『質問箱への回答㉝ 記憶とはなにか』
前回までのあらすじ
人生二度目のインフルエンザとの激闘を制した我。体力を使い果たしたため回復に手間取るも、日課たるドラセナへの毎朝の水やりを欠かすことはなかった……。そんな折、質問箱に新たな質問が届いて!?
今回のご質問
さて、今回いただいたご質問はこちらです。

ご質問ありがとうございます。この質問に対しては、いくつかの観点からお答えすることができそうです。
まず、記憶の正体ということですが、こういう聞き方をされる時点で質問者さんは記憶のことを、単に脳に保存された情報なのか、それともそれ以上のなにかなのか? とお考えですね。また、
一方で、記憶は言語や五感にまつわるイメージの集合体に過ぎないように思われます。
ともおっしゃっています。それでは、ここから始めるとしましょう。まず、現代の科学においては、記憶は脳にあるという考えが前提にあります。しかし、本当にそうでしょうか? わたしの考えでは、脳は高次元からやってくる情報を受信して、それを言語的、論理的な思考や直感的な印象へと解読(デコード)する器官です。そして、高次元からやってくる情報には記憶も含まれます。つまり、基本的に記憶は脳にはありません。ただ、まったくなにもないのかというとそうわけでもなく、脳には記憶を呼び出すためのインデックスがあると言えます。
このインデックスは脳神経の回路によって構成されているので、脳神経全体を記憶の貯蔵庫とみなすのは間違ってはいませんが、そこに記録されているのは記憶の本体ではないということです。では記憶の本体はどこにあるのでしょうか? それはメンタル体とコーザル体です。一回一回の転生を実際に経験する転生体としてのわたしたちの人生の記憶はメンタル体に保持されています。魂といってもよいコーザル体はすべての転生の記憶をそれぞれの転生体のメンタル体から受け取っています。
一般的にわたしたちが記憶と呼んでいるものは、このうちメンタル体にある記憶のみですが、メンタル体そのものは人生において経験したすべての瞬間に見聞きしたことや受けた印象、そのときの思考や感情、あるいは肉体感覚といったものを完全に保持しています。しかしながら、わたしたちは普通、それをすべて自由に思い出すことはできませんね。それは、そういった記憶を呼び出すためのインデックスが作られていないか、作られていたとしても使われたことがないからです。このことを「覚えていない」「とか忘れてしまっている」とわたしたちは言うでしょうが、正確には「思い出すことができない」というわけです。
でも、インデックスは自我が自発的に思い出すためのものであって、必要があるとコーザル体意識が判断した場合には、どんな記憶も思い出すことができます。わたしはそのような経験を二度したことがありますが、一度目は
この記事に書いている高速道路で大事故を起こしかけたときのもので、このときは車がスピンしかけたほんの1秒くらいの時間、すべてがスローモーションになって目の前にそれまでの人生のすべてが「まるで走馬灯のように」展開されました。1秒といった短い時間にどうすれば20数年(当時)分の記憶が再生、認識されるのかは今のわたしにも説明できませんが、ともかくそういうことがありました。
二度目は石垣島で🍄を食べたときですが、ベッドに腰掛けているわたしの眼前に、またしても過去の記憶が映像として展開されました。このときは数十分という長い時間を掛けて小学校時代の教室で起きた出来事などが普通の速度で再生されました。思い出した記憶に特になにか意味があるというわけではなさそうで、また、思い出す記憶を選べるわけでもありませんでしたが、特筆できるのは、そのとき見た映像には当時のわたし自身も含まれていたことです。つまり、これはわたしの自我の記憶ではなかったのです。
いずれの経験も、記憶が脳裏に蘇るというようなことではなく、本当に目の前に情景が映像として浮かんでいて、それを見ているような感じでした。おそらくですが、自我がこれは自分が経験したこととしてインデックスを作っている記憶(普通の記憶ですね)を思い出す場合は自我の経験の主観的な中心である「頭の中」に展開されるのでしょう。しかし、インデックスのない記憶がなんらかの条件によって呼び出される場合はこれらの例のようにビジョンとして現れるのだと思います。
一方で、記憶は言語や五感にまつわるイメージの集合体に過ぎないように思われます。
ここで質問文の文章を再度引用しましたが、言語や五感にまつわるイメージといったものの集合体としての記憶というものは、記憶全体のほんの一部であると言えます。なぜなら、いまお話したように、記憶には自我(顕在意識)が認識したもの以上の情報(わたし自身の姿)が記録されているからです。情報というよりは、出来事そのものが記録されていると言ったほうがよいかもしれません。
そもそもこの宇宙のすべては記録されています。時間を超越した視点でみると、未来に起こるできごとも記憶と呼んで差し支えありません。すべては一つですから、宇宙の記憶もまた一つであり、そこには分離や境界はありません。自我が幻想である以上、個人の記憶もまた幻想です。そしてこの幻想にリアリティ(臨場感)を与えているのが記憶のインデックスです。
記憶がなければ生活するのも難しいでしょうし、言語や行動の基盤になっています。
つまり、記憶全体のうち、自我が一貫性のある人格として振る舞い、人生を生きるために必要な記憶にはインデックスがあるということです。言い換えると、個人として機能するためには記憶のインデックス機能を備えた脳が必要ということですね。
整理すると、自我が主体的かつ自覚的に経験したものごとには脳にインデックスが作られ、自我はこのインデックスを手がかりにメンタル体が保持する記憶を呼び出します。しかし、メンタル体はインデックスのある記憶だけにとどまらず、自我の視点を超越した記憶まで保持しています。
コーザル体はほかの転生時の記憶をも保持しています。みなさんも過去生の記憶を持っている子どもの話を見聞きされたことがあると思います。個々のそういったケースの真偽はさまざまでしょうが、そういうことが起こり得るのはコーザル体が持っている他の転生体の記憶がなんらかの理由によって子どもの脳に流入する可能性があるからです。例えば、子どもの脳の神経回路がたまたま他の転生体の記憶を呼び出すインデックスと似たパターンとなっていたようなケースです。
また、ホーキンズ博士は意識レベル600を超えると過去生を思い出すことがあると述べています。ブッダの伝記でも過去生を思い出すくだりがありますが、コーザル体が活性するのが意識レベル600であることを踏まえると、このレベルで過去生を思い出すのは道理です。
さて、記憶の正体の概観についてはこのくらいにして、次の質問についてもみてみましょう。
意識レベルによって、記憶への信頼度は変化するのでしょうか?
ちょうどいま述べたように、意識レベル600を超えるとコーザル体が活性化し、その意識のエネルギーが転生体へと流入しはじめます。これによって過去生を思い出すことがあるわけですが、まず意識レベルの上昇によってこのようなことがあります。
また、一般的な傾向としては、意識レベルが高くなるほど記憶は鮮明になっていきますし、いままでずっと忘れていたことを思い出す機会が増えていくでしょう。これもコーザル体がすこしずつ活性していくにしたがって起こるものです。
記憶への信頼度というとき、上記のように個々の記憶がより鮮明になれば、それは要するにはっきりと思い出せるということですから、基本的に信頼度は高まるといってよいでしょう。
ただし、記憶といっても単に出来事の起こった順番といったものから、その場で起きたことへの解釈を含むものまで、その内容は様々です。ですから、その記憶が信頼できるかどうかは、そもそもそれが経験されたときのその人の意識レベルにも左右されてしまいます。意識レベルが低いと事実誤認が多いため、その状態で経験した記憶をのちにどれほど鮮明に思い出せたとしても、その記憶はあまりあてにはできません。また、強烈なトラウマになるような記憶の場合、起きたと思っている出来事がそもそも書き換えられてしまっていることさえあります。
そういう意味で、まず言えるのは「意識レベルの低い状態で経験したことの記憶よりも、高い意識レベルで経験したことの記憶のほうが信頼度は高い」ということですね。また、「低い意識レベルで経験した記憶の信頼性を、高い意識レベルで検証し、再解釈すること」は可能です。
ちなみに、意識レベルが高くなればなるほど、経験に対して自我がコメントしなくなっていきます。これは偏見がなくなっていき、ジャッジすることが減っていくという意味ですが、当然ながらそのようにして経験されたものごとの記憶にも余計なコメントがつかなくなります。言い換えると、なるべく不要なインデックスを作らずにそのまま記憶されていくというわけです。
記憶の信頼性が低いということは、その記憶を呼び出すインデックスが不正確だったり不適切だったり冗長だったり、あるいは不十分だったりするということです。意識レベルが高まると、インデックスは洗練されて、最小限のキーで出来事をありのままに近いかたちで呼び出せるようになっていきます。ですから、当然ですが記憶の信頼性はとても高くなりますね。
わたしたちはよく「記憶力がよい、悪い」という言い方をしますが、記憶することはメンタル体の機能ですから、そこには能力の違いなど本当はありません。人によって異なるのは思い出す能力のほうで、言い換えるとインデックスを作る能力のことになります。この能力の違いは意識レベルによるところが大きいです。
ちなみにサヴァン症候群などの特殊なギフテッドが発揮する超常的な能力は、インデックスを経由せずに記憶を直接読み出せる能力だと考えれば理解できると思います。
インデックスを用いる記憶の呼び出し能力についていえば意識レベル400台でそれはもっとも高くなります。意識レベル500台以上では、徐々にインデックスを作ることが減っていきます。ここではインデックスをカルマ(あるいはサンスカーラ)と考えるとよいでしょう。意識レベル600以上になるとその人はもはやなにをしてもカルマを作ることがないとされていますが、それは自らの行為に記憶のためのインデックスを作らないということと同義です。
さて、色々な話をしましたが、ここまでお読みになれば記憶とインデックスの区別についてある程度ご理解いただけたのではないでしょうか? 記憶とはなにかについて考えるのは、エゴとはなにかについて考えることと実は同じです。
そういえば以前 in SPIRE にこういう記事を書いています。
こちらでは、「いまここ」で大きな変化があったとき、実はその瞬間に過去も書き換わっているかもしれない、という話を書いています。この考えを今回の話に加味すると話はさらに複雑になってしまいますが、あわせてお楽しみください😉✨️✨️
では今回はこれで以上になります。お読みくださってありがとうございました。またのご質問をお待ちしておりますね。
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