「深呼吸して落ち着け」は逆効果…全英女子オープンを制した日本人3人が、"手が震えたまま"優勝できた本当の理由
―― 一流は緊張を「消して」いません。「向き」だけを変えています ――
全英女子オープンを制した日本人3人は、緊張を消していません。手が震えたまま、決めることを1つに絞り、ひとりで決めずに勝ちました。緊張の量ではなく向きを変える技術を、研究と90秒の型で解説します。
「手が震えていたんですけど」
2026年8月2日、イングランドのロイヤルリザム&セントアンズGC。桑木志帆選手がプレーオフを制し、全英女子オープンを制覇しました。日本勢としては2年連続、7人目8度目の女子メジャー制覇です。
その優勝会見で、彼女はこう語っています。
「緊張して手が震えていたんですけど、自分の18番のパットをしてからプレーオフになるなと心の準備はしていました」
ここに、この記事のすべてが入っています。
震えは、止まっていませんでした。
止まっていないまま、彼女は勝ったのです。
3人に共通していた、たった1つのこと
日本人が全英女子オープンを制したのは3度あります。
渋野日向子選手(2019年・ウォバーンGC/イングランド)
メジャー初出場での初優勝。当時20才。
最終日は2打差の単独首位発進。3番でダブルボギーを打ちながら、そこから盛り返して68。通算18アンダー。
18番、約5メートルのバーディパットを沈めて1打差の優勝。
樋口久子さん以来42年ぶり、日本勢2人目のメジャー制覇でした。
山下美夢有選手(2025年・ロイヤルポースコールGC/ウェールズ)
1打差の首位から出て、3バーディ1ボギーの70。通算11アンダー。
2位タイに勝みなみ選手、4位タイに竹田麗央選手。
桑木志帆選手(2026年・ロイヤルリザム&セントアンズGC/イングランド)
首位と3打差の2位タイから出て、3バーディ2ボギーの70。通算5アンダー。
E.ヘンゼライト選手(ドイツ)とのプレーオフ2ホール目を制しての優勝。
23才・岡山市出身。海外メジャー8度目の出場で、アメリカツアー初優勝。
3人とも、風の強いリンクスコースで、最終日に、最後まで競り合って勝っています。
そして3人とも――緊張していました。
これは推測ではありません。本人たちが、そう言っているのです。
山下選手(2025年・公式コメントより)
「第3ラウンドは特に緊張していて…終わってから父と修正して、それが今日につながった」
「今日は少し緊張もありましたけど、自信を持ってできました」
桑木選手(2026年・優勝会見より)
「緊張して手が震えていたんですけど」
「(プレーオフ1ホール目は)体が固まってしまって出すだけの状況に」
つまり、こういうことです。
勝った人たちも、負けた人たちと同じくらい緊張していました。ちがったのは、緊張の「量」ではなく、緊張の「向き」でした。
「緊張を消せ」というアドバイスが外れている理由
日本の研究に、とても示唆的なものがあります。
矢野・吉川・里見(1996)は、剣道の一流選手(日本代表クラスを含む)と、大学の剣道選手を比較しました。結果は、こうです。
試合前の不安の「量」に、両群で有意な差はありませんでした。
差があったのは、不安への「対処の仕方」でした。
一流群では、不安と「自己コントロールの能力」とのあいだに強い結びつきが見られました。
(Yano, Kikkawa, & Satomi, 1996)
強い人ほど緊張しない、のではありません。強い人は、緊張したままで動く手順を持っている、ということです。
だから「落ち着け」「深呼吸しろ」は、しばしば的外れになります。落ち着くことが目的になった瞬間、選手は「まだ落ち着いていない自分」を探し始めます。探せば探すほど、体の反応に注意が向きます。これがいちばん危ないパターンです。
スポーツ心理学が突き止めた「2通りの見え方」
ここからが、この記事の心臓部です。
同じ場面が、人によって2通りに見えることが分かっています。
挑戦(チャレンジ) … 自分が持っているもの ≧ 求められていること
脅威(きょうい) … 自分が持っているもの < 求められていること
これは「気の持ちよう」というあいまいな話ではありません。体の反応が、はっきり別物になります。
挑戦のとき … 心臓から送り出される血の量が増え、血管がゆるみます。エネルギーが手足と頭に届きます。
脅威のとき … 血管がしまり、血の巡りが悪くなります。ドキドキはするのに、力が届きません。
(Moore, Vine, Wilson, & Freeman, 2012/Seery, Weisbuch, Hetenyi, & Blascovich, 2010)
大事なのは、ドキドキの大きさが同じでも、この2つは別物だということです。
199人のゴルファーが証明したこと
この記事でいちばん重要な研究を紹介します。
Moore, Wilson, Vine, Coussens, & Freeman(2013)は、実際の競技会の直前に、熟練ゴルファー 199名 の評価を測りました。
結果です。
「自分の持っているもののほうが多い」と評価した選手のほうが、実際に良いスコアで回りました。
使ったのは特別な機械ではなく、直前の短い質問だけでした。
つまり、スタート前の数分間の「見え方」が、そのラウンドの結果と結びついていたということです。
さらに、コースの上でも同じでした
インドの一流ゴルファー107名を対象にした研究では、大会の1週間前・前夜・1時間前という3つの時点で心の状態を測っています。
その結果、「〜であるべきだ」という思いこみの強さの変化が、脅威の評価や不安の受け取り方の変化を予測していました(Chadha, Turner, & Slater, 2023)。
サッカーの現場でも、試合前の体の反応が挑戦型だった選手のほうが、その試合の評価が高かったことが報告されています(Dixon, Jones, & Turner, 2019)。
信号機モデル ―― 「きいろ」は戦える状態です
私は現場で、この2通りの見え方を 信号機モデル として使っています。
🟢 みどり … 落ち着いています。練習向き。ただし本番の力は出しきれません。
🟡 きいろ … ドキドキします。手が少し震えます。視野がやや狭くなります。本番で力が出る状態です。
🔴 あか … 体が固まります。息が浅く速くなります。頭が真っ白になります。手順が消えます。
ここで、いちばん多い間ちがいを言います。
多くの人が、🟡(戦える状態)を🔴(危ない状態)だと読みまちがえています。
そして「あ、まずい」と思った瞬間に、本当に🔴へ落ちていきます。
桑木選手の「手が震えていたんですけど」は、🟡です。 「体が固まってしまって出すだけの状況に」は、🔴です。
同じラウンドの中で、🟡と🔴の両方が起きています。
そして彼女は、🔴から戻りました。どうやって戻ったのか――ここから先で、その1分間を分解していきます。
この先で扱うこと
ここから先では、現場で実際に使っている手順を、すべて公開します。
緊張についての 3つの勘違い(これを持ったままだと、何をやっても効きません)
🔴に落ちる直前に必ず出る 4つの合図
🔴から🟡へ戻す ソマリセット法90秒の型と、本番用の10秒版
桑木選手が🔴から戻った1分間の 完全分解
渋野選手の18番の「軽口」が、なぜ効いたのか
山下選手の「コツコツと地道に」が、心理学的に何を意味するのか
自分の持ちものを増やす 4つの道具
「効く人」と「効かない人」がいる ―― 研究が示す限界と注意点
5つの立場べつ チェックリスト(働く人/競技をする人/指導する立場/見守る家族/人前で演奏や発表をする人)
21日間プログラム
そのまま使える 言いかえ20
よくある質問への回答
【1】緊張についての「3つの勘違い」
勘違い①:「一流は緊張していない」
先ほどの剣道の研究がそのまま反証になります。不安の量に差はありませんでした(Yano et al., 1996)。
さらに言えば、緊張がゼロの状態は、本番向きではありません。
ヤーキーズとドッドソンが1908年に示した「逆U字」の関係は、いまも生きています。緊張が低すぎても高すぎても成績は落ち、真ん中あたりでいちばん良くなる、という形です(Yerkes & Dodson, 1908)。
しかも、興味深いことが分かっています。サッカーの研究では、試合前に体の反応がほとんど出なかった選手(反応が鈍い群)が、いちばん成績が悪かったのです。挑戦型でも脅威型でもなく、「無反応」がいちばん危なかった、ということです(Dixon et al., 2019)。
「緊張していない」は、良い状態ではありません。「関わっていない」状態です。
勘違い②:「深呼吸すれば正解」
呼吸は使えます。ただし、それは非常口であって、主食ではありません。
深呼吸を「落ち着くため」に使うと、こうなります。
深呼吸をします
まだドキドキしています
「効いていない」と思います
もっと注意が体に向きます
🔴が深くなります
呼吸は「落ち着くため」に使うのではありません。**「注意を体の外へ戻すため」**に使います。目的がちがうと、同じ動作でも結果が逆になります。
勘違い③:「気持ちを強く持てば変わる」
変わりません。変わるのは、持ちものを数えたときです。
挑戦か脅威かは、「求められていること」と「自分が持っているもの」の引き算で決まります。気合いを入れても、引き算の答えは変わりません。
変えられるのは、次の2つだけです。
求められていることを、小さく言い直す(18ホールを勝つ → この1打をフェアウェイに置く)
自分が持っているものを、口に出して数える
「気持ちを強く持つ」ではなく、「持ちものを数える」。これが、この記事でいちばん実用的な一文です。
【2】🔴に落ちる直前に出る「4つの合図」
🔴は、いきなり来ません。必ず前ぶれがあります。この4つを覚えておくと、落ちる前に気づけます。
合図①:息が「浅く・速く・一定」になります
ふつうの呼吸には、ゆらぎがあります。深い息と浅い息が混ざります。
🔴に近づくと、このゆらぎが消えて、浅い息だけが機械のように続きます。**「息が乱れる」のではなく「息がそろいすぎる」**のが合図です。
合図②:見ている場所が「点」になります
視野が狭くなります。ボールだけ、相手の手元だけ、画面の1点だけ。
まわりの情報が入ってこなくなるので、風も、傾斜も、相手の位置も読めなくなります。
合図③:「もし〜だったら」が止まらなくなります
「もしここで外したら」
「もしまたボギーが続いたら」
「もし笑われたら」
未来の悪い場面が、頭の中で勝手に再生され続けます。これは考えているのではなく、再生されている状態です。
合図④:やることが「結果」にすり替わります
さっきまで「フェアウェイの左側に置く」だったものが、いつのまにか「優勝する」「ミスしない」に変わっています。
やることが結果になった瞬間、体は動き方が分からなくなります。
【3】ソマリセット法 ―― 90秒の型
🔴から🟡へ戻すための、私が使っている手順です。名前のとおり、体(ソマ)から先にリセットします。
順番が命です。気持ちから変えようとしても、変わりません。体 → 注意 → 言葉、の順です。
ステップ1:長く吐きます(30秒)
吸う時間より、吐く時間を長くします。
数を数えるなら、吸って4、吐いて8です。数えられないほど焦っているときは、「吐くほうを長く」とだけ思ってください。
目安は1分間に6回くらいのゆっくりした呼吸です。
注意:たくさん吸おうとしないでください。吸いすぎると、かえって手足がしびれたり、頭がふわっとしたりします。
ステップ2:足の裏に注意を置きます(30秒)
靴の中の、足の裏の感覚を探します。
「かかとに重みがあるか」「つま先が地面に触れているか」を、言葉にして確かめます。
これがいちばん大事なステップです。注意は、胸やのど(不安を感じる場所)から離してあげないと、勝手に戻ってきます。足の裏は、いちばん遠い場所です。
ステップ3:視野を広げます(30秒)
目線を上げて、いちばん遠くにあるものを1つ見ます。木でも、空でも、看板でもかまいません。
そのあと、視線を動かさずに、視野の左右のはしに何があるかを意識します。
合図②で狭くなった視野を、意図的に戻す作業です。
そして、やることを1つだけ決めます
90秒の最後に、必ずこれをやります。
「次にやること」を、動作の言葉で1つだけ言います。
○「フェアウェイの左に出します」「ゆっくり素振りを1回します」
×「落ち着きます」「ミスしません」「勝ちます」
気持ちを整えてから動くのではありません。動くことを決めると、気持ちがついてきます。
【4】本番用「10秒版」
90秒も取れない場面があります。打つ直前、サーブの前、名前を呼ばれた直後。そのための短縮版です。
0〜4秒:長く吐きます(1回だけ)
5〜7秒:かかとに体重を感じます
8〜10秒:やることを1つ、声に出さずに言います
10秒版は、90秒の型を体が覚えたあとにしか効きません。 練習で90秒をやりこんでおくと、10秒がスイッチとして働くようになります。ここを飛ばさないでください。
【5】桑木選手が🔴から戻った「1分間」の完全分解
2026年のプレーオフ1ホール目。彼女はこう振り返っています。
「(プレーオフ1ホール目は)体が固まってしまって出すだけの状況に。キャディさんが『3打目を寄せたら相手にプレッシャーをかけられるから、とりあえずフェアウェイに出そう』と言ってくれた言葉で冷静になれた」
この短いコメントの中に、心理学の要素が4つ入っています。順番に見ます。
①「とりあえずフェアウェイに出そう」= 求められていることを小さくした
キャディの言葉は、慰めではありません。課題の書きかえです。
書きかえ前:「プレーオフに勝つ」(大きすぎて、体が動きません)
書きかえ後:「フェアウェイに出す」(動作として実行できます)
挑戦か脅威かは引き算で決まります。**求められていることを小さくすれば、引き算の答えは変わります。**これは気休めではなく、構造の変更です。
②「3打目を寄せたら相手にプレッシャーをかけられる」= 攻める側に立たせた
ここが見事なところです。
「守りましょう」ではなく、「この一打は、相手を追いこむための一打です」という枠づけをしています。
心理学では、避けるための目標(避ける型)より、取りに行くための目標(近づく型)のほうが、挑戦の状態と結びつくことが分かっています(Moore et al., 2012)。
同じ「フェアウェイに出す」でも、「安全のため」と「攻めるため」では、体の反応が変わります。
③ 決めることを、ひとりでやっていない
これが3人に共通する、いちばん見落とされている点です。
社会的な支えは、単なる「励まし」ではありません。引き算の「自分が持っているもの」の側に、直接足し算される資源です。
480名を対象とした研究では、まわりからの支えが強い人ほど、自己効力感・コントロール感・近づく型の目標がすべて高く、挑戦の評価が高く、脅威の評価が低いことが示されています(Gillman, Turner, & Slater, 2024)。
ゴルフでも、まわりからの支えが強い選手ほど成績が良いという関係が報告されています(Freeman & Rees, 2008)。
ひとりで決めようとするほど、持ちものは減ります。
④「自信を持ってやろうと」= 過去の実績を引っぱり出した
桑木選手はこうも言っています。
「全米女子オープンで自信がついていたので、その自信を最後までしっかり持ってやろうと」
自信は、その場で湧いてくるものではありません。過去のどこかから、意識的に持ってくるものです。
バンデューラは、自信のもとを4つに整理しました(Bandura, 1977)。
実際にできた経験(いちばん強い)
人ができるのを見た経験
人からの言葉
そのときの体の感じ
桑木選手がやったのは1番目です。「全米女子オープンで自信がついていた」を、その場で引き出しています。
【6】渋野選手の「軽口」は、なぜ効いたのか
2019年、優勝がかかった18番。2打目を打つ前に、渋野選手はキャディに「こんな場面でシャンク出したら恥ずかしいよね」と言い、2人で笑ってからグリーンをとらえました。
ふざけているように見えますが、心理学的には非常に理にかなっています。3つの働きがあります。
①「いちばん怖いこと」を、先に言葉にしています。 頭の中で再生され続けている「もし〜だったら」を、外に出しました。出した瞬間、再生は止まります。
② 笑いは、体をゆるめます。 ランナー24名の研究では、笑顔で走ったときに動きの効率が良くなり、しかめ面のときに「きつさ」の感じ方が上がりました(Brick, McElhinney, & Metcalfe, 2018)。
③ ひとりの作業を、2人の作業に変えています。 笑い合った時点で、その一打は「共同作業」になりました。
ただし、注意があります。
笑顔の効果は、追試で出なかった報告もあります。効く人と効かない人がいます。
「笑えば勝てる」ではありません。「笑えるくらいの余裕を作れる手順があると、体がゆるむ」という順序です。順番を逆にすると、笑えない自分を責めることになります。
【7】山下選手の「コツコツと地道に」の正体
2025年の優勝コメントです。
「たくさんの方に支えられてコツコツと地道にやってきたことが実を結んで」
この一文には、いま説明した2つが両方入っています。
「たくさんの方に支えられて」= 支え(Gillman et al., 2024/Freeman & Rees, 2008)
「コツコツと地道にやってきた」= 実際にできた経験の積み上げ(Bandura, 1977)
つまり、彼女は優勝の理由を 「持ちものリスト」の形で 語っています。
これは偶然ではないと私は考えています。持ちものを数える習慣がある人は、勝ったあとにも同じ言い方をします。
さらに、「第3ラウンドは特に緊張していて…終わってから父と修正して」という部分も重要です。
**うまくいかなかった日を、その日のうちに「手順」に変えています。**しまいこんでいません。ここが、失敗の扱い方の分岐点です。
【8】持ちものを増やす「4つの道具」
引き算の「自分が持っているもの」の側は、後から増やせます。増やし方は4つあります。
道具1:手順(決めることを1つに絞ります)
場面ごとに「やること」をあらかじめ1つだけ決めておきます。
決めておくと、本番でその場で考えなくてすみます。
「もし〜なら、〜する」の形で書くのがコツです。 この形にしておくと、実行の確率が上がることが、多数の研究をまとめた分析で示されています(Gollwitzer & Sheeran, 2006)。
例:
もし2ホール続けてボギーになったら、次のティーで長く吐く呼吸を1回します。
もし手が震えたら、「これは戦える合図です」と心の中で言います。
もし相手に流れが行ったら、足の裏に注意を置きます。
道具2:言葉(自分にかける言葉を決めておきます)
自分にかける言葉には効果があります。44の研究をまとめた分析では、はっきりした効果が確認されています(Hatzigeorgiadis, Zourbanos, Galanis, & Theodorakis, 2011)。
ただし、大事な注意点があります。
自分にかける言葉は、成績は上げましたが、挑戦か脅威かという状態そのものは変えませんでした(Hase, Hood, Moore, & Freeman, 2019)。
つまり、言葉は「状態を変える道具」ではなく「状態のまま動かす道具」です。「これで落ち着くはず」と期待すると裏切られます。「震えたままでも動くための合図」として使ってください。
道具3:支え(決めることを、分け合います)
試合前に「この人に何を言ってもらうか」を決めておきます。
決めておかないと、その場では言ってもらえません。
相手にも伝えておきます。「うまくいかないときは、次にやることを1つだけ言ってください」と。
道具3.5:見る場所(どこを、いつまで見るかを決めます)
これは道具というより、上の3つを支える土台です。
パッティング中の目の動きを調べた古典的な研究では、うまい選手ほど、打つ直前にボールの1点を長く静かに見続けていました(Vickers, 1992)。
「集中しろ」ではなく、「どこを、いつから、いつまで見るか」を決めます。
決めておくと、🟡でも🔴でも、同じ場所を見ることができます。
【2】の合図②(視野が点になる)と混同しないでください。自分で決めて見るのと、視野が勝手に狭くなるのは、別物です。
道具4:自信(過去から持ってきます)
「できた場面」を3つ、紙に書いておきます。
大きな成功でなくてかまいません。「風の中でパーを拾った」で十分です。
見るタイミングは、試合直前ではなく、前日の夜です。直前に見ると、比べてしまいます。
なお、頭の中で「できている自分」を思い描く力が高い人ほど、自信が高く、挑戦の評価に傾きやすいことも報告されています(Williams & Cumming, 2012)。
【9】研究が示す「限界」も、正直に書いておきます
ここは、多くの記事が書かない部分です。しかし、書かないと現場で裏切られます。
効果は「ある」けれど「小さい」です
19の研究(合計1,045名)をまとめた分析では、挑戦・脅威の体の反応と成績との関係は確かに認められました。ただし、その大きさは小さめでした。加えて、効果が出なかった研究が発表されにくい可能性(出版の偏り)も指摘されています(Behnke & Kaczmarek, 2018)。
38の研究を見直した系統的レビューでも、挑戦の状態が成績に有利であることは支持されましたが、長期的に追った研究が足りないという課題が挙げられています(Hase, O'Brien, Moore, & Freeman, 2019)。
そのうえで、2017年から2024年の62研究・合計7,418名を集めた最新のまとめでは、挑戦の状態のほうが成績が良いという結論は、あらためて再現されています(Hase, Nietschke, Kłoskowski, Szymański, Moore, Jamieson, & Behnke, 2025)。
まとめると、こうです。
方向としては、確かです。
ただし、これ1つで勝てるほど大きくはありません。
技術・体力・戦略と組み合わせて、はじめて意味を持ちます。
自分で答える質問紙と、体の反応は、よくズレます
サッカー選手を対象にした研究では、選手が「自分はこう感じている」と答えた内容と、実際の体の反応が、うまく一致しませんでした(Dixon et al., 2019)。
「自分は落ち着いている」という自己申告は、あてになりません。
だからこそ、感覚ではなく合図(4つ)で判定することをおすすめしています。
「〜すべきだ」が強い人ほど、脅威に傾きます
インドの一流ゴルファーの研究では、「〜であるべきだ」という思いこみの強さが、脅威の評価や不安の受け取り方と結びついていました(Chadha et al., 2023)。
「絶対にミスしてはいけない」
「ここは決めるべきだ」
「期待に応えなければならない」
この言い方をしている人は、言い方を変えるだけで引き算の答えが変わります。(言いかえは【12】にまとめました)
なお、271名を対象とした研究では、「高くねらう気持ち」は挑戦の評価を通して良い状態につながり、「失敗を恐れる気持ち」は脅威の評価を通して悪い状態につながっていました(Ruiz, Appleton, Duda, Bortoli, & Robazza, 2022)。
高い目標を持つこと自体は問題ではありません。問題になるのは、失敗を恐れる側の気持ちが強いときです。
プロでも「守る」ほうがむずかしいことが、数字に出ています
プロゴルファーの膨大なパットを分析した研究では、同じ距離でも、ボギーを避けるためのパットのほうが、バーディを取りに行くパットより成功率が高いという結果が出ています(Pope & Schweitzer, 2011)。
言いかえると、「取りに行く」場面のほうが、プロでも慎重になりすぎるということです。
守りに入ると成功率が下がるのではありません。取りに行く場面で、いつのまにか「失うまい」に切りかわると、成功率が下がるのです。キャディの「相手にプレッシャーをかけられる」という一言が効いたのは、まさにここです。
「良い方の緊張」という言い方にも、批判があります
「この緊張は良い緊張だ」と受け取れる人がいるのは事実です。ただし、そう受け取れるのは緊張の強さが低いときに偏っている、という指摘もあります。
強い緊張のときにまで「良い緊張だ」と言い聞かせるのは、無理があります。そのときは、まず体を戻してください(【3】の90秒)。順番は、体が先です。
【10】5つの立場べつチェックリスト
自分に当てはまるところだけ読んでください。それぞれ、「はい」が3つ以上なら🟡が使えています。
① 働く人(会議・プレゼン・商談)
大事な場面の前に、「やること」を動作の言葉で1つ決めていますか。
「〜すべきだ」ではなく「〜したい」で目標を言えていますか。
直前ではなく前日に、うまくいった場面を思い出していますか。
緊張したときに、体を戻す手順を持っていますか。
「うまくいかなかったときに何を言ってほしいか」を、誰かに伝えていますか。
② 競技をする人
手が震えたとき、それを「戦える合図」と読めていますか。
「もし〜なら、〜する」を、5つ以上書き出してありますか。
悪い日を、その日のうちに「手順」に変えていますか。
見る場所(どこを、いつ、どのくらい見るか)を決めていますか。
試合前に、自分の持ちものを口に出して数えていますか。
③ 指導する立場の人
「落ち着け」の代わりに、次の動作を1つ言えていますか。
大きな目標を、その場で小さく言い直せていますか。
「守れ」ではなく「これで相手を追いこめる」と言えていますか。
選手が黙りこんだとき、質問ではなく「やること」を渡せていますか。
選手の緊張を、消そうとせずに使わせていますか。
④ 見守る家族の方
「緊張しないで」と言っていませんか。
結果ではなく、やっていた動作について話せていますか。
試合の直後ではなく、落ち着いてから振り返っていますか。
「支えている人がいる」と、本人が言葉で認識できていますか。
応援が、本人の「求められていること」を大きくしていませんか。
⑤ 人前で演奏・発表をする人
舞台袖で、足の裏に注意を置けていますか。
最初の1音(1文)だけを、動作として決めていますか。
「間ちがえないこと」ではなく「どう聴かせたいか」を決めていますか。
手が震えたときの、10秒の手順を持っていますか。
本番前に、練習でうまくいった場面を1つだけ思い出していますか。
【11】21日間プログラム
3週間で、90秒の型を体に入れます。1日5分です。
第1週:気づく(合図を見つける週)
1〜3日目:1日1回、90秒の型をやります。順番だけ覚えます。効果は求めません。
4〜5日目:日中に「息が浅く速く一定になった瞬間」を1回だけ見つけて、メモします。
6〜7日目:「もし〜だったら」が再生され始めた瞬間を見つけます。止めなくてかまいません。気づくだけです。
第2週:戻す(型を使う週)
8〜10日目:合図に気づいたら、その場で90秒の型をやります。
11〜12日目:型の最後に、必ず「次にやること」を1つ言います。ここを省略しないでください。
13〜14日目:練習や仕事の場面で、意図的に少し負荷をかけた状態でやります(見られている場面、時間制限のある場面)。
第3週:短くする(本番用にする週)
15〜17日目:10秒版に切りかえます。90秒版は1日1回だけ残します。
18〜19日目:「もし〜なら、〜する」を10個書き出します。自分の競技・仕事の場面に合わせます。
20〜21日目:実際の本番(試合・会議・レッスン)で、10秒版を1回だけ使います。うまくいったかどうかではなく、使えたかどうかを記録します。
なお、注意を「いま」に戻す取り組みについては、選手を対象とした複数の研究をまとめた分析で、成績や関連する要因への効果が確認されています(Wang, Lei, & Fan, 2024)。3週間は最低ラインです。続けるほど、効きます。
3週間後の判定基準は、「緊張しなくなったか」ではありません。「緊張したまま、次の動作に入れたか」です。
【12】そのまま使える「言いかえ20」
左を、右に言いかえるだけです。声に出しても、心の中でもかまいません。
「落ち着け」 → 「長く吐きます」
「緊張するな」 → 「これは戦える合図です」
「ミスするな」 → 「フェアウェイの左に出します」
「絶対に決めなきゃ」 → 「この1打を、いつもの手順で打ちます」
「〜すべきだ」 → 「〜したいです」
「なんで震えるんだ」 → 「震えたまま、次を選びます」
「勝たなきゃいけない」 → 「このホールをパーで上がります」
「守りに行こう」 → 「これで相手を追いこめます」
「もし外したら」 → 「いま、どこを見ますか」
「頭が真っ白だ」 → 「かかとに重みがありますか」
「もうダメだ」 → 「次の1つだけ、決めます」
「早く終わってほしい」 → 「あと1打ぶんだけ、集中します」
「みんな見ている」 → 「いちばん遠くにあるものを1つ見ます」
「自信がない」 → 「できた場面を3つ数えます」
「実力を出しきれない」 → 「今日の手順を1つ守ります」
「昨日の失敗が頭から離れない」 → 「昨日から、手順を1つ持ってきます」
「ひとりで決めなきゃ」 → 「次にやることを、1つ言ってください」
「期待に応えなきゃ」 → 「自分の持ちものを数えます」
「風が強すぎる」 → 「風の中で、置く場所を1つ決めます」
「前の年もダメだった」 → 「前の年に、分かったことが1つあります」
【13】よくある質問
Q1:呼吸をやると、かえって苦しくなります。
吸いすぎている可能性が高いです。吸う量は増やさず、吐く時間だけを長くしてください。 手足がしびれる、頭がふわっとするといった感じが出たら、いったん止めて、ふつうの呼吸に戻してください。
Q2:試合中に90秒も時間がありません。
【4】の10秒版を使ってください。ただし、練習で90秒版をやりこんでいることが前提です。順番を飛ばすと効きません。
Q3:「これは戦える合図です」と言っても、信じられません。
信じなくてかまいません。言葉は、信じるために言うのではなく、注意の向きを変えるために言います。 信じられないときほど、【3】の体のステップを先にやってください。
Q4:子どもに「緊張しないで」と言ってしまいます。
言いかえは1つで足ります。**「次にやること、1つ言ってごらん」**です。これだけで、結果から動作へ注意が移ります。
Q5:ドキドキがまったく起きないときがあります。良い状態でしょうか。
良い状態とは限りません。サッカーの研究では、反応が鈍かった群がいちばん成績が悪い結果でした(Dixon et al., 2019)。「関わっていない」状態の可能性があります。目標を、自分にとって意味のあるものに設定し直してみてください。
Q6:ゲンかつぎは、やってもいいですか。
否定しません。研究では、ゲンかつぎは競技レベルが高いほど、また不確かな場面ほど増えることが分かっています。効果の多くは「自分で状況を握っている感じ」が生まれることによるものと考えられています。興味深いことに、日本の選手はチームのためのゲンかつぎが多く、アメリカの選手は自分のためのゲンかつぎが多い、という比較も報告されています(Dömötör, Ruíz-Barquín, & Szabo, 2016)。
ただし、ゲンかつぎが「できなかったら崩れる」形になっているなら、それは持ちものではなく、弱点です。
Q7:受験や試験にも使えますか。
使えます。16〜18才を対象とした6週間の取り組みでは、ストレスの受け取り方・自己評価した成績・前向きな対処のすべてが向上しました(Sparks, Mansell, Wright, & Slater, 2025)。
【14】この記事のまとめ
全英女子オープンを制した日本人3人は、緊張を消していませんでした。
ちがったのは緊張の量ではなく、向きでした。
向きは「求められていること」と「自分が持っているもの」の引き算で決まります。
気合いでは変わりません。変わるのは、求められていることを小さくしたときと、持ちものを数えたときです。
🟡(戦える状態)を🔴(危ない状態)と読みまちがえるのが、最大の分岐点です。
🔴から戻すのは、体 → 注意 → 言葉の順です(ソマリセット法90秒)。
3人とも、ひとりで決めていませんでした。
効果は確かですが、大きくはありません。技術と組み合わせてください。
最後に、もう一度この一文を置いておきます。
震えは、止めません。 震えたまま、次の1打を選びます。
引用文献・参考文献・出典
学術文献(著者名アルファベット順)
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選手の発言・大会記録の出典
渋野日向子選手の2019年大会に関する記述、および18番2打目前のキャディとのやりとり:英国人記者ルワイン・メア氏による当日記事(スポーツナビ 2025年7月28日配信記事を経由)
山下美夢有選手の2025年大会の公式コメント:日本ゴルフ協会(JGA)公式コメント(2025年)
桑木志帆選手の2026年大会の発言:優勝会見での本人コメント(2026年8月2日)
大会の日程・コース・スコア・賞金額:AIG女子オープン(全英女子オープン)大会公式記録、および各大会の報道
日本勢の女子メジャー制覇の記録:各大会公式記録にもとづく整理
用語について
本記事の「ソマリセット法」および「信号機モデル」は、筆者が現場での指導のために整理・命名した枠組みです。
「挑戦」「脅威」の考え方は、上記のBlascovich系・Jones系の理論およびMooreらの一連の研究にもとづいています。
効果の大きさや限界についての記述は、Behnke & Kaczmarek (2018)、Hase, O'Brien, Moore, & Freeman (2019)、Hase, Nietschke ほか (2025) の記述にもとづいています。
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