『なにをすればよいのか?』ではなく『なにをやめればよいのか?』という話
今日の話はとくに霊的な探求者の方に向けた話題というわけではなく、むしろ一般的かつ日常的なことがテーマなのですが、霊的探求者といっても山奥で修行しているような人はほとんどいないでしょう。実際のところ、霊的探求は日常生活を普通に送りながら実践されるべきですし、ほとんどの探求者はそうしているはずです。
それにそもそも、瞑想したりヨガをやったり、あるいは真理について書かれた本を読んだりといった活動だけが霊的な探求ではありません。むしろ、そこで得られた心の落ち着きや心身のコントロール、あるいは知識や気づき、洞察といったものが "統合された智慧" となり、その人の日常生活へと反映されなくてはなんの意味もありません。
普通の、というと語弊がありますが例えばコーチングのスキルですとか、あるいは筋トレといったものですと、それによって得られたものは自然と日常生活に落とし込まれていくでしょう。コーチングであればコミュニケーション能力が向上し、筋トレをすれば体力が向上しより活動的になれますし、プロポーションが整えば見栄えもよくなってお洒落も捗ることでしょう。
いっぽう霊的な探求で得られるものとはなんでしょうか? さきほどわたしはそれを "統合された智慧" と表現しましたが、具体的にそれがどういった智慧であるか、あなたは説明できますか?
霊的な探求における探しもののことを "真理" といいます。真理を探すということは、真理とはなにかということを直接体験することを目指すということです。真理とは「すべては一つである」ということですが、これを直接体験するとき自我は行為の主体としての地位を失い、代わりに真理そのものが真の主体として見出されます。これが真我といわれるものです。そして、真我が実現されることを覚醒あるいは悟りといいます。
しかしながら、覚醒や悟りには至らなくても、真摯に探求を続ける探求者はそこへと向かって進歩しています。厳密にいうなら、進歩しているように見える自我は幻想の主体なので、ほんとうは進歩という観念も誤りなのですが、すくなくとも肉体精神機構に宿っている個々の精神(心、自我)は見かけ上の進歩をします。そして、この進歩はホーキンズ博士が明らかにした意識のスケールによって客観的に評価が可能です。また、意識レベルとは意識の統合性を示す指標です。意識の統合性については、以下の記事を読んで参考にしてください。
つまるところ、探求によって得られる統合的な智慧とは、意識が統合されていくにつれて備わっていく理解のことと言えるでしょう。この理解は「すべては一つである」という真理へと近づいていくものになるわけです。
そのような理解のベクトルにおいて、個々の肉体精神機構にはなにが起きてくるでしょうか? 一言でいえばそれは "行為者という感覚が抜け落ちていく" というものになります。意識レベルが高まるにつれて、自分が思考しているのではなく、思考は単にどこからかやってくるものであることに気づくようになります。自分が思考していないということは、自由意志はないということでもあり、それはつまり自分は行為者ではないということです。
行為者の感覚が落ちていくと、物事は自然に起こるようになっていきます。自分だけでなく、すべての人間が行為者ではないとなれば、現実はただの映画となります。とはいえ、そうなるからといってその人はなにもしなくなるわけではありません。ただ、それまでは自分の意志でなにかをしようと決めて行為していると思っていた理解が、意志も行為も勝手に起こることが分かってしまったので、自分に出来ることはただそれを目撃することだなあという理解に置き換わってしまいます。
同時に、やってくる思考(意志)やその結果として生じる行為そのものも、より統合的なものへと変化していきます。統合的に考え、統合的に行為するようになると、結果として行為は減ります。どういう意味か分かりますか?
これを理解するには、逆に考えてみるとよいでしょう。統合的ではないということは、分離的、自己中心的ということです。意識レベルが高まるということは意識がより統合的になることであり、意識レベルが下るということは意識がより分離的で自己中心的になるということです。ですからつまり、意識レベルの低い人物ほど、自己中心的な思考とその結果としての自己中心的な行為を多くしているということです。
意識が統合的になっていくと、つまり意識レベルが上がっていくと、自分というものを主張しなくなります。なぜなら自分というものは幻想でしかないからですね。これは、自分と他者、自分と家族、自分と人類といったように意識における主語を大きくしていくイメージでより進歩していきます。それまでひどく独善的だった男性が子どもの父親になると、自分のやりたいことよりも家族の幸せを優先するようになるのも、意識が統合されていくことの一例といえるでしょう。
話は戻りますが、意識が統合されていくと、自分のこと、自分のやりたいことというものはそれよりも大きい主語のものへと統合されていくので、必然的に個人的な行為は少なくなっていくわけです。
改めて、ものすごく単純に言ってしまうと『意識レベルの高い人ほど、普通の人がやるようなことをしなくなる』となります。今回のポイントはこれです。
一般的な話ですが、人はなにを言っているか、なにを成したかで評価されることが多いですね。それは一つには、言ってないことや成していないことは他者には見えにくいからですが、もう一つには、大多数の人々の意識レベルが行為者の領域にあるからです。それゆえ、やはり大多数の人々は綺麗事を並べ立て、自らの業績や経歴を誇示したがります。
しかし、本当に人を見るのであれば、その人がなにを言っているかや、どんなことをやっているかよりも、その人が "やらないこと" に目を向けるべきです。その理由はさきほど述べたように意識レベルの高い人ほど普通の人がやるようなことをしなくなるからですが、ここでいう "普通の人がやること" というのは基本的に自己中心的な言動、分離的な言動のことです。
そうした言動が少ないほど、その人の意識レベルは高いと判断できるわけですが、他人のみならず、自分自身をチェックすることも可能です。
そしてまた、これが重要なのですが、意識レベルの高い人ほど自己中心的で分離的な言動が少ないのであれば、自己中心的で分離的な言動を慎むようにすれば意識レベルは上がっていくといえるわけです。
そこで今回は、意識レベルの高い人がやらないことを簡単にですがリストアップしてみました。他にも挙げていけばたくさんあるとは思いますが、まあこれくらいでよいでしょう。すくなくとも、このリストにあることをすべて「やらない」という人は間違いなく意識レベル540以上だと言えると思います。ちなみに、わたしは無駄遣いはたまにしてしまいますが、それ以外はもちろんすべてやりません。
結局のところ、日常生活における霊的な実践とは、ここに挙げられているようなことを「しない」ように自らの心身を制御することと言えます。行為を慎むことが常態化していくと、いずれ行為者の感覚は消え去ることでしょう。
それではこちらをご覧ください。
not To Do (やらないこと)リスト
コミュニケーションと人間関係
・個人の批判をしない(悪口を言わない)
・その場に居ない人のことは話さない
・ネガティブ(否定的、後ろ向き)な言動をしない
・汚い言葉を使わない
・敵味方で人を判別しない
・不機嫌を顔に出さない
・自分の正しさにこだわらない
・禍根を残すような関係の断ち方をしない
・手柄を自分だけのものにしない
・責任転嫁をしない
・去る者は追わない
・嘘をつかない
・相手によって態度を変えない
・自慢をしない(話を盛らない)
・自分語りをしない
・見栄をはらない
・他人と比較しない
・群れない
・約束を反故にしない
・守れない約束はしない
・守れる約束でさえ極力しない
・聞かれてもいないことを口に出さない
・恩を忘れない
健康と生活
・食べすぎない
・運動しすぎない
・喫煙をしない
・飲酒をしない
・無駄使いをしない(お金も体力も)
・ギャンブルをしない
・夜ふかし、徹夜をしない
・断食をしない(一食、二食抜くだけで十分)
・瞑想やヨガに溺れない
ネットやメディア
・X(Twitter)やInstagram、Facebook といったSNSを見ない
・インフルエンサーや芸能人の発言を見ない
(その人たちはあなたよりも意識レベルが高いでしょうか?)
・ゴシップやスキャンダルに関心を持たない
・誹謗中傷をしない
(なにが誹謗中傷や差別になるか分からないので不用意に批判的な発言はしない)
・否定的、攻撃的なレスポンスに反応しない
(自らもそういう発言をしない)
・会ったことのない人の話を鵜呑みにしない
・どんな形であれ霊的なことを教えるためにお金を要求する人の話を信じない
最後になりますが、こういったことをすると、それはすべて "カルマ" となります。そのことも覚えておいてください。まあ、カルマとは行為のことなんですけどね。
今回はこれで以上です。読んでくださってありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。
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