非スタンフォード式!『興味のないことを雑に学ぶ方法』
Amazon の検索で「スタンフォード式」と入力すると、この文字列がタイトルに含まれる書籍が数え切れないほど出てきます。スタンフォードというのは正確にはスタンフォード大学のことなのですが、いったいぜんたいスタンフォード大学がなにゆえこれほどまでに "幅を利かせている" のでしょうか?🤔
ひょっとしてスタンフォード大学の教授や講師といった人々は世界中のあらゆる大学の中でも抜きん出て優秀で、彼らの教えるところ、勧めるところはもうやたらめったら画期的で、学ばないのは人生損していると言っても過言でないくらいすごいのでしょうか? そうでなければこれほどまでに一大学の名前が書籍の分野でブランド化してしまう理由が説明できません――いや、本当にそうなんでしょうか。
ビジネスマンであった20年ほど前のわたしはいわゆるビジネス書や自己啓発書といったものを濫読していましたが、そんなわたしの記憶によればその当時はまだスタンフォード大学という名称が本のタイトルに使われていることはありませんでした。わたしが知らないだけでまったくゼロであったということはないかもしれませんが、少なくとも珍しかったはずです。
ちなみに、代わりにその頃は「ハーバード式」というのが流行だったように思います。ハーバード式交渉術とか、ハーバード式投資術といった具合に、専門分野のエキスパート養成校としてのハーバード大学というイメージを醸すものが多かったです。いっぽうスタンフォード式となると、もうなんでもかんでもスタンフォードにかかれば途端に「最高のなにか」になってしまう感じで、まるで魔法のようでさえあります😌
さて、今回はちょっとした勉強法のアイディアを紹介しようと思いますが、もちろんわたしはスタンフォード大学を卒業していませんのでこれは『非スタンフォード式』であると前もって断っておく必要がありました。ちなみにわたしは関西大学法学部卒ですが、ほとんど授業には出ていませんので『関大式』でさえないということも付け加えておきます。
サブスクであるがゆえ
もう10年くらいずっと Amazon の Kindle Unlimited というサブスクを利用し続けています。たくさんの書籍が月額 980円で読み放題というサービスですが、どんな本でも読めるわけではありません。なのでどうしても読みたい本は有料の Kindle版か紙の書籍で購入することになるわけですが、それはそれとしてもこれまでほとんどすべての月で 980円の元は取れていたと思います。Kindle Unlimited で一番読むのはマンガですが、例えば全10巻完結の作品の、1巻だけとか3巻までとかだけ Kindle Unlimited の対象になっていることが多いです。全部対象にしてくれるのが本当はありがたいですが、最初のほうだけ無料で読んで、続きが読みたければ残りを購入してくれ、というのは悪い話ではありません。
ホーキンズ博士の「パワーか、フォースか」や「わたし」も対象になっています。わたしは「パワーか、フォースか」の紙の書籍は人にあげてしまって持っていないので、これはずっと Kindle Unlimited で読めるようにしてあります。「わたし」の方は紙の書籍でも持っていますが、ふと思い出した内容を調べるときに、電子書籍だと検索ができるため、こちらも Kindle Unlimited でずっと借りっぱなしです。
月刊ムー も毎月目を通しています😆 あと、画集や写真集(ソビエト連邦のロケット基地の廃墟とか)もたまに見ています。
そんなこんなで Kindle Unlimited のよさって色々あると思います。なんといっても、いちいちお金を出して購入するかと言われたら多分買わないというような本も読み放題対象であれば、とりあえず試しに読んでみようかなという気持ちになれることです。このおかげで、以前だったら読まなかったであろう本を読む可能性が生まれ、学習や楽しみの幅が広まったといえるでしょう。
Audible のながら聞きから
まあ、ここまでは「だよね」で終わる話です。ちなみにこの記事を最後まで読んでも「だよね」で終わるかもしれません。なんといってもこれはスタンフォード式ではないので、その程度のものでしかありません。
最近、note でもちょこっと触れていますが、Uber Eats の配達の仕事中に「耳をふさがない」イヤホンを使って Amazon Audible というサブスクで本の朗読を聴くようになりました。個人的に思う Audible のよいところは実は悪いところと同じで「文字で読むのと違って正確には把握できない」点です。
具体的には、日本語には同音異義語が非常に多いのでその言葉が漢字でどう書かれているのかが判断できないことが多々あります。またカタカナ語などで知らない語彙が出てきても、文字で書かれた書籍を読んでいるときはすぐにその場で辞書なり検索なりで調べることができますが、自転車に乗りながらの「ながら聞き」ではそのようなことも出来ません。
また、そもそも自転車に乗っているときは当然ながら安全への配慮が優先されますから、わたしの感覚では全体の3分の1くらいは聞き逃してしまっているように思います。そんなこんなで、小説のようにストーリーがあったり、非常に難解な概念が詳細にわたって書かれているような本は、このような聴き方には向いていません。そのような本はながら聞きではなく集中して聴けるときに聴くのがよいかと思いますが、わたしの場合はそれなら聴くのではなく読みたいとも感じます。
ここは人それぞれですが、わたしのようにながら聞きだからこそ Audible に値打ちを感じる(だって3分の1を聴き逃してもよいと思う本を個別に買いたいとは思いませんから)ような人は決して少なくはないと思います。いっぽう、NLP(神経言語プログラミング)には VAK と呼ばれる人間のタイプ分けの概念がありますが、そのうちの A 、すなわち聴覚優位の人は文字で読むよりも耳で聴いたほうがより理解できる可能性があるので、まずはどなたも一度 試しに Audible を聴いてみることをおすすめします。
VAK の V は Visual(視覚)、 A は Auditory(聴覚)、Kは Kinesthetic(身体感覚:触覚、嗅覚、味覚)を表します。その人の言葉の使い方や体の使い方(身振り手振り)などから、これらの3つの感覚のうちのどれがその人にとって優位に働いているかを判別するのですが、それによって例えば視覚優位の人には文章で説明するよりも図表を用いるほうが効果的であるとか、身体感覚優位の人には実際に体験してもらうのが手っ取り早いといったことが論じられます。NLPについては(おそらく)来年、ちょっとした解説シリーズを書いてみるつもりなので興味のある方は楽しみにしていてください。
さて、そんなこんなを考えていたわたしはふと "Audible で聴くならまったく興味のない本も全然アリだな" と考えるに至りました。そもそもが聴き逃す前提ですから、なんでもいいっちゃなんでもいいわけなんですが、そうはいっても Audible のアプリで次に聴くコンテンツを探そうとなると、多少なりとも選り好みをしてしまっていました。でも、よく考えてみるとそんな必要もないなと。聴いてみて「これはつまらん」と感じたら聴くのをやめればよいだけなので、これは面白いだろうか? とか、これを聴く価値はあるだろうか? などと一々考えるのはあんまり賢くないなと、そんな風に思えてきたのでした。
わたしは現在53歳ですが、これまでの人生で相当たくさんの本を読んできています。しかしそのほぼ全てはその時々のものとはいえ、自分の興味や関心の向くものばかりでした。幸いなことにそうした興味や関心にはそこそこの幅があったおかげで、いまのわたしの持っている知識はそこそこ広くそこそこ深いものにはなっています。それはよいことなのだと思いますが一方で最近、「もう読みたいと思う分野の主だった本はたいてい読み尽くしたので以前のような本を見つける喜びが薄くなった」という感覚もあります。まあ、読み尽くしたという主観を鵜呑みにはしていませんが、すくなくとも色々なものに飽きてしまっていることは事実でもあります。
そうしてみると、このタイミングで「Audible で聴くならむしろまったく興味のないものもアリ」というこの新しい発見は大げさにいえばわたしにとって一種の福音でした。そして、こうしていまそのことを記事にしようとしているということは、わたしと同じような状況になっている他の人にとってもこれは有益な話なのかもしれません。
また、この「興味のないものに手をつけてみる」という発想そのものは Audible に限らず、Kindle Unlimited にも応用できるものですし、それどころか人生のあらゆることに関して適用することさえ可能です。
意識レベルが高まっていくとエゴの自己中心性がなくなっていきます。すると色々なことが起きてきますが、はじめの内、もっとも実感しやすいのは「好みの変化」です。ざっくりいえば物質的、即物的、快楽的なものから、より精神的で統合的で平和的なものを好むようになっていきます。
意識レベルがさらに高まると、今度は好みというもの自体が少なくなっていきます。好きというのは嫌いということの反対ですが、好きか嫌いかというのは二元論であり、なにかを好きだというとき、その「なにか」ではないものを嫌いだと言っていることになります。
意識レベルが500 を超えると、その人のエゴからこうした好き嫌いが次第になくなっていきます。なにかを特別に好きだと感じることがなくなると同時に、なにかをことさら嫌悪するということもなくなっていきます。興味のあることや関心のあることも、平たくいえば「好きなもの」の一種ですから、二元性を超越していくプロセスにおいてはどのような興味関心もいずれはなくなっていく運命にあります。
とはいえ、このような人が人生において機能していくためには、その機能を果たすために必要となる知識や情報やスキルといったものを学び、アップデートしていくことも必要です。物事への興味関心を失いつつありながらも学んでいく必要があるのだとしたら、どうしたらよいのでしょうか?
そこで、むしろ興味のないものを学んでみよう? というわけですが、疑問文なのは、いうほど積極的にはおすすめしていないからです😌
現在においてしっかりした興味や関心の対象があるという人は、まずはそっちに時間を割くべきかもしれません。もちろん、興味のなかったものが興味のあるものへと変わる可能性はけっこう高いので、その限りではありませんけどね。
他方、もうなんか、なにを読んでも面白くないんだよね、とか、もう色々極めてしまったんだよなあ、とお考えの人はぜひ、興味のない世界へと一歩踏み出してみてほしいと思います。
ガーデニングなどやるつもりはまったくなくても、ガーデニングの教科書を読んでみてください。AI のディープラーニングについて 1mmも興味なくても、Kindle Unlimited なら無料で読めるその手の本がありますから、とりあえずダウンロードして開いてみてください。中央アジアの遊牧民族の暮らしについて、もし興味がないのであればぜひ学んでみてください。スタンフォード式なんとかかんとか、という本の中から適当に興味を覚えないものを選んで読んでみるのもおすすめですよ。
言い忘れていましたが、ながら聴きの Audible なら努力さえいりません。興味のない本を読むのには多少は頑張る必要があるかもしれませんが、興味のない話を聴くともなく聴くのは簡単です。それに案外、聴いてみたら聴いてみたで、けっこう面白いなと思うことがありますよ。
それでどうなるというのは一切なにも確約はできません。そうすることが多少なりとも面白いとさえ言うつもりはありません。ただ、面白い経験ばかりが経験ではないということは一応言っておきましょう。
具体的にどうこうというより、方向性のお話でした。非スタンフォード式なのでこんな程度です。お読みくださってありがとうございました。
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