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あらためまして。農業の話を、暮らしの問いとして書いている理由。

遅ればせながら、あらためまして。

どうやらnoteでの自己紹介というものは、
早めにやるものらしい。

どうも
複雑に混ん絡がった社会に
改めて水平チョップしたいナオです。


理由は簡単で、noteを始めた当初
自分でもまだ、自分が何者なのか
うまく言葉にできていなかったからだと思う。

農家です。
移住者です。
42歳です。
家族がいます。
犬もいます。
軽トラもいます。

もちろん、そういう説明も間違いではない。
でも、それだけだと少し足りない気がしている。


岐阜県の山の中で、米と野菜を作っている。

農薬や化学肥料に頼らず、土の力や微生物の働きを信じながら、
なかなか効率の悪いことをしている。

正直に言えば、楽ではないし、
収量も多くはない。
病気や天気や草に、だいたい振り回される。

もっと合理的なやり方はいくらでもあるんだろう。
でも、それだと面白くないのだ。
たぶん。


ここで暮らして、ここで作っていると、
農業ってただ食べ物を作る仕事ではないな、と思うようになった。

天気に振り回される。
季節に急かされる。
思うようにいかない。
待たされる。
手をかけても報われないことがある。
でも、放っておいてもうまくいかない。

それって、なんだか暮らしそのものだ。


たぶん自分は、農業の話を書きたいというより、
農業を通して見えてくる暮らしのことを書きたいのだと思う。

子どものこと。
夫婦のこと。
田舎で生きること。
40代になって、体も心も若い頃のノリでは
どうにもならなくなってきたこと。
それでも毎日は続いていくこと。

そういうものが、畑や田んぼに立っていると、
やけにくっきり見えてくる。

だから、必死で生きてる。


最初は、ただ農業の記録のつもりだった。

でも書いているうちに、
これは作業日誌というより、
自分がこの土地で何を考えて、
何に引っかかって、
何を大事にしたいのかを確かめる
「思考を耕す時間」になっていった。

お米の話を書いているつもりが、
気づけば心の荒れ地の話になっていたりする。
草刈りの話を書いているつもりが、
人生の余白の話になっていたりする。

我ながら、話がよく脱線する。
でもたぶん、それでいいのだと思っている。
知らんけど。


このnoteでは、
これからも、農業の現実も書くし、
山の中の暮らしも書くし、
少しくだらないことも書く。

軽トラの哲学もするし、
瞑想の話もするし、
娘がしいたけを見つけて世界が完結する話もする。


一見ばらばらに見えるかもしれない。
でも全部、自分にとっては同じ地面の上にある話だ。

岐阜の山の中で米と野菜を作りながら、
これからの暮らしのことを考えている。


ちなみに、
農園の名前の由来やここに来た理由は、
一番最初の記事に書いてあります。

未経験の42歳が岐阜の山奥で農家を始めた話、
よかったら読んでみてください。

たぶん、今よりずっと真面目なことを書いています。


スキやコメントをもらうたびに思う。

山の中でひとりごとを書いていたつもりが、
ちゃんと誰かとつながっていたのだな、と。

それが、続けられている一番の理由だと思う。

遅ればせながら、あらためまして。
これからも、よろしくお願いします。


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