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42歳。景色の見方を教わる。

息子が、庭を見ていた。

ただ、それだけの話である。

どうも
「何もしない」が難しいナオです。


縁側にちょこんと座り、庭を見ている。

遊んでいるわけでもない。
泣いているわけでもない。
誰かを待っているわけでもない。

ただ、外を見ていた。

網戸越しにセミの声が聞こえる。
風が吹くたび、庭木の葉が揺れる。

息子は、その景色をじっと眺めていた。

何を考えていたのかは分からない。
もしかしたら、本当に何も考えていなかったのかもしれない。
もしかすると、「草、伸びたな。」くらいは思っていたのかもしれない。


つい「何してるの?」と聞きたくなる。

何かしていないと落ち着かない。
何か生産していないと不安になる。
何か学んでいないと損をした気になる。

気づけば、「何もしない時間」が、どこにもなくなっていた。

僕は五分空けばスマホを見てしまう。
通知は来ていない。
それでも開く。


もはや確認しているのか、確認したいという病気なのか分からない。

AIに相談し、ニュースを眺め、誰かのnoteを読んでは「なるほど」とうなずく。
指を動かすたびに何かを得た気になり、生きた気にはなる。

便利だ。

本当に便利だ。

仕事でも毎日助けられている。

だから、スマホやAIを悪者にしたいわけではない。

ただ、ふと思った。

息子は景色を見ている。

僕は画面を見ている。

四十二歳。

なんだか負けている気がした。


子どもは、ただ景色を見る。

僕は、暇になると画面を見る。
見てしまう。

どちらが豊かかなんて分からない。

でも、息子が見ている世界には、誰かが作った動画は流れていない。

風があり、光があり、葉っぱが揺れる。
鳥が鳴き、トンボが低く飛ぶ。

その全部が、一度きりだ。

同じ景色は二度と来ない。


ちょっと前まで、この景色を見ても何も思わなかった。

「田舎には何もない。」

そう思っていた。

でも今は少し違う。

何もないんじゃない。

見逃していたのは景色じゃなく、時間のほうだった。


息子は、庭を眺めていた。

その隣で、僕はスマホを取り出し、
写真を撮った後、ポケットへしまった。

ほんの数分だけ。
息子の見ている世界を、一緒に見てみようと思ったのだ。


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