「米が高い」の前に、そもそも僕らは米を食べなくなっているのか。
また、米のニュースを見た。
高温障害。
古米の在庫。
新米の価格。
今年のこの暑さで白くなった米や、ひびが入った米も出ているらしい。
米を作る側としては、どれも気になる。
というか、気にならないわけがない。
田んぼを見るたびに、「うち、大丈夫かな」と思う。
どうも
三度の飯より白米が好きな米良氣農園のナオです。
ただ、最近それとは別に、もっと根本的な疑問がある。
そもそも、みんな米を食べなくなってない?
日本人の米の消費量は、長い目で見ればかなり減ってきた。
農林水産省の数字を見ると、1962年度には一人あたり年間118.3kg食べていた米が、2024年度には53.4kgまで減っているらしい。
米農家としては、「もっと米食べてよ」と言いたくなる。
できれば朝も。
昼も。
夜も。
おかわりまでしてほしい。
こちらには田んぼがある。
まだあります。
でも、それだけではたぶんダメなのだと思う。
食べなくなったのには、食べなくなった理由がある。
パンは手軽だ。
麺もうまい。
朝から米を炊くのが面倒な日もある。
コンビニに行けば、米を炊かなくても朝ごはんは成立する。
僕自身だってスーパーではパンも買うし、ラーメンも食べる。
米農家だからといって、四六時中おにぎりを握っているわけではない。
だから、「日本人なら米を食べろ」と言っても、たぶん戻らない。
それより、
どうしたら、また米を食べたくなるんだろう。
そっちを考える方が大事なのかもしれない。
例えば、炊きたての米。
蓋を開けた瞬間の湯気。
茶碗によそって、一口目を食べる。
米だけなのに、ちゃんとうまい。
田植えをして、自分で育てて、秋に刈った米なら、なおさら少し違って見える。
黒米を少し混ぜれば、いつものご飯も変わる。
田んぼを知れば、茶碗一杯の見え方も変わる。
米を売るというのは、米袋を渡すだけではないのかもしれない。
「米を食べたくなる理由」まで一緒に渡せたらいい。
最近は、米が高い。
米が安くなる。
古米が余っている。
新米の価格はどうなる。
そんなニュースが毎日のように出てくる。
作る人が続けられる価格でなければ困る。
食べる人が買えない価格でも困る。
でも、その議論のもう一つ手前に、
そもそも米を食べたいと思ってもらえているのか。
という問いがある気がする。
作る側も、「こんなに大変なんだから買ってくれ」
だけではいけないのだと思う。
田んぼの景色。
炊きたての匂い。
誰が作ったのか。
どんなふうに育ったのか。
どう食べるとうまいのか。
そこまで含めて届ける。
これからの米農家には、米を作る技術だけでなく、
米を食べたくさせる技術
まで必要になるのかもしれない。
米が高いのか。
安いのか。
その答えは、まだ僕にもよく分からない。
でも一つだけ分かる。
まずは、「今日、米食べようかな」
と思ってもらわないことには始まらない。
なので、最近農家の米レシピの開発をしようと目論んでいる。
そんなことを考えながら、今日も田んぼを見る。
