわっ、やっちまったー…と思いました。プレーオフはだいたいドライバーで“しくる”ので」
そして、そのときの体の状態について。
「体が固まっていました」
これは、勝った人の言葉です。負けた人の言葉ではありません。
私たちはふだん、勝負強い人のことを「緊張しない人」だと思いがちです。「本番に強い」というのは「本番でも平常心でいられる」という意味だと思っています。
でも、この日に起きたことは、その正反対でした。
手は震えたままでした。体は固まったままでした。それでも、次の1打だけは選べていた。
この記事は、そこで何が起きていたのかを、国内外の研究にあたりながらほどいていきます。読み終わるころには、「緊張をなくす」という目標が、いかに的外れで、いかに私たちの足を引っぱっているかが見えてくるはずです。
1. まず、事実を整理します
心の話に入る前に、何が起きたのかを短くまとめておきます。
大会は、AIG全英女子オープン。2026年7月30日から8月2日まで、イングランドのロイヤルリザム&セントアンズGC(6601ヤード・パー71)で行われました
桑木プロの4日間のスコアは、66・70・73・70。通算5アンダーでした
3日目に73を打って、通算6アンダーから4アンダーへ後退しています。最終日は首位と3打差の2位タイからのスタートでした
最終日は3バーディ2ボギーの70。通算5アンダーでホールアウトし、同スコアのエスター・ヘンゼライト選手(ドイツ)とのプレーオフに入りました
プレーオフは18番ホールを繰り返す方式。2ホール目で、相手がボギー、桑木プロがパー。ここで決着がつきました
注目してほしいのは、3日目に一度下げていることです。
うまくいきっぱなしの4日間ではありません。むしろ、いちばん落とした翌日に、いちばん大事な1打を打っています。
2. 「緊張の量」ではなく「緊張の扱い方」
ここで、日本で行われた古い研究をひとつ紹介させてください。
剣道の選手を2つのグループに分けて比べた調査があります。片方は日本代表を含む熟練者、もう片方は大学の剣道部員です。試合に対する不安と、心理的な特徴を、質問紙と面接で調べました。
結果は、こうでした。
2つのグループのあいだに、不安の大きさの差はなかったのです。
差があったのは、不安への対処のしかたでした。そして熟練者のグループでは、不安と「自分をコントロールする力」とのあいだに、強いつながりが見られました(International Journal of Psychology, 1996, 31(3-4), 219-322 に収録された抄録より)。
30年前の日本のデータが、今回の桑木プロの言葉とぴったり重なります。
強い人は、緊張していないのではありません。緊張の量は同じで、その扱い方がちがうのです。
海外の研究も、同じ方向を指しています。緊張したときに出てくる体の反応(心臓が速くなる、手が震える、口が渇く)を、「これは自分の力を邪魔するものだ」と受け取る人と、「これは自分が戦う準備をしている合図だ」と受け取る人がいます。前者と後者では、感じている体の反応そのものはよく似ているのに、成績が変わってくることが報告されています(Birrer & Morgan, 2010)。
つまり、こういうことです。
震えを止めようとした人 → 震えという「敵」が1つ増える
震えたまま次にやることを決めた人 → やることは1つのまま
3. 心のしくみ:「要求」と「手もち」のつり合い
ここからが、この記事の骨格です。
スポーツ心理学には、プレッシャー下での力の出方を説明する、シンプルで強力な考え方があります。**「挑戦の状態」と「おびやかしの状態」**という区別です。
仕組みは、天びんで説明できます。
片方の皿にのるのが「要求」。その場面のむずかしさです。メジャーの最終日、1打差、世界中が見ている、といったもの
もう片方の皿にのるのが「手もち」。自分が使えるものです。できるという感覚、決めた手順、助けてくれる人、これまでの経験
この「できるという感覚」は、心理学では自己効力感と呼ばれます。人は、その行動を自分にできると思えるかどうかで、実際にやるかどうか、どれだけ粘れるかが変わる——という考え方です(Bandura, 1977)。手もちの中でも、いちばん土台にあるものだと思ってください。
手もちが要求に追いついていると感じられているとき、人は「挑戦の状態」になります。 体は動くほうに向かい、注意はやるべきことに向かいます。
手もちが要求に足りないと感じられているとき、人は「おびやかしの状態」になります。 体は守るほうに向かい、注意は「失敗したらどうしよう」に向かいます。
この区別が本当に成績を分けるのかは、長いこと議論されてきました。2025年、その決着に近い研究が出ています。
2017年から2024年までに発表された62の研究、のべ7418人分のデータをまとめ直した分析です。結論は、「挑戦の状態にある人のほうが成績がよい」という、それまでの結論が再現された、というものでした(Hase et al., 2025)。
もっと現場に近い研究もあります。実際の競技会の直前に、熟練したゴルファー199人の状態を測った研究では、「要求 < 手もち」と評価していた選手のほうが、実際に良いスコアを出していました(Moore et al., 2013)。
プレッシャーの中でうまくいく状態は、研究の世界では「クラッチ」と呼ばれます。その研究をまとめた総説によれば、クラッチな状態に共通していたのは、「自分でやれている」という手ごたえの高さと、やるべきことへ意図的に注意を向けていることでした(Schweickle, Swann, Jackman, & Vella, 2021)。
ここで大事なのは、要求のほうは、たいてい下げられないということです。
メジャーの最終日を「ふつうの試合」に変えることはできません。プレーオフを「練習ラウンド」にすることもできません。
変えられるのは、手もちのほうだけです。
桑木プロがやっていたのは、要求を軽く見せることではなく、手もちを増やしてつり合わせることでした。
4. 信号機モデルで見ると、こうなります
私が指導の現場で使っている枠組みに、信号機モデルがあります。心と体の状態を、3つの色で見分けるものです。
🟢 みどり:おちついている。考えられる。人の話が入る
🟡 きいろ:緊張している。心臓が速い。手が震える。でも動ける
🔴 あか:かたまる。頭が真っ白になる。声が出ない
多くの人が誤解しているのは、🟡きいろを「悪い状態」だと思っていることです。
ちがいます。きいろは、戦える状態です。
100年以上前に行われた古典的な実験でも、緊張の度合いと成績の関係は、右肩上がりの直線ではなく、山の形になることが示されています。低すぎても、高すぎてもだめで、真ん中あたりがいちばん良い、という形です(Yerkes & Dodson, 1908)。
桑木プロの「手が震えていた」は、🟡きいろです。 プレーオフ1ホール目の「体が固まっていました」は、🔴あかに片足をかけた状態です。
そして、その🔴から🟡へ戻すきっかけをつくったのが、キャディの一言でした。
ここまでが、事実と土台の整理です。
ここから先では、**「では、あの一言はなぜ効いたのか」「自分の場面でどう再現するのか」**を扱います。
具体的には、
多くの人がハマっている3つの勘違い
プレーオフ1ホール目の数十秒の分解と、あの一言が心理学的に何をしたのか
🔴あかから🟡きいろに戻すソマリセット法(90秒の型と、10秒版)
自分が崩れかけているときに気づくための4つの合図
立場べつの5つのチェックリスト(働く人/選手/指導者/保護者/演奏する人)
21日間のプログラム
そのまま使える言いかえ20
よくある質問8問
を順に書いていきます。
5. 3つの勘違い
まず、ほどいておきたい思いこみが3つあります。ここをほどかないと、あとの手順が全部ずれます。
勘違い①「本番に強い人は、緊張していない」
もう見てきたとおり、これは事実と逆です。
剣道の熟練者と大学生のあいだに、不安の大きさの差はありませんでした。ちがったのは扱い方だけです。全英を制した選手の第一声は「手が震えていた」でした。
緊張がゼロの状態を目標にした瞬間、その目標は絶対に達成できないものになります。 そして達成できない目標をかかげている人は、本番のたびに「今日も失敗した」と感じることになります。
正しい目標はこうです。
🟡きいろのまま、決めたことを1つやる。
勘違い②「深呼吸をすれば落ち着く」
半分だけ正しく、半分は危険です。
呼吸を整えることには意味があります。ただ、「落ち着こう」と思って呼吸に集中した結果、かえって自分の体の内側を監視しはじめてしまうことがあります。心拍を数え、手の震えを確かめ、「まだ落ち着かない」と焦る。これは状態を悪くします。
プレッシャー下で成績が落ちる仕組みのひとつに、自分の動作を意識的に監視しはじめると、それまで自動でできていた動きが分解されてしまうという説明があります(Wadhwani et al., 2024 の整理による)。
呼吸は「落ち着くため」ではなく、**「体をひとつ動かして、注意を外に戻すため」**に使ってください。この違いは、あとの90秒の型のところで具体的に書きます。
勘違い③「大事な場面だから、いつもより気合いを入れる」
これがいちばん多く、いちばん高くつきます。
面白いデータがあります。アメリカのトップゴルファーを対象に、賞金ではない報酬(代表チームへの選出)がかかった試合での成績を分析した研究です。
結果は、その意味が重くなるほど、選手の成績が落ちていたというものでした。研究者たちはこれを「栄光の重荷(the burden of glory)」と呼んでいます(Kali et al., 2017)。
お金ではないから軽い、ではありません。むしろ「名誉」「代表」「みんなの期待」といった報酬のほうが、人を固まらせることがある。
つまり、「大事だと思うこと」自体が、要求の皿を重くしているのです。
桑木プロのコメントを、もう一度見てください。
「1ホール1ホール向き合って楽しもうと思いました」
意味を大きくする方向ではなく、目の前の1ホールに小さくする方向に、意識的に舵を切っています。
6. プレーオフ1ホール目の、数十秒を分解する
ここが、この記事の心臓部です。
18番ホール。プレーオフ1ホール目。順番に何が起きたかを並べます。
オナーで打ったティショットが、大きく右へ。深いラフに埋まる
「うわっ、やっちまったー…」。体が固まる
キャディの小田亨さんが声をかける
むりをせず、フェアウェイへ出すだけの2打目
残り108ヤードを、48度のウェッジで1メートル強へ
パーをセーブ。相手にプレッシャーが移る
キャディがかけた言葉は、報道によればこうでした。
「集中力を切らしたら負けだよ。3打目を乗せたら相手に絶対プレッシャーをかけられるから、とりあえずフェアウェイに出そう」
桑木プロは「その一言で落ち着きました」と語っています。
では、この一言は心理学的に何をしたのでしょうか。3つあります。
①「やること」が1つになった
固まっているとき、頭の中では複数のことが同時に走っています。「どうやってグリーンを狙うか」「ここでボギーを打ったら終わりだ」「さっきなぜ曲がったのか」「相手はフェアウェイにいる」。
この一言は、それを**「フェアウェイに出す」の1つだけ**に減らしました。
ここに、強い実験的な裏づけがあります。
イギリスの研究チームは、走り幅跳び、バスケットボールのシュート、ゴルフのパッティングを使った3つの実験で、2種類の言葉を比べました。
まとまった大きな言葉(例:「なめらかに」「押し出す」のように、動き全体をひとまとめにするもの)
体の部分を指示する言葉(例:「背中をそらす」のように、体の一部に注意を向けるもの)
結果は明確でした。緊張している熟練者では、まとまった大きな言葉を使ったほうが成績がよかったのです(Mullen & Hardy, 2010)。
「とりあえずフェアウェイに出そう」は、まさに前者です。手首の角度も、体重移動も、フェースの向きも指示していません。行き先だけを言っています。
②「守る言葉」ではなく「近づく言葉」だった
キャディは「ミスするな」とは言っていません。「刻め」でもありません。
言ったのは、**「3打目を乗せたら相手に絶対プレッシャーをかけられるから」**です。
これは、避ける方向ではなく、取りに行く方向の言い方です。
2026年に出たオーストラリアの学会の見解書は、緊張下での目標のたて方について、「できないことを避ける」形よりも「できることを取りに行く」形のほうが、挑戦の状態を生みやすいとまとめています(Schweickle et al., 2026)。
同じ「フェアウェイに出す」でも、
✗「ここで大叩きするな。安全に出せ」
○「3打目を寄せれば、相手のほうが苦しくなる。だから出そう」
では、体の向きが変わります。
③「自分ひとりで決めなくてよくなった」
3つめが、いちばん見落とされがちで、いちばん実用的です。
固まっている人にとって、「決めること」そのものが重いのです。決めた瞬間に責任が発生するからです。
キャディが先に決めてくれたことで、桑木プロがやることは「決める」から「やる」に変わりました。
ここにも、ゴルフを対象にした良質なデータがあります。
イギリスの高水準のゴルファー123人を対象に、競技の前に「支えてくれる人がいるという感覚(perceived support)」と「実際に受け取った支え(received support)」を測り、競技後に実際の打数を記録した研究があります。
結果は、両方とも打数を減らす方向に働いていました。さらに、ストレスが高いときほど、その支えが成績の落ちこみを食い止める働き(緩衝効果)を示していました(Freeman & Rees, 2008)。
支えてくれる人は、気休めではありません。スコアという数字に出ます。
そして重要なのは、この研究が「いるという感覚」と「実際に受け取ったもの」を区別している点です。
いるという感覚は、ふだんから効きます
実際に受け取った言葉は、ストレスが高い場面でとくに効きます
つまり、日ごろから「この人がいる」と思える関係をつくっておき、本番では実際に言葉をもらう。この2段構えが、いちばん強いということです。
7. 崩れかけているときの、4つの合図
プレッシャー下で力を出せた選手たちへの聞き取り調査を、29本ぶん集めてまとめ直した分析があります。そこで共通して挙がっていたのは、できるという感覚、場面の受け取り方、粘り強さ、そして注意をやるべきことに配りきる力でした(Hufton et al., 2024)。
裏を返せば、崩れるときは注意がずれます。自分が🟡から🔴に落ちかけているとき、それに気づけないと手の打ちようがありません。
現場で私が見ている合図は、次の4つです。
合図①:体が先にかたまる
肩が上がる。あごに力が入る。呼吸が浅く、速くなる。
言葉より先に、体が変わります。 「まだ大丈夫」と思っていても、肩を触ると板のようになっていることがあります。
桑木プロの「体が固まっていました」は、まさにこれです。
合図②:やることが増えている
🟢のときは、やることが1つです。 🔴に近づくほど、頭の中のリストが増えます。
「もっと丁寧に」「でも思い切って」「前回のミスを繰り返さない」「相手より先に」——4つも5つも同時に走りはじめたら、それは危険信号です。
合図③:時間の感覚がずれる
急に速くなるか、急に遅くなるかのどちらかです。
ルーティンを飛ばして、いつもより早く打ってしまう
あるいは、いつまでも構えが決まらず、動き出せない
ふだんの自分の間(ま)から外れたら、それが合図です。
合図④:終わったことが再生され続ける
さっきのミス、前の試合の結末、言われた一言。
過去の場面が頭の中で再生されはじめたら、注意は「いま」から離れています。
8. ソマリセット法:🔴から🟡に戻す90秒の型
合図に気づいたら、次は戻す作業です。
ここで私が使っているのが、ソマリセット法です。考え方を変えようとするのではなく、体を先に動かして、そのあとで頭が追いつくのを待つのが特徴です。
順番が大事です。整える → 見直す。逆にすると、うまくいきません。
90秒の型(4ステップ)
① 抜く(20秒) 肩を耳に近づけるように、いったん思いきり上げます。3秒止めて、いっきに落とします。これを2回。
上げてから落とすのがポイントです。「力を抜こう」と思って抜ける人は、あまりいません。いったん入れたものは、抜けます。
② ほどく(20秒) 息を、吸うより長く吐きます。数えるなら、4つ吸って、8つ吐く。
このとき、心臓の音や震えを確かめないでください。確かめはじめると、勘違い②のわなにはまります。吐く息の音だけを聞きます。
③ 入れる(25秒) 足の裏に体重をかけます。かかとから、指のつけ根へ。ゆっくり2往復。
地面を感じることは、注意を体の内側から外側に移す、いちばん簡単な方法です。
④ 開く(25秒) 視線を上げて、いちばん遠くにあるものを見ます。木、建物、空。
そのあと、視野の端を意識したまま、まっすぐ前を見ます。固まっているとき、人の視野はせまくなっています。視野を広げると、体もゆるみます。
10秒版(本番用)
90秒の余裕がない場面もあります。ゴルフなら、次のショットまで。仕事なら、会議室のドアの前。
そのときは、この順で。
息を長く吐く(4秒)
足の裏を感じる(3秒)
遠くを見る(3秒)
そのあとで、自分の一言を口に出します。
順番を守ってください。整えないまま言葉を言っても、その言葉は入っていきません。
9. 「余計なことを、しない」という戦い方
もうひとつ、この優勝から学べる大きなことがあります。
解説にあたった上田桃子さんが、最終日の桑木プロについてこう語っています。
「無理をしない、余計なことをしない、無駄なエネルギーを使わない」プレースタイルのままでした。(正規のホールで)前の組を待っている時に素振りを増やすわけでもなかった。打つ番が回ってきた時に、一気に集中できている様子がうかがえました。
そして、プレーオフが決まるまでの待ち時間にも、練習をしませんでした。
宮里藍さんは、その待ち時間について「クラブハウスリーダーでホールアウトしてから、長く待たされる時間がありました。ディスアドバンテージがあると思いました」と語っています。
ここには、大事な考え方が入っています。
集中は、無限にわいてくるものではありません。使える量が決まっている資源です。
ゴルフの1ラウンドは、4時間から5時間かかります。そのうち、実際にボールを打っている時間は、ぜんぶ合わせても数分です。ほとんどが、打っていない時間です。
そこで何をしているかが、最後の1打の質を決めます。
待ち時間に素振りを増やす → 減る
待ち時間に前のミスを再生する → 減る
待ち時間に「勝ったらどうなるか」を考える → 減る
待ち時間に何もしない → 残る
これは競技だけの話ではありません。
大事なプレゼンの前に、資料を何十回も見直す
本番前の楽屋で、難所を延々とさらう
面接の待合室で、想定問答を最後まで暗唱しようとする
いずれも、本番に持っていきたいものを、待合室で使い切ってしまう行為です。
準備は前日までに終わらせて、当日は減らす。 これが、待ち時間の設計です。
なお、「減らす」といっても、打つ前の手順(ルーティン)まで削らないでください。手順を持っていることが緊張下の成績を助けることは、多くの研究をまとめた分析で確かめられており、しかもその効果は年令・性別・うまさに関係なく、また手順が1つだけでも複数の組み合わせでも見られたと報告されています(Rupprecht, Tran, & Gröpel, 2021)。
減らすのは「余計なこと」であって、「いつものこと」ではありません。
10. ただし「これさえやれば勝てる」ではありません
ここで、正直に書いておかなければならないことがあります。
1つの方法にすがると、たいてい裏切られます。
スコットランドの代表クラスの若いゴルファー5人に、28日間、毎日「今日どんなストレスがあり、どう対処し、それは効いたか」を書いてもらった研究があります。
集まったのは、効いた対処法が56件、効かなかった対処法が23件。
そして、この研究のいちばん重要な発見は、これでした。
同じ対処法が、同じストレスに対して、効いたと評価されることも、効かなかったと評価されることもあったのです(Nicholls, 2007)。
たとえば、ある選手は「相手を意識しないようにする」という方法を使いました。ある日は「自分のプレーに集中できた」と効いたと答え、別の日は「かえって相手のことばかり考えてしまった」と答えています。
同じ研究者たちは、イングランドの代表クラスの若いゴルファー10人にも面接を行い、ストレスの評価から結果までのあいだに、複数の感情が次々に生まれることを確かめています(Nicholls, Hemmings, & Clough, 2010)。
この研究の結論は、こうです。
選手には、複数のやり方を教えるべきである。そして、組み合わせて使わせるべきである。
だから、この記事の内容も「これだけやってください」ではありません。
効かなかった日があっても、その方法が間違っているとは限りません
同じ場面でも、日によって効く方法は変わります
手もちは、多いほど強いのです
2026年の学会の見解書も、同じことを別の言い方で書いています。打つ前の手順、見る所を決めるやり方、心の技の練習、受け入れる練習——これら4つの柱を挙げたうえで、どれを選ぶかは競技や場面によって変える必要があると明記しています。たとえば「見る所を決める」やり方は、自分のタイミングで打つ競技には向いていますが、相手に合わせて動く競技では使いにくい、とも指摘されています(Schweickle et al., 2026)。
もうひとつ、日本のデータから。
日本の学生スイマーを対象に、レース直前の行動(打つ前の手順にあたるもの)を調べた研究では、選手が「自分はこうしている」と思っている手順と、実際にビデオに映っていた手順が、必ずしも一致していなかったことが報告されています(International Journal of Psychology, 2016, 51(S1), 1107-1116 に収録された抄録より)。
自分の手順は、思っているほど自分で把握できていません。 だからこそ、書き出す価値があります。
11. 立場べつ・5つのチェックリスト
ここからは、自分の立場で使える形に落とします。当てはまるものが3つ以上あれば、要注意です。
① 働く人(プレゼン・商談・面接)
[ ] 本番前日の夜まで、資料をいじっている
[ ] 「緊張しないようにしよう」と自分に言い聞かせている
[ ] 想定問答が10個以上あり、どれから答えるか決めていない
[ ] 当日の朝、いつもと違う準備を足している
[ ] うまくいかなかった過去のプレゼンを、直前に思い出している
処方箋:本番の30分前から、新しい情報を足すのをやめてください。そして「今日いちばん伝えたいこと」を1つだけ、紙に書いて持ちます。「フェアウェイに出そう」にあたるものが、あなたにも必要です。
② 選手(試合・大会)
[ ] 「絶対に勝つ」「絶対にミスしない」を目標にしている
[ ] 試合の待ち時間に、素振りやフォームの確認を増やしている
[ ] 苦しい場面で、体のどこを動かすかを考えている
[ ] 声をかけてほしい人と、かけてほしい言葉を決めていない
[ ] 直前の試合の失敗を、まだ再生している
処方箋:試合の前に、「苦しくなったら、これをやる」を1つだけ決めてください。そして、それを言ってくれる人を決めて、頼んでおいてください。支えは、待っていても届きません。
③ 指導者(コーチ・監督・上司)
[ ] 苦しい場面で、選手に2つ以上のことを同時に指示している
[ ] 「落ち着け」「緊張するな」と声をかけている
[ ] 体の部分(ひじ、腰、手首)を指示することが多い
[ ] 「ミスするな」という形の言い方が多い
[ ] 選手が固まったとき、決めさせようとしている
処方箋:苦しい場面で出す指示は、1つだけ・行き先だけ・取りに行く形で。これが3原則です。
そして、固まっている選手には「決めさせない」でください。決めるのはこちらがやって、相手には「やる」だけを残す。これが、あのキャディの一言がしたことです。
④ 保護者
[ ] 試合の前に「がんばれ」「勝ってこい」以外の言葉が思いつかない
[ ] 試合の帰りの車で、まず内容の話をしてしまう
[ ] 子どもが固まっているとき、理由を聞こうとしている
[ ] 大会の重要さを、本人より熱心に語っている
[ ] うまくいかなかった日に、次の対策をその場で立てようとしている
処方箋:「栄光の重荷」の研究を思い出してください。意味を大きくすることは、応援ではありません。要求の皿に重りを足す行為です。
試合前にかける言葉は、「見ているのが楽しみ」でじゅうぶんです。
⑤ 演奏する人(発表会・コンクール・本番)
[ ] 直前まで、難所だけを繰り返しさらっている
[ ] 舞台に出る前、指や手首の動きを確認している
[ ] 「間違えないように」と考えて舞台に出ている
[ ] 待ち時間に、他の人の演奏と自分を比べている
[ ] 出だしの音を、どう出したいか決めていない
処方箋:舞台に出る前の10秒で、「最初の一音をどう響かせたいか」だけを決めてください。指の形ではありません。音のほうです。
これも「まとまった大きな言葉」の応用です。ピアノでも、剣道でも、ゴルフでも、原理は同じです。
12. 21日間のプログラム
手もちは、本番の日には増やせません。前もって貯めるものです。
第1週:気づく(1〜7日目)
1日目:自分の🟡と🔴を書き出す。「こうなったら🟡」「こうなったら🔴」を、体の変化で3つずつ
2日目:4つの合図のうち、自分に出やすいものはどれかを決める
3日目:ふだんの練習で、🟡になった回数を数える
4日目:ソマリセット法90秒を、落ち着いた場所で1回やってみる
5日目:90秒の型を、少しきつい場面(軽い緊張)でやってみる
6日目:10秒版をつくる。自分に合う順番に入れかえてよい
7日目:1週間をふり返る。効いた場面と、効かなかった場面を書く
第2週:一言をつくる(8〜14日目)
8日目:自分の競技・仕事で、いちばん苦しい場面を1つ書き出す
9日目:その場面でやることを、1つだけに決める。このとき「もし◯◯になったら、△△をする」という形で書いてください。あらかじめこの形で決めておくと、実際にやれる確率が上がることが、多くの研究をまとめた分析で示されています(Gollwitzer & Sheeran, 2006)
10日目:それを、10文字以内の言葉にする(例:「まっすぐ出す」「大きく吐く」「まず1本」)
11日目:その言葉が「避ける形」になっていないか点検する。なっていたら「取りに行く形」に直す
12日目:練習の中で、その一言を10回使う。自分にかける言葉が成績を高めることは、スポーツ場面の研究をまとめた分析でも確かめられています(Hatzigeorgiadis, Zourbanos, Galanis, & Theodorakis, 2011)
13日目:使ってみて、言いにくかったところを直す
14日目:最終版を紙に書いて、道具入れかポケットに入れる
第3週:人と待ち時間を設計する(15〜21日目)
15日目:苦しい場面で声をかけてほしい人を、1人決める
16日目:その人に、どんな言葉をかけてほしいかを具体的に伝える(ここを飛ばす人が多いです)
17日目:待ち時間にやらないことを、3つ書き出す
18日目:待ち時間にやることを、1つだけ決める
19日目:本番と同じ長さの待ち時間を、練習でつくってみる
20日目:本番の前日にやることを決めて、当日にやることを減らす
21日目:全体を1枚にまとめる。🟡の合図/10秒版/自分の一言/頼む人/待ち時間の型
13. そのまま使える言いかえ20
左が、つい言ってしまう言葉。右が、置きかえた言葉です。
「緊張するな」 → 「その震え、準備できてる合図です」
「落ち着け」 → 「まず息を長く吐きましょう」
「ミスするな」 → 「次の1つだけ、決めましょう」
「集中しろ」 → 「どこを見るか、決めましょう」
「腕をもっと使え」 → 「まっすぐ運ぼう」
「ひざを曲げて、腰を回して」 → 「なめらかに1回」
「安全にいけ」 → 「ここを取ればこっちが有利になる」
「絶対に勝て」 → 「1つずつ向き合おう」
「大事な試合だぞ」 → 「いつもの1本を、ここでも」
「どうしてミスしたんだ」 → 「次に何を1つやる?」
「もっと気合いを入れろ」 → 「肩を1回上げて、落とそう」
「考えすぎるな」 → 「遠くを見よう」
「早く決めろ」 → 「決めるのはこっちがやる。やることだけやろう」
「またやったな」 → 「これで場面がひとつ増えたね」
「本番に弱いな」 → 「本番で使う手順を、まだつくっていないだけです」
「メンタルが弱い」 → 「手もちが足りていないだけです」
「がんばれ」 → 「見ているのが楽しみ」
「勝ってこい」 → 「いってらっしゃい」
「反省しよう」 → 「次に使えることを1つ拾おう」
「もう一回やり直せ」 → 「今のを1つだけ変えて、もう一回」
14. よくある質問 8問
Q1. 一言を決めても、本番で忘れてしまいます
順番が逆になっている可能性が高いです。整えてから、言葉です。 息を長く吐く、足の裏を感じる、遠くを見る。この3つを先にやってから言うと、入ります。それでも忘れるなら、紙に書いて見えるところに置いてください。覚えている必要はありません。
Q2. 深呼吸をすると、かえって苦しくなります
吸うほうに力が入っているサインです。吸うことは考えず、吐くことだけを長くしてください。 吐き切れば、吸うのは勝手に起きます。それでも苦しければ、呼吸はやめて、足の裏と視線だけでかまいません。
Q3. 支えてくれる人がいません
「いる」という感覚が効くという研究結果を思い出してください。それは、その場にいる必要がないということでもあります。過去にかけてもらった言葉を1つ、書いて持っていくだけでも働きます。
そして、頼む相手は1人でじゅうぶんです。多くなくていいのです。
Q4. コーチに「こう言ってほしい」と頼むのは、わがままでしょうか
まったく逆です。指導する側にとって、いちばん助かる情報です。
苦しい場面で何を言えば届くのかは、外からはわかりません。先に教えてもらえれば、迷わずに済みます。「◯◯な場面になったら、△△と言ってください」と、具体的に伝えてください。
Q5. 21日やってみましたが、変わった気がしません
3つ確認してください。
一言が10文字を超えていませんか(長いと本番で使えません)
一言が「〜するな」の形になっていませんか
待ち時間の設計を飛ばしていませんか
そして、Nicholls(2007)の結果を思い出してください。同じ方法が、日によって効いたり効かなかったりするのは、正常です。 効かなかった日をもって、方法が間違っていると判断しないでください。
Q6. 子どもが試合で固まってしまいます。どう声をかければいいですか
理由を聞かないでください。固まっているときに「どうした?」と聞かれるのは、いちばん重い質問です。
やることを1つ、こちらから渡してください。 「次の1本だけ」「まず深く吐こう」。決めるのは大人がやって、子どもには「やる」だけを残します。
Q7. 「楽しむ」と言われても、楽しめません
「楽しむ」は、気分の話ではありません。目標の置き場所の話です。
「勝つ」を目標に置くと、それは自分ではコントロールできません。「1ホール1ホール向き合う」を目標に置くと、それはコントロールできます。
楽しめないなら、目標を小さくしてください。 それだけで、体の向きが変わります。
Q8. これは仕事でも使えますか
使えます。プレッシャーの研究は、もともとスポーツだけのものではありません。2026年の見解書も、ここで扱った枠組みが医療や教育を含む「大事な場面での実行」全般に関わることを前提に書かれています。
商談も、面接も、発表会も、構造は同じです。要求は下げられない。手もちを増やす。やることを1つにする。 これだけです。
15. わかっていないこと(正直に書きます)
信頼できる記事にするために、限界も書いておきます。
挑戦の状態にすれば必ず勝てる、という研究結果ではありません。 62研究の分析でも、効果は「ある」ことが確かめられた、というレベルです。効果の大きさは中くらいか、それ以下のものも含まれます
「まとまった大きな言葉」の実験は、熟練者を対象にしたものです。 技術がまだ固まっていない初心者では、逆に体の部分を指示したほうがよい場面があることも報告されています
支えの研究は、男性のゴルファーを対象にしたものです。 女性や他の競技にそのまま当てはまるかは、慎重に見る必要があります
打つ前の手順の効果は、自分のタイミングで打つ競技でよく調べられています。 相手に合わせて動く競技では、まだ検証が足りません(Schweickle et al., 2026)
この記事で紹介した本人・関係者の言葉は、優勝直後の会見や解説に基づくものです。 心理学の測定を行ったものではありません
そのうえで、私が確信を持って言えるのは、次の一点です。
「緊張をなくす」を目標にしている限り、その目標は達成できません。 そして達成できない目標は、本番のたびに自分を削ります。
16. まとめ
全英女子オープンを制した選手の第一声は、「手が震えていた」でした
剣道の日本のデータでも、熟練者と学生のあいだに不安の大きさの差はありませんでした。ちがったのは扱い方です
プレッシャー下の力の出方は、「要求」と「手もち」のつり合いで決まります。62研究7418人分の分析でも、挑戦の状態のほうが成績はよくなりました
要求は下げられません。増やせるのは手もちだけです
🟡きいろは、戦える状態です。消す必要はありません
苦しい場面で効く言葉は、1つだけ・行き先だけ・取りに行く形。3つの実験がこれを支持しています
支えてくれる人は気休めではなく、打数という数字に出ます。日ごろの関係と、本番の言葉、その両方が要ります
集中は使える量が決まっています。待ち時間に減らさないことが、最後の1打を守ります
1つの方法にすがらないでください。同じ方法が日によって効いたり効かなかったりするのは、正常です
震えを止めた選手が勝ったのではありません。
震えたまま、やることを1つに絞れた選手が勝ちました。
あなたの「フェアウェイに出そう」は、何ですか。
それを10文字以内で決めて、紙に書いて、ポケットに入れてください。それが、次の本番でのあなたの手もちになります。
参考文献
(著者名のアルファベット順)
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報道の出典
日本経済新聞「ゴルフ桑木志帆、全英女子オープン優勝 プレーオフ制す」2026年8月3日
ゴルフダイジェスト・オンライン「桑木志帆がメジャー初優勝 日本勢2年連続『全英女子』制覇」2026年8月3日
ゴルフダイジェスト・オンライン「『マジか…』『しくった』絶体絶命だった桑木志帆の完璧な一打と“涙なき”全英制覇」2026年8月3日
ゴルフダイジェスト・オンライン「『最後まで楽しめるメンタル』『自分だったらあんなに…』プレーオフ直前に見た桑木志帆の強さ/解説・宮里藍&上田桃子」2026年8月3日
ゴルフのニュース「ブッシュに入っても動じなかった理由 桑木志帆を救った“シンプルな一言”」2026年8月3日
ALBA Net「メジャー優勝を手繰り寄せた“窮地からの一打”」2026年8月3日
日本女子プロゴルフ協会「快挙!桑木志帆がPO制しメジャー初V ― AIG全英女子オープン最終日」2026年8月3日
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